ファイブカード
浅野エミイ
〇1章
俺の人生ってなんだろうな。
学校をサボって近くの河川敷で寝転がっている俺は、
ボーッと雲の流れを見ていた。
季節は秋。
のんびりするには持ってこいの時期。
寒くもなく暑くもない気候は、それだけで心地いい。
河原の遠くに見えるのは高架橋。
車はそこそこの速さで走っているが、
平日昼間だ。
通りは少ない方だろう。
俺の人生の不運は、父がいなかったことでも、ひねくれてやさぐれて
不良になったことでも、将来に何の夢もないことでもない。
多分だけど……俺の不運ってのは、平凡で退屈な世の中を
なんとなく生きていることなのかもしれない。
クソガキたちの声が聞こえてくる。
どうやら小学校の下校時間になったみたいだ。
……ということは、うちの高校もそろそろHRだな。
どんどんクソガキたちの声がでかくなってくる。
ったく、イライラするな。
なんでガキどもの声はこうも甲高くて耳障りなんだよ。
「ほら見ろよ、これ! 昨日手に入れた『楽戯王子』カード!」
「おおっ! すっげー! それ、激レアカードじゃん!」
『楽戯王子』は名前だけ聞いたことがあるな。
確か元々はマンガで、アニメ化までしたカードゲームだ。
ただ、ルールはわからない。名前しか知らない。
河原でゲームしてるガキもいたけど、
なんか魔法とか罠とか発動するんだろ?
そういう小難しいこと、俺は苦手だ。
むしろ最近のガキを尊敬するわ。
複雑でわけの分からないルールも理解してるんだからな。
「あ、亀だ! こいつ死にそうじゃね?」
……亀?
ガキたちの方へ視線を送ると、
その先には確かに身体がボロボロの亀がいた。
多分、縁日かなにかでもらったが
大きくなりすぎて捨てられたんだろう。
「もう死ぬんだし、生かしておく方がかわいそうじゃん?
突けば殺せるかも!」
クソガキたちは木の枝を持って、亀を突きはじめる。
なんてことしやがるんだ、今のガキたちは!
当然だが、見ていて気持ちのいいもんじゃない。
少し注意するか。
俺は立ち上がると、ガキたちに近づいた。
「おい、お前ら! 亀をいじめてんじゃねーぞ」
「……なんだよ、おっさん」
おっさんって……ま、小学生からみたら、俺はおっさんか。
この程度では怒らない。
「川にかえしてやろうぜ」
「かえしたところで死ぬじゃん。だったら俺たち死ぬところ見たいし」
どういう教育受けてんだ、こいつらは。
それどころか、今度はさらに俺に文句を言ってきた。
「おっさん、まだ学校終わりの時間じゃないじゃん!
もしかして不良ってやつ?
不良は社会のゴミだって、母さんも言ってたぞ!」
「お、おい、こんなデカい兄ちゃんにそんなこと言っていいのか!?」
連れのクソガキがぼそっとささやいたが、もう遅い。
触れちゃいけねぇところに触れたな、クソガキ。
カチンときちまったぞ、お兄さんは。
「俺が不良だったらなんだよ。社会のゴミだ? そんならゴミらしく、
お前らをぶん殴ってやる」
「え!? そ、それはやめてよっ!」
「殴られたくねぇなら、そうだな……そのレアカードとやらを置いていけ」
「か、カツアゲだっ!!」
ガキがぎゃんぎゃん騒ぎ出す。
俺がにらみを利かせると、ぴたっと声は止んだ。
「ど……どうぞ」
数枚のゲームのカードを俺に恐る恐る渡すと、
ガキどもは逃げるように去っていった。
「……こんなもんカツアゲしたところで、何にもなんないのにな」
しかもカツアゲした相手は、明らかに自分より弱い立場の小学生。
もしかしたら明日、PTAとかがこの辺の警備を強化するかもしれない。
怖い不審者というか、カツアゲする高校生が出た、とかなんとか言って。
カッコ悪いことこの上ない。
しばらくこの河川敷でのんびり空を見上げるのは
止めた方がよさそうだな。
ひとまず今日で最後だ。
俺は戦利品というにはしょぼすぎる、例のレアカードを見つめる。
レアというだけあって、キラキラ光る加工をしてある。
日差しにかざすとそれがきれいに見える。
ガキが欲しがるのは、このカードがきれいだからというわけでは
ないだろうけどな。
ドラゴンだの魔女だの、よくわからない。
こんなもんを俺が持ってたところで、何の価値もないんだよな……。
何してんだ、俺は。こんなの単なる弱いものいじめだろ……。
「わぁ、こたパイセン! それ、めっちゃレアなやつじゃないですかっ!」
「太陽?」
俺の横に座った小さい少年は、小宮太陽という後輩だ。
本人はなぜか俺の舎弟を名乗っているが、実際はただちっこいだけの
普通の高校生。
どういうわけか俺を慕ってつきまとってくる。
つきまとうのは構わないが、なんでここまで好かれるのかは
よくわかっていない。
どうせ不良の世界に憧れたとかいう、お坊ちゃんだろう。
「こんなカード、俺が持ってても意味がないだろ? 捨てちまうかと思ってたんだ」
「えー! もったいないッスよ! だってこれ、高いレートで売れるんですよ?」
「……へ?」
こんなカードが売れるのか?
しかも高いレートって……。
「捨てるくらいなら、どこかゲームの店に売った方がいいと思います!」
「ふうん……」
ものの価値というのは、案外わからないものなんだな。
俺はカードをポケットにしまおうとした。
すると、太陽はそんな俺を見て軽く怒る。
「先輩、ポケットに入れたらカードが折れちゃいますよ。
こういうのはきれいな状態じゃなきゃ売れないんですから」
「はあ、仕方ねぇ」
枕にしていたカバンを取り出すと、適当に入っていた数学の教科書に
挟む。
どこかゲーム店を探して売ることにしよう。
ちょっとした臨時収入だ。
「お前が来たってことは、学校も終わったんだな。そろそろ帰るとするか」
俺はさっき助けた亀を、川へとかえす。
亀はしばらくジタバタと泳いでいたが、そのうち深くへ沈んでいった。
――翌日。
俺は今日も朝から学校をサボっていた。
これだけサボるなら高校自体進学しなきゃよかっただろうと
思われるが、
さすがに中卒で仕事に就くのはしんどい。
中学時代、そこそこ勉強して今の公立高校に入学した。
公立なら授業料は無償だからな。
入ってしまえばこっちのもんだ。
最低限出席して、テストで赤点さえ取らなければ
問題はない。
……教師に目はつけられるけどな。
でも俺は、屋上でたばこを吸ったり、トイレでビールを飲むことは
していない。
ま、問題としては授業をサボってることと、
小学生からカツアゲしたことくらいだ。
このくらいで停学・休学になることもないだろう。
ということで、今朝も10:00に家を出て、学校を絶賛サボり中だ。
それに今日は用事もある。
昨日小学生から奪ったカードを売れる店を探さないと。
中古のゲームやCDを売っているところなら取り扱ってるのか?
スマホで近くの店を検索してみるが、この辺にそういう店はないみたいだ。
「結局店がなかったら売れないじゃねーかよ」
ファストフード店でハンバーガーを食べながら、カードを見つめる。
なんかすごく強そうなドラゴンと、かわいらしい魔法使いの女の子。
たった2枚のカードを売るために、なんで面倒くさいことをしないと
ならないんだ。
俺は店を出ると、もうカードを売るのを諦めて
家に帰ろうとした。
その帰り道――。
「ん?」
なんだ、あの小学生たちは。
古くていくつかのシャッターが下りている商店街。
普段はあまり通らないが、コンビニに寄るときだけ歩く道に
その店はあった。
カード店『デ・コード』。
カード?
遠くから子どもたちが何をしているかのぞいてみると、
カードゲームに興じている。
店の壁には『カードの売買も行っています』と書かれている。
ここでなら、この2枚のレアカードも売れるってことだよな。
さっそく売りに行きたいけど、店内は小学生でいっぱいだ。
さすがに俺が入っていくのは、はばかられる。
こうなったら、小学生が少なくなるのを待つか。
俺は近くのコンビニへと向かうことにした。
そして夕方頃。
もう一度『デ・コード』に寄ると、そこにはエプロンをつけた
男がいた。
「雅夫くんっ! 塾へ行ったと思ってたら、こんなところに!!」
「ご、ごめん、お母さん! でも俺……」
「ちょっと、あなたがここの店主?
こんな店があるから、うちの雅夫が塾をサボるんです!」
うわぁ、アレがモンペってやつか?
店長らしきエプロンの細身の男は、黒縁メガネを押さえながら
頭を下げた。
「すみません。ボクの方からも塾がある子にはちゃんと行くように
言ってるんですが……」
「だったら、ここで子どもが遊べないようにしてちょうだい!」
「ですが、なかなかカードゲームをするような場所ってありませんし……」
「もういいわ! 雅夫、あなたはもうここの店に来てはダメ。カードも全部没収します!」
「えぇっ!?」
雅夫と呼ばれた子どもは、お母さんにすべてのカードを没収され、
腕をひかれながら店を出て行った。
今どきの小学生っていうのも、大変なんだな。
「他に塾がある子は、ちゃんと帰るんだよ~!」
店長は子どもたちに声をかける。
それでもずっと、子どもたちが帰る気配はなかった。
ようやく最後の子どもが帰ったのが夕方の18:00。
店長が店のシャッターを下ろしに出てきたところ、
俺は声をかけた。
「すんません! カード売りたいんですけど……まだ時間大丈夫っすか?」
「カード? ……へぇ。ま、いっか。店へどうぞ」
店長に促され、店内へと入る。
店の中にはずらりとカードが壁にかけられており、
販売もされている。
店長は安っちいスチールのデスクにカードを置くように言った。
俺はその近くにある丸イスに座ると、カードを店長に見せる。
「ふうん……これ、子どもからカツアゲしたやつだよね?」
「え!?」
な、なんでそのことを知ってるんだ、こいつは!
俺が驚いていると、店長は笑った。
「そんなに驚くことはないよ。このカードゲームをする子は、
よく店に来るからね。今日来た子が言ってたんだよ。
レアカードを2枚、高校生にカツアゲされたってね」
なんだ。そんなことか。
でもそれじゃ、このカードは売れないってことか?
せっかく店まで見つけたのに……まぁ、悪いことはできないってことか。
「ちっ、わかったよ。このカードはアンタに渡す。
アンタからガキに返しておいてくれよ」
「それはいいけど……キミ、高校生? 何歳?」
「17」
「未成年か~……。色々問題はあるね」
問題? カードを返すのに、問題があるのか?
もしかしてカツアゲしたことが悪いからって、
警察に突き出して補導するとか!?
それか学校に言いつけて要注意生徒のレッテルを貼るとか!?
俺がびくびくしていると、店長は笑った。
「別に学校に言うとか、警察に通報するとか、そんなことじゃないよ。
普通は奪ったものだし、未成年だから換金はできないんだけど……
キミ、気に入った」
「へ?」
「お金は渡せないけど、ボクとカードで勝負しない? 勝ったら何かあげるよ」
なんだ、この店長は。
ずいぶん変わってるというか……。
小学生からモノを奪って、しかもそれを売りにきたやつだぞ。
正気か?
でも、タダで何かもらえるんだったら、勝負をしても構わない。
「あ、そうだ!
自己紹介がまだだったね。ボクは鳥星律。ここの店長やつてる。
年齢は……そうだな、キミと一緒で17歳ってことで」
「それは嘘だろ」
「あっは! だよね、サバ読んじゃダメか」
鳥星と名乗った男は、どうも実体がつかめない。
一体何を考えてるんだ……?
「ボクは自己紹介したんだから、キミもしてよ」
「俺は柊虎太郎」
「へぇ。こたくんか」
勝手に略すな、と言いたいところだが、まあいい。
別にカード店の店長なんて、どうでもいい相手じゃないか。
なんて呼ばれようが、深く考えることはない。
顔見知り程度……いや、それ以下の存在なんだから。
「じゃ、さっそくゲーム、始めようか?」
「いや、待て。俺はこのカードゲーム、ルールがわからないんだけど」
カードにはHPとかMPとか攻撃ポイントとか書かれている。
これって、カードを引いたりして、相手のカードにダメージを与えて……
とかそういうゲームだよな。
そういう細かいことはわからない。
不安げな顔をしている俺を見た鳥星は、手のひらサイズの箱を取り出した。
「うん。このカードは使わない。使うのはこっち」
出てきたのは……。
「トランプ?」
「うん。そーだなぁ、シンプルにババ抜きなんてどう?」
ふたりでやるババ抜きなんて、面白みに欠けると思うが。
カードは半分に分かれるんだ。
どちらがババを持っているかなんて、すぐにわかってしまう。
それに、相手が1枚カードを引けば、必ずペアになるカードがあるから
すぐ捨てることになる。
こんなの勝負とは言えない気もするが……。
どうせ家に帰ってもやることはない。
暇つぶしにつきあってもいいだろう。
「わかった。勝負する」
「そうこなくっちゃね!」
鳥星はずいぶん手慣れた様子でカードを切ると、
お互いにカードを配る。
ペアになっていたカードを捨てると、だいぶ枚数も減った。
ここからが勝負か。
「先、こたくんからどーぞ!」
にこにこ顔でカードを俺に差し出す鳥星。
迷うことはない。
あいつがジョーカーを持ってるのはわかっている。
でも、万が一引いてしまっても
今なら簡単に巻き返すことができる。
気楽に行こう。
勝ったら何かもらえるらしいけど、負けたら何かしろとは言われていない。
「これだ」
……よし。
ペアになった。
カードを捨てると、今度は鳥星の番だ。
考える様子もなく、1枚引いてカードを捨てる。
特に会話もないから、時計の音だけがカチカチと
店内に響く。
……手札は俺、あと3枚。鳥星4枚。
一度は俺にもジョーカーは回ってきたが、
今はやつの手の内だ。
ここから先は正念場だな。
鳥星はまだ余裕の表情だ。ジョーカーを持っているのに。
だけどこっちはジョーカーの場所もわかっている。
一番右端だ。
鳥星がカードを入れ替えたところも見ていない。
枚数が少なくなってから、ずっと観察していたから間違いない。
「……よし、これだ」
引いたのは……え?
ジョーカー?
なんでだ!?
俺は左端を引いた。さっきからジョーカーは右端だったのに!
「はっずれ~! ごめんね? 一番左が正解!」
鳥星は笑いながら俺の手持ちのカードを引く。
「まんまとだまされたね。ジョーカーはずっと右端だと思ってたでしょ?
確かにそうだった。けどね、彼はボクの意のままに操れるんだ」
「イカサマでもしたのか?」
「ひどい言いぐさだなぁ。
そんなことしなくても、運命はボクの手の内にいつもある。
……はい、上がり!」
鳥星の逆転負けをした俺は、なんだか気持ちがもやもやしていた。
ババ抜きごときでなんでこんなに熱くなるかは
自分でもわからないが……ともかく悔しい。
でも、勝負は勝負。負けは認めないとな。
「あー、ちょい待って」
家に帰るかと立ち上がると、鳥星はメガネを押さえて俺を引き留めた。
「まだ時間あるし、ボクにつきあってよ。
チャンスをあげる。ババ抜き再チャレンジ、なんてね」
「……今度こそ負けねぇぞ?」
一度立ち上がった俺だが、また再び席につく。
今度こそ負けない!
……そんな気持ちで再戦を挑む。
たかがふたりでやるババ抜きだが、どういうわけか
何度やつても鳥星に勝てない。
しかも、『こっちにババが確実にある』と思って他のカードを引くと、
それがババだったり。
カードが移動した?
そんなわけがない。
でも、鳥星がマジシャンか何かだとしたら……。
俺が不審に思っていると、鳥星は自分から否定した。
「ボクはマジシャンでもなんでもないからね?
イカサマもしてない。ただ、さっき言った通り、
運命はボクの手の内にいつもあるってだけ。
どんな不運でも、簡単にひっくり返せるんだ」
「ああ、くっそー!」
ババ抜きはまさかの全戦全敗。
普通だったら1勝くらいはできるはずなのに……。
「どんな不運も、簡単にひっくり返せる?
だったら俺も1回くらいは勝てたはずだけどな」
鳥星はデスクに置いてあったレアカード2枚を手にすると、
俺に言った。
「このカードは持ち主の男の子にボクから返しておくよ。
……と、こたくん」
「なんだよ」
「キミ、面白いね。気に入っちやつたよ」
「はぁ!?」
初対面の女の子に言われるならまだしも、こんなひょろメガネに言われても
嬉しくない。
しかも俺が面白いって!?
それって、ババ抜きで1回も勝てなかった負け犬だって意味なのか?
「ふざけんな! どこが面白いんだよ!」
「……そうだなぁ、自分の人生が不運だって勘違いしてるところ、かな」
「なっ……!?」
「不運な人生なんて、世の中にはたくさんある。
キミも本当は知ってるはずだよ? 今日は特別大サービス!
ボクを楽しませてくれたお礼をしてあげる」
きらりとメガネが光る。
お礼……? 一体何をする気だ?
『こんな不運な人生、キミはどう思う?』
鳥星の声が遠くに聴こえる。
俺はいつの間にか、目を閉じて眠りについていた。
「……い、おいっ!」
「えっ……? うぐっ!!」
起きた瞬間、腹を思い切り蹴られる。
その痛みに思わず腹を手で押さえ縮こむが、
今度は背中を蹴られた。
ゆっくりと目を開く。
新聞紙やはずれ馬券、空いた酒瓶やビール缶が
部屋中に散らばっている。
オレは自分を蹴った相手を見上げる。
父さん、また競馬に負けてお酒飲んだんだ。
「誰が勝手に寝ていいと言ったっ!」
そんなこと言われても、耐えられなかったんだよ。
だって昨日はずっと、オレのことベランダに
一晩中出していたじゃないか。
「今から酒とたばこ買って来いっ!!」
「酒って……今は未成年者じゃどこでも売ってもらえないよ」
「ともかくどうにかして手に入れてこい! 盗んでもいい!」
「ぐはっ!」
脇腹を踏みつけられたオレは、痛みに苦悶の表情を浮かべる。
父さんはそれを楽しそうに眺めている。
どうしてオレはこんな目にあってるんだろう。
夢だったらいいのに。
夢なら……もう一度眠ればこんな悪夢から目を覚ますことが
できるかもしれない。
「クソガキ!! 寝てんじゃねーよっ!!」
父さんが叫ぶのを聞かず、俺は再度眠りに落ちた。
……再び目を覚ますと、そこは静寂の世界だった。
さっきオレを怒鳴って、暴力を振るっていた男はいない。
やつぱりあれは悪夢だったんだ。
だとしたら、今は?
部屋の中は相変らず汚い。さっきよりもだ。
腐った食べ物のにおいが鼻につく。
しかし、ものすごい空腹だ。
何か食べ物を……と探すが、冷蔵庫の中にも腐敗した食べ物しか
入っていない。
それなら水を飲みたい。
でも、水道のレバーを押しても水は出ない。
もしかして……電気も水道も止められたのか?
オレは腹を抱えてうずくまる。
しばらく待っていると、ドアからガチャリと音がした。
酔っぱらった母さんが、玄関先に倒れ込む。
オレはふらつく足で母さんの顔をのぞきこむ。
「……あんた、まだ生きてたの?」
母さんの息は酒くさかった。
相当酔っぱらっているようだ。
「ねえっ! 食べ物……お腹へったよ!!」
母さんを揺さぶるが、そのまま眠り込んでしまっている。
俺のことなんて、どうでもいいんだ……。
今までに感じたことのない虚無感。
その場に人がいるのに、孤独を痛感する。
そうだ、そのあとだ。
母さんはひとりの男を連れてきた。
それがあの男……。
オレを助けてくれる人はいない。
誰も……誰ひとりも……。
結局オレは、不運なままだ。
『生まれてこなければよかったんだ』
そうつぶやいた瞬間、小鳥の鳴き声が聞こえた。
――朝だ。
ゆっくりと目を開けると、俺は自分の部屋にいた。
どういうことだ?
男に蹴られたところを見ても、あざひとつない。
痛みも、空腹感もなくなっている。
「くそっ、胸糞悪い夢、見ちったな……。
二度寝するか」
もう一度布団に入ったとき、枕元に何かあるのに
気がついた。
「なんだ? これ」
それはカードだった。
ただし、あのレアカードではない。
タロットみたいな図柄だ。
その下部には、小さく『de code』と書かれている。
『de code』……『デ・コード』?
あのカード屋のことか?
こんなカードをなぜもっているのかもわからないが、
昨日あれからどうやつて帰ってきたのかも覚えていない。
一体俺に何があったっていうんだ?
「もしかしたら、またあの店に行けばわかるかもしれねぇ」
とりあえず学校に重役出勤する前に、
あの店をのぞいていこう。
鳥星がいれば話を聞くこともできるかもしれない。
昨日あのあと俺はどうなったのか。
俺は朝メシにシリアルを食べると、学ランを羽織って
家の鍵を閉めた。
朝10:00。
普通の店なら開店する時刻だ。
だが、デ・コードは開く気配がない。
……なんでだ?
店の前まで行ってみると、小さく営業時間が書かれていた。
『平日15:00-18:00、土休日10:00-18:00』
そうか。
ここに来る客はほとんど小学生かせいぜい中学生。
だからその放課後しか開店しないんだな。
土日は休みだから朝から開くと。
まったく、無駄足だったぜ。
朝メシが軽かったので、腹がへった。
俺は学校に行く前に軽く飯でも食うかと、牛丼屋へ行くことにしようと
思った。だが……。
「君、高校生か? その学ラン……常盤西高校生だな。
こんな時間に何をやつている!」
やべ、警察!?
これは捕まるとヤバい!
補導される!!
俺はカバンを持つと、とりあえずダッシュで走り出す。
仕方ない、登校すりゃいいんだろ!?
運動は得意な方だから、大人をまくのは簡単だった。
学校に到着したのは、すでに12:00。
昼休みだ。
まぁ、昼休みが終わっても、俺は屋上でサボる予定だけどな。
ヘアピンで屋上の鍵を開けると、
俺はいつも河川敷でしていたように
カバンを枕にして空を見上げた。
今日見た夢はリアルすぎた。
起きてから、ケガなどはなかったし、
痛みや空腹も感じなかったけども……。
「あれは夢の域を超えていた」
鳥星は確かに言った。
『不運な人生なんて、世の中にはたくさんある。
キミも本当は知ってるはずだよ?』
不運な人生か。
俺の予想が当たっているなら……あの夢はふたつとも虐待だ。
父親に暴力を振るわれている夢と、
母親にネグレクトされている夢。
それを鳥星が俺に見せたっていうのか?
はっ、あり得ない。
人の夢を操作なんて、できるわけないだろう?
だとしたらきっと、俺は鳥星の言葉の意味を汲み取って、
勝手に俺が思う『不運な人生』の夢を見ただけだ。
『不運は簡単にひっくり返せる』。
鳥星はそう言って笑った。
本当にそうなのか?
あんな苦痛を強いられた人間たちは、本当に救われるのか?
俺はそうは思わない。
運命は変わらない。
鳥星が言うように、俺なんかよりも不運な人生を送っている人間なんて
たくさんいる。
それでも俺は自分が不運だと感じてしまうんだ。
悲劇の役者にも正義のヒーローにもなれない、
中途半端な人生。
ただただ毎日、空を眺めて過ごすだけ。
こんなにむなしい人生、ないだろう?
運命は変わらない。一発逆転もない。
俺は空虚な毎日を、消費していくだけなんだ。
「あーっ! こたパイセンみっけ!」
……うるさいのが来たな。
きっと屋上の鍵が開いているから、気づいたんだろう。
「せんぱ~い、朝学校いませんでしたよね。サボりですか?」
「ああ、そして午後もサボる」
「じゃあオレもサボろっかな!」
「お前はまともに授業出ろ……ったく、なんで俺につきまとうんだよ……」
「あんなときに助けてもらったら……つきまとうに決まってるじゃないですか」
「あん?」
「もうっ! 忘れたんですか、あのときのこと」
太陽が話し出したのは、1学期の頃のことだった。
どうやら俺は、クラスメイトにいじめられていた太陽を助けたらしい。
ま、そんなこともあったかもしれない。
自分でも損な性格だと思う。
見て見ぬフリをすればいいのに、勝手に首つっこむところなんかそうだ。
この間の亀もそうだ。
あの亀を助けたのは、正解だったのか?
ガキどもが言ってた通り、あの亀は死ぬ寸前だった。
放っておいても死んでいただろう。
だからと言って、殺すのは間違っている。
でも、川に返してやつても、結局死んだんだ。
……何があったかは知らないが、あの亀も不運だったんだな。
太陽もそうだ。
俺が中途半端に助けたせいで、確実に俺の悪い影響を受けている。
「オレ、パイセンみたいになりたいんです! クラスメイトに殴られたり蹴られたり
今もするけど……パイセンみたいに強くなりたいって!」
「俺は別に強くねーよ」
「そんなことないです。でも、オレ不運っていうか……」
『不運』ね。
鳥星の言葉を思い出す。
『不運は簡単にひっくり返せる』。
さっきからこの言葉が頭の中をめぐる。
本当にそれができるのなら、太陽のいじめもなくなるんじゃないのか?
やつぱりそれができないから、太陽は俺につきまとうんだ。
そのとき腹の虫の音が聴こえた。
俺じゃない。これは……。
「パイセ~ン、お腹へったぁ~」
「弁当はねぇのか? それか購買でパンでも買ってこいよ」
「オレ……お金ないんです」
おいおい、カツアゲにでもあったのか?
って、俺がきくのもおかしいよな。
小学生からカツアゲしてた高校3年だぞ。
こうなったらしょうがねぇ。
「ついて来い。購買でパン、おごってやる」
「ホントですか!? やつたぁ~!」
太陽は子犬みたいにしっぽを振って俺にくっついてくる。
嫌な気分じゃないけど、このままだとこいつの将来が心配だ。
今は俺が学校にいるからいいけど……俺は何もなければ来年卒業する。
そうなったらこいつは学校にひとりだ。
いじめにあわないで済むのか?
鳥星の言う通り……運命をひっくり返すことができるのか?
夕方まで学校の屋上で過ごすと、俺はデ・コードへ向かった。
相変らずクソガキどもで混雑している中、
鳥星はそれをにこにこしながら眺めている。
気楽なやつめ。
そもそもなんでこんなカード店なんて開いたんだ?
鳥星はあのゲームのカードにさほど執着しているようには
見えなかった。
なのに、なんで……?
じっと見つめていたら、鳥星が俺の視線に気づく。
軽く手を挙げる鳥星だが、自分のデスクから離れる気配はない。
今日も18:00まで待つハメになりそうだ。
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