檸檬

ツチノコのお口

檸檬

 一口、二口。

 独特の苦味が鼻腔を刺激する。やはり、檸檬は苦手だ。昔から、ずっと、ずっと……。

 それでも、今は、どうしても食べるしかないんだ。口の端から垂れた檸檬の汁を啜りながら、決意を固める。


 †


 子供の頃、唐揚げにレモンをかける大人に憧れていた。レモンだけじゃない。ピーマンやゴーヤ、コーヒーを平気な顔で口にできる大人に憧れていた。

 自分には、到底無理だ。

 そして、こうも思った。『大人になったら、きっと、今苦手な食べ物を全て克服できるんだ』と。


「なー、唐揚げにレモンかけていい?」

 結論、克服できなかった。コーヒーは飲めるようになったし、ピーマンやゴーヤは好まないが普通に食べる。

 レモンだけ、どうしてもレモンだけは無理だった。


「おいお前、俺がレモン苦手なの知ってるだろ」

「いいじゃん、俺が好きなんだから」

 そう言って、満遍なくレモンをかけてくれやがった。


 こいつはいつもこうだ。

 小学校で初めて出会ったあの日、転校初日だったはずのあいつはクラスの女子という女子を虜にしていた。

 顔も良い、コミュ力も高い、ありとあらゆる流行りに乗っかれる、それでいて悪口を絶対に言わない。

 その代わりに、自分こそ世界の中心だと思っている節がある。


 なぜ、俺みたいな平凡な奴があいつと仲良くなれたのか、正直よく分からない。

 席が近いわけでもなかった。なんならちょっと遠かった。遠目で「羨ましいな」だなんて友達と話してた記憶もある。


 公立の中学校に上がって数ヶ月経ったある日、聞かれた。

「お前って、妹いるよな?」

「は?今更?いるけど……どうして?」

「可愛いよな」

「は?」

 あのときの、あいつの表情。今でも覚えてる。

 妹に惚れていた。しかし、恋愛対象としてでない。あいつは、女を消費物だかなんだかと捉えているのだろう。

 家に着くと謎の不快感が自分を襲った。たまらずトイレに駆け込めば、込み上げてくる不快感の正体は、あまりにも自然に吐き出せた。

 鼻の奥から謎の柑橘の風味を覚え、戦慄した。

 どれもこれも、全部檸檬のせいだ。


 †


「こんなファミレスに呼び出しやがって、どうせ嫌がらせでもさせられるんだろうと思ったけどな」

 そう言いながら、おそるおそる唐揚げを摘む。

「おえっ」

「無理なら食わなきゃいいのに」

 笑いながら話す目の前のクズに軽くチョップをする。

「お前さっ、どうせ割り勘なんだろ?」

「いーや?今日は全部奢るよ」

「まじ!?じゃあ好きにレモンかけろよ、俺普通に食いたいヤツ食うから」


「で、わざわざ女複数持ちの有名人さんが俺になんか話が?」

 カレーライスを頬張りながら、尋ねる。

「デートとか、毎日のように行ってんじゃんよ。いいのかよ、俺と一緒にいて」

「お前、妹いたよな?」

 最悪だ。1番聞きたくない言葉だ。


「なんだよ、どうしたんだよ」

「蜜柑ちゃん、だよね」

「なんだよ」

「お悔やみ申し上げますよっと」

 この後にご馳走様とでも続きそうな程にフランクなお悔やみだった。無性に腹が立つ。

「なぁ、俺の事呼んでおいて、その事を話に出しておいて、なんも無いわけないよな?お前、蜜柑のことなんか知ってんのか?」

 ここがファミレスじゃなければ、今すぐにでも殴りたい気分だった。つい先日、行方不明になった妹の話を掘り返されてしまえば、誰だってこうなるだろう。


「蜜柑ちゃんはね、俺のナンパに乗らなかったんだよ。だから、本気で口説いてみた。でも、それにも乗らなかったんだ」

 淡々と話し始めるクズへの苛立ちを塞ぐため、唐揚げを摘む。レモンがかかっていたことを忘れていたが為に、むせてしまった。

「俺の思い通りにならない女は久しぶりだった。興奮して、君にも話してしまった。だいぶ前のあの日のことさ。覚えてる?」

「あぁ、忘れたくても忘れられねぇよ」

 俺は今、とても不快だ、と表情で訴える。

「怒ってる?ははっ、久しぶりに見たよ、お前が怒ってるの」

「いいから、続けろよ。出来れば手短に」


「それ以来、色んな女で更に試して見たけど、口説いても乗らなかったのは蜜柑ちゃんだけだった。だから、ようやっと動くことにしたんだ」

「…………10月10日か?」

 蜜柑が、行方不明になった日だ。

「そう。蜜柑ちゃんを脅して、山の中に拉致した。続きはそこで話そうか?」

「あぁ、そうしてくれ。せめて、遺体でもいいから、手向けたい」


 †


 10月の山道ともなると流石に厳しい寒さが、肌をつんざく。

「ははっ、寒いな……」

 彼は今日、ずっと笑顔だ。

「ここで、蜜柑は……」

「お前と仲良くしてやってたのも、蜜柑ちゃんの兄だからだったんだよ。妹の情報を得るには、兄から攻めなきゃ」

「賢いな。女遊びの天才だよ、お前は」


 暗くてよく見えないが、小屋らしきものが見える。

 便宜上『小屋』としたが、そんな大層な代物では無い。こじんまりとした、人1人分くらいの小さなものだ。

「開けても?」

「いいよ、なんもないと思うけど」

「なんもない……?蜜柑は!?まさか、もう埋めたのか!?」

 彼は胸ぐらを掴みながら問いただす俺に、流石に恐れおののいたのか顔を引き攣らせた。


「そんな事ないよ!ただ、今日はその事が話したかったんだよ。君に隠していても、後々バレたらたまったもんじゃない。口封じをする前に少しだけ話をさせてよ」

 凄くすんなりと暴露されたが、どうやら俺は殺されるらしい。今からでも、今からでも俺は逃げられるだろうか。

 そんな心配など気にもとめず、目の前の変態サイコパス野郎はコホン、と咳を零した……

 

「蜜柑ちゃんはね……いい歯ごたえだったよ」

「……………………は?」

「今日のモーニングでいったんだけどね、肉質もよく、コリコリとした食感がたまらない。塩だけで食べたけれどあれは失敗だった。鍛えられた体っていうのはね、ジューシーさに欠けるんだ。もっと味にパンチのあるソースにするべきだった。あとはね、ストイックすぎたね。美味しかったのに可食部位が少なすぎた。もう少し肥えてた方が良かったかもな……」


 ………………………は?

 こいつは、何を言っているんだ?

 いや、こいつが言っていることは分かる。こいつが何をしたのかも分かる。

 けれど、蜜柑が何をされたのか、脳みそが受け入れようとしない。

 だめだ、無理だ、無理だこれ。

 生理的に、こいつは無理だ。

 俺はこのまま死んでしまうのもありかも、だなんて思ったが、そんなの嘘だった。

 こいつは、生きてちゃだめだ。

 こいつが生きて、俺が死ぬのは、社会的にだめだ。


 気がつけば脚が動いていた。

 憔悴しきっていた自分が、反撃してくるなど考えもつかなかったのだろう。綺麗にバランスを崩し、頭から倒れた。

 殴ることも出来た。股間を蹴り潰すことも出来た。

 だけど、俺が真っ先に行ったのは、噛むことだった。目の前の肉塊の首筋を噛んだんだ。

 常日頃から歯磨きを行い、しっかりと丈夫に育った歯は、想像の何十倍も鋭かった。


「ごめん……ごめんよ蜜柑……こんな、こんなクズから守れなくて……せめて、せめて顔だけでも見たかった……」

 いや、まて。蜜柑自体は目の前にいる。

 その、肉塊の中に。

 いやいや冷静になれよ。それはもう蜜柑じゃない。ただの肉だ。それに第一、こいつの胃袋ごと切れてしまうような鋭いものなど、こんな山奥には……


「いや、さっき自分でやったじゃないか。今この場にある何より鋭いもので、こいつを」

 そうだ。俺にはある。持っている。脅威の鋭さを誇る、最強のナイフ。

「蜜柑、ごめん、ごめん!待ってろよ!」

 俺は、肉塊にかぶりつく。

 到底食える味などではなかった。


 †


 翌日、学校中がひとつのニュースで持ち切りになった。

 学校1のスポーツ女子、蜜柑に続いて、学校1のモテ男、『吉村檸檬』まで行方不明になったのだから。

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