第3話 師団長との出会い

 

 広間から脱出したルセーネは、その足で屋敷の最西の部屋に向かった。

 扉には葡萄の蔦の模様の彫刻が施されているのを見つける。


(あった、葡萄だ)


 この屋敷に招かれる前に、9時に葡萄の模様の扉の部屋に来るようにと言われていた。扉の前で深呼吸して、ノックをする。中から女性の声が「どうぞ」と許可をしたので部屋に入ると、部屋には嫌な空気が充満していた。魔物の気配にも似た嫌な空気だ。


「はじめまして。ご依頼をいただきました、ルセーネと申します。ご依頼者のシリル様は……」

「息子よ。さ、早くこっちへ」


 部屋の中央には、天蓋付きの大きな寝台が佇んでいて、その上に少年がぐったりした様子で横たわっている。額に脂汗を滲ませていて、呼吸は荒い。そして、彼の首には、黒い痣が広がっていた。


(魔物の『呪い』……)


 寝台横の椅子に腰を下ろして、痣を観察する。黒い痣の中に、より色の濃い噛み跡が残っていた。

 魔物は、自然の力か、人間の負の感情から作られた魔素を糧に生まれ、魔素を吸収して成長する。そして時に、人間に呪いをかけて苦しめ、それにより生まれた負の感情を搾取することがある。


「シリル様は2週間前に魔物に噛まれたんですよね。蛇の形をした……」

「ええ。それから坂を転げ落ちるように具合が悪くなっていって……」

「そうなんですね」

「ねえ、この子をなんとか助けてちょうだい! お金ならいくらでも払うわ」

「……もう少し、よく診せてください」


 今日、この屋敷を訪れたのは、他でもなく依頼を受けたためだ。伯爵夫妻のひとり息子のシリルは呪いをかけられており、その延命を行ってほしいとのことだった。

 伯爵の方は息子に無関心で、度々夜会を開いて夜中まで遊んでいるとか。そのおかげで、夜会に出されたご馳走を好きなだけ食べていいと夫人には言われたのだけれど。


 呪いを解く方法は、呪いをかけた魔物を倒す以外にない。だから基本的に、魔物に呪いを受けた場合は、魔物に生命力を吸い取られて死ぬか、退魔師に神力を注いでもらって延命しつつ、呪いをかけた魔物を倒すのを待つしかない。


 シリルは、多くの退魔師に神力を注がれ延命措置を施されたが、呪いの進行を留めることはできなかった。そして、本体の魔物はいまだに見つかっていない。


 そこで、不思議な力で魔物を倒すと話題のルセーネにも依頼が回ってきた。炎で呪いを焼き切ることはできないか――と。


 そっと手を伸ばして、シリルの首に触れる。意識を澄ませて、彼の体内に侵食した呪いの具合を探る。


(……これは、ひどいな)


 シリルの場合、身体の奥深くまで魔物に蝕まれていた。

 ルセーネは夫人の方を振り返る。


「呪いはシリル様から相当な魔素を吸収し、生命を蝕んでいます。このまま本体の魔物が討伐されなければ……」


 もう長くない。喉元まで出かかったその言葉は飲み込む。


「分かっているわ。だから、少しでもこの子を楽にしてあげたいの。あなたは変わった力を持っていると噂で聞いたわ。だからその力を貸してちょうだい」

「おかあ、さま……。苦し……いよ」

「大丈夫よ。シリル。すぐに楽になるからね。あと少し頑張ろうね。お母さまは傍にいるわ」

「……うん」


 苦しそうに顔をしかめて、弱々しく声を漏らすシリル。夫人は彼の手を優しく包み込み、宥めるように撫でた。


『ルセーネ。お前にはおじいちゃんがついてるからな。大丈夫だぞ』


 夫人の姿に、大好きだった祖父の姿が重なって鼻の奥が痛くなる。

 ルセーネは夫人の方を向いて言った。


「ちなみにそれって、失敗したらどうなるの……?」

「分かりません。やってみないことには」


 夫人はしばらく悩んだすえに、試してほしいと言った。他に何かを頼ることもできず、藁をも掴む思いなのだろう。


「分かりました。では、シリル様。大丈夫ですか?」

「何……するの?」

「首がちょこっと熱くなるだけです。頑張れそうですか?」

「ちょこっとなら」

「偉いですね」


 ルセーネは横になっているシリルの首元に手をかざす。すると、緑色の炎が痣の上だけで燃えて、黒い痣がかなり範囲を狭めた。


(うまくいったみたい。呪いが小さくなった……! もっと燃やせば、本体との繋がりを断ち切ることができるかも)


 魔物の気配も小さくなっている。しかし、呪いを焼き切るより先に、シリルが半身を起こして激しく咳き込み出した。呪いを焼いたことで、好転反応が起きたのだ。


「うっ……げほっげほ……ごほごほっ。熱い、苦し……っ」


 魔物の気配も小さくなっている。しかし、呪いを焼き切るよりも先に、シリルの胸の炎を見た夫人が声を荒らげた。


「ちょっと! あなた一体シリルに何をしたの!?」

「心配しなくても、この炎は人体には無害です。お身体を傷つけないように注意しているので! 呪いは小さくなりました。もう少し燃やせば、本体からも剥せるはず――」

「まだこれ以上やるというの!? この子におかしな真似しないで!」

「ええっ!? 頼んできたのはそちらで――」

「最初から胡散臭くて怪しいと思っていたのよ……!」


 彼女はルセーネの弁明には全く耳を傾けようとせず、「出て行け」と怒鳴りつけてきた。


「ですがあの、まだ料金をいただいていなくて」

「あなたに払う金はないわ! 早く出て言って! この詐欺師!」

「詐欺師!?」


 詐欺師というワードに、目をまん丸に開く。狼狽えて立ち尽くしていると、水の入った洗面器やら、果物やら、クッションやらを投げつけられたので、転がるようにその部屋から逃げた。


 ルセーネは葡萄の蔦の絵が描かれた扉を睨みつけ、下瞼を指で引き下げ、べっと舌を出した。


(詐欺師はどっちよ! 呼ばれてももう二度と来ないんだから!)



 ◇◇◇



 依頼料未払いの上、詐欺師扱いされて追い出されたルセーネ。頬を膨らませてもう一度屋敷の方を振り返ったあと、ごそごそと鞄の中からサイフを取り出して中身を確認するが、すっからかんだった。ひっくり返して振ってみても反応がない。


「…………」


 さて、今日は一体どう帰ろう。屋敷にはいくつかの馬車が待機しているが、金がなければ乗せてはくれない。貴族ですらなく、貧乏人のルセーネは、帰りの運賃を払うことができない。退魔師の仕事の報酬をすっかりあてにしていたのに。


(困ったなぁ。歩いて帰るにしても、このお腹じゃ……)


 そっと視線を落とすと、夜会で食べたご馳走のおかげで腹部が膨らんでおり、重量感がある。欲張って三日分は食べたのがここに来て仇となった。


(やっぱり私、誰にも必要とされないのかな。誰のお役にも立てない存在なのかな。これじゃあ、塔の中にいたときと、何ひとつ変わってないや……)


 生贄として過ごしていたときと同じように、無駄な時間が過ぎていくだけなら、それって生きている意味があるのだろうか。

 真っ暗な夜道をとぼとぼと歩いていると、道の脇の茂みからがさと音がして、白い蛇が飛び出してきた。

 赤い目を爛々と光らせたそれは、魔物だ。


「――あっ! 呪いの本体!」


 ルセーネは肩を落としていた姿勢をびしっと正し、指を差した。どこで見を潜めていたのか知らないが、シリルを呪ったのは白蛇の形をした魔物だと聞いている。


(あれを倒せば、シリル様は呪いから解放される……)


 料金は踏み倒されたし、暴言まで吐かれてしまったけれど、シリルに罪はない。

 ルセーネは手のひらに炎を灯し、白蛇の方へ走る。


「こらー! 待てーーっ!」

「!?」


 魔物はルセーネの剣幕と神力の気配にびくっと怯え、全力疾走で遠くへと逃げていく。見たところ、明らかに下級魔物だった。


「あんたのせいでこっちは詐欺師呼ばわりされて、大変な目に遭ったんだから……!」


 お腹が重くて、全然足が回らない。ぜえぜえと息を切らしながら魔物を追いかけたところで、光る剣が魔物を上から下に貫き、地面に突き刺さった。


 魔物は断末魔を上げたあと、絶命した。これで、シリルの首に発言していた痣も消失したことだろう。

 魔物を瞬殺した男は、何事もなかったかのように剣を収め、玲瓏と告げた。


「――遅かったな」

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