塔の中で人生を諦めていた生贄令嬢、呪われ公爵に救われて才能が開花する。

曽根原ツタ

第1話 囚われた生贄令嬢

 

 ルセーネは7年間ずっと、薄暗い塔の中にいた。

 最初のころは、押し潰されそうな孤独と不安の中、暗闇を掻き分けた先に弱々しく灯る光を仰ぐように祈っていた。いつかもう一度、外の世界に出たいと。けれど7年も経てば希望も潰えて――何もかも諦めてしまった。


(――もう全部、どうでもいいや)


 ノーマイゼ王国の北部の小さなデルム村に、ある古い高塔がある。百年ほど昔、その辺りは貴族の狩猟場で、この塔は狩猟期間中の仮の住まいとして使われていた。

 それが今は、ひとりの生贄と魔物を閉じ込めるための檻となった。


 ぐうう。静かな檻の中に空腹を訴える音が響く。


(何も食べたくないのに……お腹は空く。なんだ、私まだ生きてるんだ)


 生きているという事実に落胆する自分がどこかにいる。何度も何度も、暗闇に溶けて消えてしまえたら楽なのにと思っていた。


 鉄格子の向こうに置かれた皿を眺めて、小さくため息を漏らす。硬いパンがひとつ皿の上に乗り、その横に一杯のスープと水が添えられている。囚われた7年間、一度もメニューが変わることがなかった。


 石造りの床に手を着き、皿を引っ張って寄せる。動いた拍子に、足首に付けられた枷がカチャリと擦れて音を立てた。


 冷めきったスープに手をかざすと、皿ごと緑色の炎に包まれる。ほんの数秒でスープはほかほかと湯気を立て、程よい温かさに調節された。


 この世界には魔物なるものが存在し、時に人を襲い、田畑を荒らすことがある。魔物は大気中に存在する魔素を糧にして生まれ、育つ。そして、魔素は自然の力と、人の負の感情から放出されると言われている。


 魔物の活動の源である魔素と対になる神気は、大気に宿る正のエネルギーそのもの。神気は人の祈りや希望という正の感情から放出される。そして、その神気を源とする神力を操り、魔物と戦う者たちをこの世界では――退魔師と呼ぶ。


 ルセーネも神力を扱う素質を持っており、神力を炎に変える類まれな才能も持っていた。

 ずばぬけた神力を保有しており、ある凶悪な龍の魔物を封じるために、生贄としてこの塔に閉じ込められた。


 ルセーネの足枷は下の階にいる龍と繋がっており、ルセーネの神力を送り続けることで、活動を停止させているのだ。

 この国では時々、退魔師への報酬を支払えない村などで、魔物を封じるために生贄が使われることがある。

 生贄を捧げることは犯罪だが、卑しい孤児や罪人などが用いられるため、取り締まりは甘く、平和を守るための暗黙の了解となっていた。


 塔の中は退屈でやることもなく、ひたすら、ひたすら、ひたすらに神力を叩き上げるしかなかった。そうしていつの間にか、不思議な炎を操れるようになっていたのだ。

 手のひらに灯る緑色の炎は、握り締めたと同時に消失する。


 皿を膝の上に起き、スプーンでひと口スープを口に運ぶ。具は少なく、古くなった野菜が使われていて味が薄い。はっきり言って不味い。

 龍を封じて民衆を守ってやっているのに、ちっとも大切にしてくれない。


 ルセーネは山奥で年老いた祖父と慎ましく暮らしていた。しかしあるときルセーネは生贄に選ばれて捕まった。


 そのとき、こつんという足音が鼓膜を揺らした。はっとして顔を上げれば、人影が見えた。

 この檻はほとんど光が差し込まないので、はっきりとその姿を確認することはできない。食事を届けに来る看守は一日に三度しか訪れない。つい先程二度目の食事が運ばれてきたばかりなのに。


「誰……なの?」


 男は王国騎士団の制服を着ており、腰に引っ提げていた剣を引き抜いた。その刹那――剣身が白い光を帯びる。


(剣が、光って……)


 退魔師の中でもとりわけ優秀な者は、王国騎士団への所属が認められ、聖騎士の地位が与えられることがある。

 男が神力を込めた剣を振りかざすので、びっくりして固く目を閉じる。恐る恐る瞼を持ち上げると、彼が鉄格子を斬っていた。


「え……?」


 呆気に取られているルセーネに、彼が告げる。


「――君を逃がす。早くここを出ろ」


 それは、川を流れる水のように澄んだ声だった。


「どうしてここが分かったんですか?」

「視察に来たら、窓から下手くそな歌声が聞こえてきた」

「下手くそ」


 確かに暇すぎてたまに歌を歌うことはあるけれども。がくっと膝から崩れ落ちるが、気を取り直す。


「じゃなくて、その……私が逃げれば、下の階に眠っている龍が解き放れちゃうんですよ」

「別に、君がそうして永遠に暗闇にいたいと思うならば無理強いはしないが」

「いいえ……。いいえ、思いません……」


 身を乗り出すようにして、ふるふると首を横に振った。

 塔に閉じ込められてからずっと、外に出ることを願わなかった日はない。誰かが助けてくれる日を待ち焦がれていた。

 だが、窓から空を拝むことしかできない時があまりにも続くうちに、全てを諦めていった。

 

「――長い間、よく辛抱したな」


 男はこちらに手を差し伸べる。願い続けていた手がそこに。


「心配するな、俺は強い聖騎士。どんな魔物にも負けはしない。君にはこれから輝かしい未来が待っている。だから――この手を取れ」

「…………」


 透き通るような声に告げられ、鼻の奥がつんと痛くなった。ずっとひとりぼっちで、誰かに慰めてほしかったから。


(輝かしい未来……。なんて、優しい、声……)


 ルセーネは押し付けられた役目を放棄し、男の言葉を信じてその手を取った。大きくて節のある手に引き寄せられ、鉄格子の外へと足を踏み出す。

 彼は光をまとった剣で――ざんっとルセーネの鎖を断ち切り、外へと連れ出した。大きな手に頭を撫でられ、目頭が熱くなる。


 7年ぶりに感じる外の世界は、何もかもが新鮮で愛おしかった。眩し過ぎる青い空に目を眇める。

 心地の良い風が頬を撫で、鳥の羽ばたきが耳を掠める。


 そっと視線を上げるが、ルセーネを助けてくれた男は、ローブに身を包みフードを深く被っているため顔がよく見えなかった。しかし、フードから束ねた長い黒髪が垂れているのは確認できた。


「あの……あなたは一体どなたですか?」

「名乗るほどの者ではない。それより、ここを南に行けば人里に出る。この村からできるだけ遠いところに行くんだ。いいな」


 彼はそう言って、大金が入った皮袋をこちらに託した。その直後、地面が地震のように揺れ、塔が大きく音を立てて崩れ始めた。


「ひっ……」


 建物の中から、瞳を炯々と光らせたと大きな炎龍が現れる。それは、人が太刀打ちできるような存在には見えなかった。


(どうして……? 私がこの塔に入ったときは、もっと回り小さくて弱そうな龍だったのに)


 ルセーネの神力で弱体化させていたはずなのに、話が違うではないか。

 男はルセーネを庇い立ち、剣を引き抜きながら叫んだ。


「――早く行け!」

「は、はい……!」


 ルセーネは彼の命令に従うしかなかった。


「はっ、はぁ……はあ、はっ」


 運動不足に体力の衰え。昔はいくら走っても平気だったのに、体が鉛のように重く感じた。

 でも、疲れた身体に反して心は驚くほどに高揚している。頬を撫でる風も、足の裏に伝わる大地の感触も、目に映る景色も、何もかもが新鮮で愛おしい。


「はっ……はぁ……」


 息も絶え絶えなのに、心は軽い。

 ようやく解放された。

 ようやく自由だ。

 その喜びばかりが湧き上がる。


(あの人はきっと……無事だよね。だって、強い聖騎士って言っていたもの)


 皮袋を確認したとき、そこに引っかかっていた金のブレスレットが滑り落ちた。そっと拾い上げてそれに視線を落とす。


 赤い石が埋め込まれている以外に特に装飾がない、シンプルなデザインだが、本物の金の重さがあり、上質なものであることが素人目に分かる。もしかしたらあの人の、大切なものかもしれない。


(生きていれば、きっとまたいつか会える。そういうことだよね)


 もしもあの人にまた会えたら、このブレスレットを返そう。

 ルセーネはそう思いながら、ブレスレットをぎゅうと握り締めてから、自分の腕につけた。


 丘を降り終わったあと、塔の方を見上げると、緑色の炎が高く登っていた。





 あの龍がその男に死の呪いをかけること、そして再びルセーネの前に立ちはだかることを、このときの彼女はまだ知らない――。

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