エンタメ短編「真珠と海と誇りと」

木村 瞭 

第1話 「月の涙」と「エラ」と潜水士と 

 「月の涙」・・・オーストラリア先住民アポリジニの言葉で「真珠」のことである。

明治の昔から、オーストラリア北部の群青の海に、日本の男たちが真珠貝を求めて命懸けで潜った。水潜りと貝捜しの唯一の適格者かと思われた日本人は、卓越した潜水技術と熱心さで、他民族の追随を許さなかった。

潜水病に命を奪われた者、大金を手にした者・・・真珠産業に引き寄せられ、あらゆる民族が行き来した町ブルーム、肌の色を越えた愛の物語も此処で生まれた。

 「エラ」・・・「光」という意味とギリシャ神話の「月の女神」という意味を併せ持つエラの名前。シンデレラの本名と言われる「エラ」の名前が運命の赤い糸を手繰り寄せた。

アポリジニの血を引くエラ・スミスは五十五年前、二十一歳の時にこの町で恋に落ちた。相手は一獲千金を夢見て日本から渡って来た大島高志。優しさと意志の強さが宿る切れ長の眼。真珠貝取りの潜水士だった。和歌山県太地町近くに生まれ、船員の養成機関である海員学校(現海上技術短期大学校)の出身。二十五歳でブルームにやって来て、大臣級の報酬を得る潜水士の一人にすぐさま選ばれた。

 大島が日用品を買いに入った町の雑貨店「よろず屋」で二人は出逢った。

エラの父方の祖父は中国人、祖母は天草出身の日本人。母方はアポリジニと英国系。少なくとも四つの血が流れるエキゾチックな眼元は忽ち大島を虜にした。或る日突然ハチに刺され、その愛の針が彼の身体に残ってしまったかのようだった。

大島の一目惚れだった。

「よろず屋」の店員だったエラ目当てに一日に六回も七回も通い詰めた。

「歯ブラシ下さい」

「歯磨き下さい」

「靴下を下さい」

「シャツを下さい」

「ハンカチを下さい」

「タオルを下さい」

最初、エラは大島を胡乱な眼で見ていた。

あの人、ちょっとおかしいんじゃない?・・・

だが、毎日、大島の飾らぬ言葉使いや素朴な態度と接しているうちに、あの人、悪い人じゃないようね、とも思い始めた。エラは次第に笑顔で対応するようになった。

仲を取り持ったのは採貝船で働いていたアポリジニの青年だった。

「ダイバーの大島が、君をランチに誘いたい、って言っているよ」

「午後一時まで仕事だから、その後なら・・・」

そう答えはしたもののエラの心は迷っていた。初めての男性といきなり食事に出かけることに臆病で慎重だった彼女は、結局、約束を破り、逃げるように帰宅した。

然し、翌日、店にやって来た大島はエラを責めることも無く、何時ものようににこやかに彼女に接した。エラは閉じ籠っていた気持がゆっくりと解かれる感じがした。二度目の誘いに応じたランチでは彼の誠実さに安らぎを覚え、芯の強さに信頼が芽生えた。

 だが、有色人種を露骨に差別した白豪主義の時代だった。

それは白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策であった。イスラーム教徒や黒人、先住民族アポリジニや東南アジア諸国民、メラネシア人などへの迫害や隔離など人種差別が行われていた。異民族間の結婚も凡そ一割が認められなかったのである。

ランチに入ったレストランでは、見晴らしの良い窓際の明るい席が空いていたが、案内されたのは壁際の暗い小さなシートだった。

「あそこの窓際の席が良いんだけど・・・」

大島が明るい席を指差して異議を唱えると、ウエイターがぴしゃりと拒絶した。

「あそこは白人席です。白人以外は座れません!」

ウエイターはあからさまに嫌な態度を示し、オーダーもなかなか取りに来なかった。

その態度に腹を立てた大島はとうとう彼にチップを支払わなかった。

数日後に入った映画館でも、白人の席は前部、アポリジニは最後部。二人が座ったのはその中間の横側だった。

 二人の結び付きを強めたのは差別される者同士の共感と憤りだった。白人が頂点で、次がアジア系。エラのようなアジア系とアポリジニの混血は「雑種」と呼ばれた。

店のレジ係として働いていたエラは暗算に自信を持っていたが、或る日、白人たちに言い掛かりをつけられた。

「勘定がおかしい。お前がそんなに早く出来る訳が無い」

客の眼の前で丁寧に筆算するとエラの暗算は間違っていなかった。客はようやく納得して帰って行った。

肉屋に買い物に行くと、くず肉が廻って来た。

「今日はお祝いの日なの。ヒレ肉の良いところを下さい」

「お前たちに売ってやれる肉はこれしか無いんだよ!これを持ってさっさと帰んな」

大島もエラと同じように蔑まれ、虐げられた。

「そいつにパンフレットを渡す必要は無い。どうせ英語が読めないんだから」

「英語くらい読めるさ。一枚呉れよ」

「喧しい、黙れ!ジャップ!」

或る時、酒場でふとしたことから白人に、やにわに、顔に酒を浴びせかけられた。

ウッとなった大島は静かにポケットからハンカチを取り出して顔を拭うと、猛然と白人に殴りかかって行った。最初は白人に比べて小柄な大島が掴まえられて床に転がされたが、直ぐに起き上がると、繰り出されるパンチを巧みに躱しながら、強烈な左フックを相手の鳩尾に見舞った。うっと呻いて前に屈みこむ相手の顎を今度は下から右のアッパーで突き上げた。白人の大男は仰向けにひっくり返って床に尻もちをつき、それっ切りもう立ち上がっては来なかった。大島は一人静かに店を後にした。

それからは大島に対して誰も「ジャップ!」と蔑まなくなった。

 だが、その他にも有色人種に対する白人中心主義の差別はまだまだ在った。

タクシーを拾うのに一苦労した。空車に手を挙げても停まって呉れなかった。後から手を挙げた白人をさっさと乗せて走り去るだけだった。

レストランから出て来て迎えの車を待っていると、知らない人間から駐車場係と間違われて車の鍵を預けられた。

蝶ネクタイの礼装でディナーに出席した折には、ウエイターと間違われて、コーヒーを持って来てくれ、と頼まれた。

休日に、ジャンパーにジーパンという伊出達で街を歩いていると、警官に強盗と間違えられて手錠を掛けられた。

真珠養殖の会社を興した際も、真珠貝採取の割当量は白人の企業よりも少なかった。

大島はエラに何度となく言った。

「白人を殴り倒したい衝動を何度押し殺さなきゃならないんだ!」

悔しさを露わにして、エラも語気を強めた。

「日本は世界で一番養殖技術が進んでいるにも拘らず、未だに差別する人が居るのは許せないわ」

だが、大島は信じていた、真実は自分たちの方がよほど優秀なのだ、と。

エラは彼の静かな誇りにより一層惹かれて行った。

彼女は友人たちに事ある度に話した。 

「色んな人に言い寄られたけど、彼が一番洗練されている。とても波長が合うの」

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