現在
ロウヒカは亡くなったはずの妻を見て怖気を振るった。
彼女の死に目にも会えず、最期の願いをすっかり無視して、息子を追い出し、好きに振る舞っていたことを思い出したのだ。
妻は一見おとなしいが、芯は強い女だ。
不満があれば言葉でなくて行動で示してくる。
「お前の言葉を守らなくて悪かった」
震えながら土下座するロウヒカに対して何も言わずに妻はその手を掴む。
そして外の空に連れ出した。
「どこに行くのだ!」
喚くロウヒカは空の上から、先程までそこで飲んでいた飲み屋を見つける。
そこの主人と遊び女が店の片付けをしながら話していた。
「あのカモ、お前が隣に座って酌をしてたら鼻を伸ばしていたな。
あれはお前に惚れているぞ」
「隙を見て尻や胸を触ってくるのよ。
鬱陶しいといったらありゃしない。
チップを弾むから愛想良く接しているけど、いい歳して見っともない」
「もっと搾り取ってやれ。
明日も来るだろうから、病気の母親の治療費が足らないとねだってみたらどうだ?
いい顔するのが好きだから、すぐに金を渡してくれるぜ」
「そうだね、せいぜい色目を使って搾り取ってやらないと。
アンタも定価の何倍もふっかけるんでしょう。
あんな使い方してたらいつ破産するかわからないし、早く毟り取らなきゃ。
あれは道に落ちている財布と同じよ」
はっはっはと笑う二人を見て、ロウヒカは怒りで赤くなると同時に隣の妻がどんな顔をしているのかと怖くなる。
無言で手を引く妻が向かった先は、今日多額の寄付をした慈善団体の事務所。
「ロウヒカめ、今日は一段と弾んでくれたな。従業員に気前のいいところを見せたかったのだろう。
人前で頼んだり、おだててればすぐにいい格好をしたがるからな」
「本当にありがたい男だ。
先代や奥さんがいた頃は、街の会社の序列を見て相場の額を出していたが、あの男は身分不相応に寄付するからな」
「じゃあいつもの通り、半分は我々のポケットに入れておくか。
笑いを堪えて、あの男に媚び諂った手間賃だ」
「我々へのいいクリスマスプレゼントだ」
二人の紳士はそう言ってロウヒカの寄付した札束の半分を自分達の財布に入れ、メリークリスマスと言いながら帰宅する。
貧しい人々に愛の手をなどと謹厳な顔で言いながら、その裏では嘲笑っていたとは!
怒鳴りつけようとしたロウヒカはまた手を引かれて次に向かわされる。
今度は自分の商会の従業員が何人か居酒屋で酔っ払って喋っている。
「あのオヤジは本当にチョロいな。
他の店の従業員が羨ましがっているぞ。
仕事は楽で、給与はいい。
家族が病気とか言えば見舞金をくれる。
こんないい職場はないな」
一人が赤い顔で他の者に話しかける。
「全くだ。
お優しい商会長様とか、こんないい人の下で働けて幸せですとかおだてておけば上機嫌で、願い事を聞いてくれるもの」
「どんな失敗をしても、いいよとしか言わない。
人を怒るのが怖いのかね。
あんな情けない商会長を見たことがない」
「今日だって、ちょっと頼めば半休、おまけに特別ボーナスだって。
この調子ならクリスマス明けも何日か休んでもいいだろう」
「「俺も休むぜ」」
みんながガヤガヤ言う中、リーダー格の男が話し出す。
「そうだ、店から抜いた金を山分けするぞ。
あのオッサン、全く帳簿も見ないで、任せぱなし。
奥さんがいた時とは大違いだ。
それで自分は尊敬されて、慕われていると思ってやがる。
ほんとうにおめでたい男だ」
テーブルには大金が置かれて、リーダー格が配っていく。
「こんだけあれば、オッサンが勿体つけてくれたボーナスなぞいらなかったがな。
ありがたそうな顔をして貰ってやった」
はっはっはと笑い声が響く。
厳しい父や妻と違って、自分は従業員に好かれていると思っていたロウヒカは、小馬鹿にされて、金を横領されていることにショックを受けていた。
「コイツらめ・・」
唸るロウヒカを妻は次に連れていく。
そこは雨風を防げる掘立て小屋。
集まって酒を飲む物乞い達が話している。
「明日から稼ぎ時だぞ。
あのカモからいくら毟りとれるかだ」
声高に酔っぱらいの乞食が喚く。
「ガキどもが哀れな声を出すと、そちらに行ってしまうからな。
ガキよりも先にあのカモの財布をすっからかんにしなければ。
朝一番で奴の店の前に行くぞ!」
「ああ、寒さで戦争で斬られた足が痛む!
情け深い旦那、哀れな戦傷者にお恵みを!」
一人の乞食がいきなり大声を出す。
「こんなところで練習するな。
お前の足のケガは酔っ払って見境なく騎士と喧嘩したせいだろう」
他の乞食が揶揄う。
「なんでもいいんだ。
哀れっぽく言えばアイツは金をくれるのさ」
「全くだ。
特に大勢に人が見ている時には気前がいい。
明日からはクリスマスで人手が多い。
たくさん見物人がいるところで物乞いするぞ」
乞食にも舐められていることがわかったロウヒカはガックリする。
もう何を言う元気も出ないロウヒカを妻は連れていく。
「ここは!」
憔悴していたロウヒカはそこを見て狼狽した。
それは昔結婚しようとして逃げられた女の家。
ロウヒカは、妻が亡くなった後、再び接近してきた女と再婚することを考えていたのだ。
その、自分も何度も訪ねたアパートに、女はいかにもヤクザ風の男と生まれたままの姿で横たわっていた。
「おい、あの馬鹿から金は巻き上げているんだな」
「もちろんよ。
ちょっと反省した顔をして、心を入れ替えた、あなたを愛していることに気がついたと言ったら一発で堕ちたわ。
生活費を援助してやるって、言っただけお金をくれる。
私と再婚しようと考えているみたい。
本当にチョロい男よ」
「別に再婚してもいいんだが、あの息子が邪魔をしそうだな。
そうだ!
俺の名前で借用状を作るから、連帯保証人にならせろ。
それでお前が姿をくらませば、あいつの全財産を巻き上げてやる」
「それがいいわ。
金を手に入れたら私と結婚してよ」
「わかった、わかった」
ロウヒカは結婚を考えていた女に騙されていたことがわかり、呆然とする。
「もういい!
俺がバカだった。
わかったから、これ以上俺がバカにされているところを見せないでくれ!」
自暴自棄になったロウヒカははじめて妻の顔を見て、哀願する。
妻の顔は人形のように無表情であり、ロウヒカの叫びにもなんの感情も表さない。
その妻の手に引かれて、ロウヒカは動き出す
「もう嫌だ!」
叫ぶロウヒカが見たのは、息子ジェイコブのアパート。
ロウヒカの援助を断り、自分の給与だけで暮らす息子夫婦の暮らしはつましい。
「お義父さんはイブは来るの?」
気立ての良さそうな息子の妻が尋ねる。
そのお腹は少し膨らんでいた。
二番目の子供がいるようだ。
「あのバカオヤジはクリスマスの間、遊び呆ける予定らしい。
爺さんとお袋が苦労して稼いだ金をどこまで無駄遣いすれば気が済むのか。
街中の笑い者になっているのに本人だけが気づいていない。
まあ、親だから見捨てるわけにもいかないし、明日は首に縄をかけても連れてくるつもりだ」
苦い顔でそう言うジェイコブに妻は笑って言う。
「私や孫のトムにはいつもお小遣いをくれて、いいお爺さんなんだけどね」
「誰でも金をくれれば人気者になれる。
だけどそれが行き過ぎればバカにされ、笑われるだけだ。
お金は誰でも使えるけれど、稼ぐのは大変だ。爺さんやお袋はよく稼いで、尊敬され、恐れられていた。
オレもそうなりたいものだ。
なあトム、お前に立派な商会を残してやるからな」
ジェイコブは赤子の息子トムをあやしながら、そう話しかける。
ロウヒカは思わず涙を流していた。
バカな自分と違って息子はしっかりしていた。
自分にも何度も忠告してくれていたが、おだてられて馬耳東風だったのだ。
妻は満足気にジェイコブ一家を見ていた。
そして、立ち尽くすロウヒカの手を引く。
今度はどこへ行くのかと思ったロウヒカは気がつくと、一人で自分の部屋に立っていた。
「ああ、気がおかしくなりそうだ。
これは夢だろうか、それとも本当にそう思われているのだろうか」
ロウヒカは頭を抱えてうずくまる。
やがて寒さに耐えかねて、立ち上がるとベッドに向かった。
「父さんは、もう一人誰か案内人が来ると言っていたな。
もう恐れるものは何もない。
なんでも来いだ!」
ロウヒカはヤケクソのようにそう言ってベッドに潜り込んだ。
アンチ・クリスマスキャロル @oka2258
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