Fランク&資格剥奪コンビの下剋上 ド底辺追放冒険者の俺たちが最強パートナーのはずがないんだが「あんたなんか大嫌いだし」
犬上義彦
第1話 ベルガメントの街角で
ギルドの受付で冒険者がうなだれていた。
「残念ながら三回連続でクエストに失敗したので、規定によりキージェさん、あなたの冒険者資格は失格となります」
受付嬢は冷たくそう言い放つと、書類を突き出した。
「こちらへサインを。それと、武器所持免許は剥奪となりますので返納してください」
まったく、ため息しか出ない。
二十五歳のキージェは十年前、冒険者となった。
それ以来、ギルドの依頼をこなしてきたのだが、Fランクの仕事を達成するのがやっとで、ほとんど経験値もステイタスも上がらなかった。
――いよいよ終わりか。
あまり日焼けをしない肌と細い体のせいで冒険者には見えないと言われ続けて覚悟はしていたものの、いざ署名するとなると手が震えてしまう。
ペンを握ろうとしたのに落としてしまった。
「ちょっと、オジサン邪魔だよ」
拾い上げようとしたペンを、後ろにいた若者に踏まれてしまう。
オジサンはないだろうと顔を上げると、十年前の自分を見るような少年であった。
十五歳になればギルドに加盟して独り立ちした冒険者になれる。
まだせいぜい二年目と言ったところだろうか。
あどけなさの残る顔にはニキビができている。
少年は持っていた袋から緑色の鉱石を取り出すと、カウンターの上にドンと置いた。
オーガの肝臓から取れる胆石は回復治療薬の材料になる。
ゴブリン討伐ですら手こずるキージェにしてみればめったに拝めない貴重品だが、普通レベルの冒険者にはありふれた鉱石だ。
とはいえ、カウンターが揺れるほどの大きな塊だから鑑定額もそれなりにつくだろう。
「依頼の品物だ。鑑定を頼む。それと、ステイタスの確認も。今回のクエストで【斬撃】がCになったはずだ」
十代でCに昇進ならかなりの腕前だ。
能力の一つがCランクに上がれば、どこかのパーティーから誘われるようになり、一人前の勇者としてギルドからもさまざまな優遇を受けられる。
若いのに態度も堂々としていて、隣に立っているだけでも恥ずかしさで消えてしまいたくなる。
そもそも十年もやっててFランク、しかも失格なんて、よほど才能がないとしか言いようがない。
冒険者レベルに年齢は関係ないのだ。
キージェは胆石の下敷きになって汚れた自分の書類を引っ張り出して署名すると、武器所持免許証と腰に差していた剣――情けないことにこれすら借り物だった――をカウンターにならべてギルドを出た。
――あっけないものだ。
振り向いて、見慣れたレンガ造りの建物を見上げると、涙がこみ上げてくる。
――なんでこんなに才能がないんだろうな。
いい歳した大人が街中で泣くわけにもいかず、キージェは通りの端を市場へ向かって歩き始めた。
木組みと石でできた民家が並ぶ通りには子供たちの歓声が響き、野菜や果物を積んだ荷車が彼を追い越していく。
ここは人間と、ゴブリンやトロールといった魔族、そして鉤爪熊のようなモンスターが並存する世界。
キージェが生まれ育った都市国家ベルガメントはエンブルグ王国やティポンテ共和国といった近隣諸国と同盟を組み、魔族やモンスターの侵入を防いでいた。
冒険者となった人間は武器の携行を許され、モンスター退治のクエストを消化し、経験値を積み上げることで魔族と対抗可能な能力を身につける。
その中でも腕のいい冒険者たちはパーティーを組み、ダンジョン探索で宝物を手に入れたり、王家からの依頼に応じて魔族との決戦に挑んだりして名声を高めていく。
一方で、一般の人間は武器や魔法とは無縁の生活を送ることになる。
それはそれで悪いことではない。
ここベルガメントのように、人間社会の交易によって繁栄を享受した街の生活は平穏で快適であり、衣食住に困らない毎日が保証されていた。
ただ、キージェのように、一度は冒険者を志した者がその夢と誇りを奪われるのは、命を失うよりも苦しい屈辱であることもまた紛れもない真実であった。
◇
交易の盛んなベルガメントの市場は威勢のいい商人のかけ声と買い物客のにぎわいで華やかな雰囲気に包まれていた。
キージェは露店の商品を眺めることもなく、うつむきながらさまよい歩いていた。
たいした功績のないFランク失格冒険者に貯金などあるはずもない。
ポケットの中のコイン数枚が全財産だ。
早いところ新しい職業に就かないと食べることもままならない。
かといって、十年間無駄に過ごしてしまった自分には何の能力も技術もない。
このままだと、山賊にでも成り下がるしかない。
だが、この世界では、街から外れて森や山に生きることはほぼ死を意味していた。
街道は同盟国による騎士団連合によって厳重に守られ、防壁に囲まれた農村は自警団によって余所者やモンスターの侵入を排除していた。
山賊となったところで、隊商の荷物を奪うどころか、逃げ場もなく魔族やモンスターの餌食にされるのは時間の問題なのだった。
底辺の自分はなすすべもなくまっさきに食われてしまうだろう。
思えば自分を捨てた父もFランク冒険者だった。
人間は弱ったときに限って、思い出したくもない記憶を呼び起こしてしまうものらしい。
孤児院に預けられたキージェは自信を欠き、愛情に飢えていた。
キージェを捨てたくせに中年になっても夢を捨てることができなかった父は、無謀なクエストを引き受け、魔物にやられて死んだと聞いた。
母はキージェを産んですぐに亡くなったらしく、顔を見たこともない。
十五になって孤児院を追い出されたキージェは、本当はなりたくなかった冒険者として食べていくしかなかった。
見習い冒険者は上級者が面倒がって引き受けない地味なクエストを着実にこなしてステイタスを上げていく。
しかし、キージェの場合はどういうわけかいくら頑張ってもいつまでも経験値がたまらなかった。
葉物野菜をなめて売り物にならなくする害獣のナメクジスライムですら駆除するのがやっとで、実った頃を狙って作物を盗んでいく非肉食ゴブリンなどは、倒しても自分も満身創痍で、せっかくの報酬が治療費で虚しく消えてしまうのだった。
まして、肉食系のゴブリンやオーガといった魔物にはまったく歯が立たなかった。
――そもそもFランクですらなかったんだもんな。
辞めてみて初めて未練を感じる。
努力をしなかったわけではない。
やるべきことをやってこれだったのだ。
キージェはなけなしのコインでリンゴを一つ買うと、ため息をつきながら市場を後にした。
◇
大聖堂の鐘が鳴る。
見上げると、夕暮れの色を反射して尖塔の屋根が輝いていた。
鳴り響く鐘を聞いて家路につく人々の流れから外れてキージェは聖堂前のベンチに腰掛けた。
漂ってきた夕飯の香りに鼻をくすぐられて、リンゴをかじろうとした時だった。
うめき声のような何かが聞こえた気がした。
あたりを見回しても犬もいない。
だが、たしかに聞こえる。
ベンチの裏をのぞき込むと、そこに栄養失調の子供みたいに小柄な老人がうつ伏せで倒れていた。
「おい、爺さん、どうした?」
裏へ回って声を掛けると、体を震わせながら老人がしわくちゃな顔を横に向けた。
「転んでしまってな。起き上がれなくなっての」
「大丈夫か」と、キージェは体の下に手を入れて仰向けにしてやった。
「すまんのう」
「立てるか?」
老人は自分で起き上がろうとしているのだが、どうも体が思うようにならないらしい。
キージェは膝で支えながら老人を抱き起こすと、とりあえずベンチに座らせた。
「助かりましたぞ、お若いの。なんとお礼を申し上げて良いやら」
「いや、まあ、そんなことはいいさ。それより、家はどこだ?」
「聖堂の裏なんじゃが」
「なら、俺が背負っていってやるよ」
「すまぬのう」
老人の前に背を向けてしゃがんだ時だった。
「よう。キージェじゃねえか」
名前を呼ばれて顔を上げると、教会を背に太った男と仲間たちが立って、こちらを見下ろしていた。
Aランク冒険者のエクバルはベルガメントの街では有名なパーティーのリーダーだ。
キージェと同じ孤児院出身でギルドの同期だが、あっという間に頭角を現していくつものクエストをこなしてきた実力者だ。
最初のころは友人として扱ってくれていたものの、いつまでもレベルの上がらないキージェに愛想を尽かしてからは見下した態度を取るようになっていたのだった。
エクバルの背後に立っていた大男が仲間を押しのけて毛深い人差し指を突きつける。
「こいつ、ギルドを首になったってよ」
肩幅が異様に広い大男はガリマルといい、格闘系の能力に関しては実力者揃いのエクバルのパーティーでも一番のメンバーで、肉食ゴブリンを木の上に投げ飛ばすほどの怪力が自慢だ。
「三回連続Fランククエスト失敗なんて、冒険者の恥さらしだぜ」
「だから武器も持ってないのか」と、エクバルが鼻で笑う。「情けねえ野郎だ。そんなおいぼれなんか放っておいて、さっさと失せな」
「なぜだ?」と、キージェは立ち上がって連中と向かい合った。「このご老人は歩けないんだ。家まで連れていってやらないと」
「いいんだよ」と、ガリマルがキージェの肩を小突く。「おまえ、邪魔なんだよ」
かろうじて踏みとどまったキージェとの間合いを詰めてエクバルがにらみつけた。
「そいつはな、元冒険者のワレジスってジジイだ」
「もう昔のことじゃよ」と、ベンチにもたれて喘ぎながら老人がつぶやく。
「ああ、そうだ。だがな」と、エクバルは老人の隣に腰を下ろした。「持ち物に用があるんだ。あんた、ルンドバルのダンジョンマップを持っているそうじゃないか」
ルンドバルはベルガメント東方の未踏破ダンジョンだ。
数百年前に発見されて以来、数知れぬ勇者が挑んで帰らぬ人となった難攻不落の魔窟として恐れられている。
複雑な構造に何重ものトラップが行く手を阻むと言われ、マップは存在しないとされてきたはずだった。
「おまえたちの狙いはそれか」と、キージェは連中を見回した。「こんなに弱った老人から奪い取るつもりか」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ」と、エクバルが太い脚を組みながら老人の肩に腕を回す。「ただでよこせなんて言わないさ。金ならいくらでもあるんだ。言い値で引き取ろうってわけさ」
「そんなものはない」と、老人がかすれた声を絞り出す。
「値段をつり上げたいって言うのも分からなくもねえが、どうせ先は長くないんだ。適当なところで手を打っておいた方がいいんじゃねえのか。俺たちなら、マップを有効活用できるんだ」
「なあ、エクバル」と、キージェは割って入った。「未踏破ダンジョンなのにマップがあるのはおかしいだろ」
「気安く話しかけるなよ」と、格上の旧友は追い払うように手を振った。「この爺さんはな、途中まで入ったことがあるんだよ。パーティーで生きて帰ったのはこいつ一人だったそうだがな」
そして、エクバルは老人の鼻先に指を突きつけた。
「あんたは仲間を裏切って逃げた。だから一人だけ生きて帰れた。そのまま墓に持っていくつもりかも知れんが、罪滅ぼしにマップを譲りな。俺たちが仲間の無念を晴らしてやろうってんだ。悪い話じゃねえだろ」
キージェは老人の側に回り込んで間に入った。
「なあ、今は家に連れていって休ませてやれよ」
「うるせえよ」と、Aランク勇者がつばを飛ばしながら怒鳴る。「冒険者失格のおまえには関係ねえだろ。失せろ」
仲間たちも、そうだそうだとはやしたてる。
「おまえたちは人として終わってるな」
「なんだと」と、横でガリマルが太い腕を振り上げる。「口の利き方には気をつけな」
殴りかかろうとする大男をよけようとしたときだった。
老人に左腕をつかまれた。
――おい、なんだよ。
助けてやろうとしたのに、邪魔されるとは。
よけきれずにガリマルの拳がまっすぐキージェの顔に向かってくる。
しかし、次の瞬間、キージェは不思議な感覚にとらわれていた。
まわりの景色が止まっていたのだ。
いや、正確には、少しずつ動いているのだが、あまりにもゆっくりすぎて止まっているように見えるのだ。
飛びかかってきた大男の拳は、寝ぼけたカタツムリのようにのろのろと近づいてくる。
キージェは余裕でよけると、横からガリマルの巨体を押してエクバルに向けた。
あらためて周辺を見回してみると、仲間の連中もみなガリマルを応援する姿勢のまま固まっていて、キージェの動きには気づいていないらしい。
広場の噴水ですら、噴き出した水が空中で止まっている。
だが、興奮したキージェの心臓は間違いなく激しく鼓動していた。
自分以外の周囲が固まっているのだ。
――いったい何が?
敵の動きを封じる【瞬間凝結】なのか?
しかも、聖堂前の広場全体を固まらせるとは、かなりのハイレベルだ。
Aランク、いや、Sか?
「早くお逃げなされ」
振り向くと老人がベンチで体を起こしていた。
「これはあなたが?」
「ああ、そうじゃ。もうすぐ元に戻る」
「じゃあ、早く逃げないと」
キージェは藁束のように軽い老人を背負ってその場を離れた。
聖堂の角まで来て振り向いた瞬間、固まっていた風景が流れるように動き出した。
ガリマルの拳はエクバルの顔面に直撃し、鼻血を噴き出したAランク勇者が悪態をつきながら跳ね上がる。
自分が殴られていたらと、想像するだけで震えてしまう。
呆然とした表情の仲間たちも消えた老人とキージェを探している。
「ほれ、気づかれんうちに」
「あ、はい」
キージェは老人に促されて聖堂の裏へと歩き出した。
◇
案内された老人の住まいは狭い路地裏の半地下にあった。
かがまないと入れない穴蔵のような部屋は真っ暗で湿っぽく、カビの臭いが充満していた。
「すまんのう。助かったわい」
雨戸の隙間からこぼれてくる月明かりを頼りになんとか湿ったベッドまで運んで横たえてやると、老人はキージェに礼を言った。
「いえ、こちらこそ。すごい魔法で助けてもらって」
「なあに、体は動かんし、腕もすっかり衰えておるよ」
老人は子供のような笑顔を見せてベッド脇の引き出しを指さした。
「それを開けてくれんか」
言われるままにすると、中には深紅の宝石が入っていた。
「それを持ってみなされ」
取り上げて掌にのせると、ずっしりとした重みを感じる。
と、宝石がうっすらと光を放ち始めた。
暗い部屋の壁から天井へと光が拡散し、ほんのりと温かみまで感じられる。
「ルンドバルの魔宝石じゃよ」
「じゃあ、ダンジョンの話は本当だったのですか」
「まあ、ここにあるのは地図ではなく、魔宝石じゃがな」
先ほどの魔法といい、この魔宝石といい、本物としか言いようがなかった。
ということは、エクバルが言っていた、仲間を裏切って一人で逃げたという噂も本当なのだろうか。
キージェの表情から察したのか、老人がさびしそうにつぶやいた。
「そう言われても仕方のない結果だった。それ以上は何を言っても言い訳にしかならんじゃろうな。あの太っちょが言ってたように、墓場まで持っていくつもりじゃった」
老人は深くため息をつくと、唇を震わせながら話を変えた。
「おまえさん、キージェと言ったか」
「はい、そうです」
「父親はザールじゃな」
キージェは驚いて低い天井に頭をぶつけそうになった。
「な、なぜそれを?」
「ザールは昔、わしらの仲間だったんじゃよ」
「そんなはずは」
Fランクの父はパーティーに加わる資格はないし、ルンドバルのダンジョン探索までおこなうような上級者と組むこともありえない。
足手まといどころか、そんなメンバーを連れていたら命取りだ。
「父は一生Fランクで、惨めな死に方をしたと聞きました」
「まあ、それは本当の話だ」と、横たわったワレジス老人は胸に手をのせて話を続けた。「ザールは勇者だったが、呪いをかけられた。それで苦しみもがき、最後は誇りを取り戻すことなく死んだのじゃよ」
――誇り?
「ザールはノイトフェンの騎士、オスハルト家の跡継ぎだった」
「まさか」と、キージェは思わず噴き出してしまった。「それはないでしょう」
つねに貧しく、あげくに捨てられた身で、信じることなどできなかった。
「ノイトフェンの王家に反逆の罪を背負わされたザールは呪いをかけられ、追放されたんじゃよ」
「反逆の罪とは?」
「ザールは王女と恋仲だったそうだ。だが、王女は他国へ嫁ぐことが決まり、二人の関係は絶たれた。ザールは国を去る決意をしたんだが、姫が後を追って駆け落ちしてしまったんじゃよ」
そんなおとぎ話を素直に聞いているほどキージェも純粋ではなかった。
「いったい、何の話ですか」
「信じられんのも無理はない。だがな」と、老人は初めて笑みを見せた。「ザールはSランクの勇者だった」
――父がSランク?
「かつてノイトフェンを襲った魔族を撃退したのもザールだった。だが、王家は面目を潰されたことを恨み、魔術師と組んで救国の英雄に呪いをかけた。勇者は能力を封じられ、Fランクに墜ち、王女も連れ戻されてしまったのじゃ。そのときに、すでに生まれていたのがおぬしじゃ」
「ご冗談でしょう。母も死んだと聞きました」
「いや、生きておる」と、老人はかぶせ気味に答えた。「幸せかどうかは分からないがな」
沈黙が漂う。
魔宝石の光が弱まったような気がした。
「おまえさん、自分がなぜFランクなのか、考えたことはなかったのか?」
「ええ、まあ、いくら頑張っても経験値が上がりませんでしたけど」
ふふっと息を漏らすように笑うと、老人は体を起こそうとした。
キージェが背中に手を回して座らせてやると、水を求めたので水差しからコップに注いで渡してやった。
「ふつうはそこで何か変だと考えるもんじゃが、親譲りの律儀な性格が災いしたのかのう。呪いはおまえさんにも受け継がれておるのじゃよ」
「そんな」
「呪いを解かぬうちは、いくら努力を重ねてもレベルが上がることはない」
「いったい、私はどうしたらいいんですか」
「呪いをかけた魔術師と対決せねばならぬが、そもそもFランクのおぬしが闘って勝てる相手ではない」
ならばなすすべはないではないか。
自虐的な笑みが浮かんでしまう。
「私はすでに冒険者資格も失っています。Fランク以下ですよ」
老人は口を押さえてくぐもった咳をすると、キージェの掌で光る魔宝石を指した。
「北の国エンブルグへ行け。そこにゲンリックという冒険者がいる。その男にそれを見せるといい」
エンブルグはベルガメントの北方にある同盟国だが、騎士でもないキージェは雪の積もる道を自分の足で歩くしかなく、最低でも一ヶ月はかかる距離だ。
しかも道中、仕事をしてお金を稼がなければ食べることもできないから、たどり着くには半年はかかるだろうか。
「わしはもう長くない。だが、ゲンリックはザールと同年代の冒険者だ。詳しい話を聞くといい」
そして、ワレジス老人はキージェの手を魔宝石と一緒に握った。
「わしも、おまえさんの父と同様に、名誉の回復がいかに困難なものかと苦しんできた。結局、わしに残ったのも、もうこの石ころくらいのもんじゃ。どんな冒険者も、死ぬ時は無に帰すのみ。だが、やっと安らげる」
手の中で魔宝石が熱を帯びる。
老人は静かに目を閉じた。
「おまえさんのいいところは、人の役に立とうとするところだ。それを忘れるでないぞ」
不意に、魔宝石の熱が消えた。
と、次の瞬間、老人の影が薄くなった。
「ワレジスさん!」
呼びかけたときにはすでに姿は見えなくなっていた。
湿ったベッドのシーツにはまだかすかにぬくもりが残っている。
キージェはそこに自分の体を横たえて天井を見上げた。
――名誉の回復。
父と老人、そして俺と。
冒険者が決して失ってはいけないものを取り戻す。
冷え切った男の胸に火がともった。
すっかり暗くなった街から酒場のざわめきが聞こえてくる。
キージェは老人のために祈りを唱えると、明日からの旅に備えて眠りにつくのだった。
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