精神貴族

夜依伯英

第1話 己の傲慢を知れ

 当然のように息が白く染まる十二月の空は、心配になるくらいに真っ青な無罪過で、無邪気だ。冗談みたいに本数の少ないバスを無事に捕まえて、数年後にはいなくなっていそうな乗客の年齢層に、今後の本数の行く末を案ずる。年齢も性別も異なる彼らを同じ人間とは思えなかった頃が僕にはあった。あんなにも晴れ晴れとした空は、あまりに汚れたこの世界から遠ざかって、遥か彼方の誰も知らないところへと独りで行ってしまうのではないか。あるいは、無罪過の天は、これ以上誰も笑ったことのないように笑うのか。ここからは全く見えない荒々しい冬の海は、どうか。行き先が福祉センターだったりスーパーだったりしかないこのバスに揺られる僕たちは、きみたちの愛を受け取っているのだろうか。愛に、愛に応えることとはなんだろう。僕たちはその無限の贈り物を無視しているんじゃないか。


 この世の穢を煮詰めて希釈したような大学という生き物には、もはや翼はない。牙もない。殊に僕の通うような、大学の中でもいっそう程度の低い地方の大学となると、大学はその魂を失くしている。残念ながら、僕の行き先だ。バスに揺られ、電車に揺られ、また更にバスに揺られて、僕は大学に運ばれる。最寄り駅のホームに佇む人々も息をしているとは言い難かったが、学生は全く息をしていない。喫煙所なんかで煙草をのんでいると、聞こえてくるのはどこそこの女が良いだとか誰それの講義が面倒だとかそういった類の話だけである。仮初の民主主義なんかが偉そうな顔をしていると、大学の気高さは死ぬ。人々よ、高貴であれ!


 高貴さとは、けっして金持ちであることなんかではない。高貴さとは、けっして自分が優位なつもりになって他者をどうでもよいと思うことではない。そうではなくて、高貴さとは、己をより高いところへと投射し、つまり自己を絶えず超克し、そしてその意志が権力の輝きを帯びて、迷える子羊の上に腰を下ろすさまのことだ。しかし、ニーチェを通る者は、彼を踏みつけて高く舞わねばならない。高貴さとは、それ自体を受け継ぐことによって研ぎ澄まされた義務感、noblesse oblige高貴なる者の義務を身に染み込ませ、そしてそれを果たすことだ。その意志、その権力、その名誉、その義務がある者を精神貴族と成らしめる。受け継ぐということは大切な事項であるし、ある程度の素養のある家で育たなければ自然な余裕、義務を果たすことを厭わない余裕が醸成されるのは難しいことである。しかし、どの家にも祖があるのだ。けっして良いとはいえないような家柄、家庭環境、親や養育者の様相であったとしても、そこから貴族が生まれないとは断じていえない。そんな勘違いをするやつらは、きっとファシスト以下のやつらだ。血統は重要な役割を果たすけど、血統によって全てが免罪されるなどという道理はどこにもないのだから。そして、受け継ぐということは、血統でなくても可能なのである。血に並ぶ鉄の伝統によってでも、高貴さの洗練はできる。己の高貴を誰かに受け継ぐということ、受け継いだものを次代に伝えるということ、それが親族内であれ、大学なりクラブなりの先輩後輩であれ、その受け継がれた威厳、重圧、最も重い力が高貴さに磨きをかける。これは僕の身体に、精神に、僕という存在に染み込んだ、重大なる思想だ。鉄の意志だ。力の讃歌だ。愛の祈りだ。おお、私の女神よ、夜の女王よ、私の智慧、私の力、私の欲求、その根源の女性、つまるところ性の女神、つまりは私の身体! 僕自身! 貴女が私を愛してくれますように。貴女がそうするように、私もそうします。僕は、彼女の愛に応えなければならない。


 バスに乗り換えて地方都市の侘び寂びを目に移ろわせているうちに、大学前のバス停へと辿り着いた。いかにも尊厳を売り払ったふうの、あるいはそんなもの生まれてこのかた見たことがなさそうな面持ちの私立大学は、しかし不遜に門を構える。誰一人として警備員の方には目もくれず歩いていく。無機質な学問に呑み込まれていく。


 しかし、学問は無機質になっている。専門分化は科学の進歩がもたらす必然であることには相違ない。しかし、彼らは自分がその片隅しか見ていないことを忘れて歴史に対する責任を忘れ去ったのだ。残念ながら、オルテガは予言者だった。科学者がみな一般知識を持たなければならないということを、僕は言いたいわけではない。ただ、大衆の上に腰を下ろさんとするならば、それなりの学問の態度を醸成していなければならんということだ。学問は一つの有機体なのだ。専門分化などと声高に仰るけれど、それは一つの有機体の分肢なのだ。彼らは未だヤスパースを読んでいないのだ。大学人なら、一般知識の上に専門を積んでいくべきだ。


 朝早くからキャンパスに来ているというのに、一限は裏切りだと思いたいくらいに退屈だ。けっして、全ての講義が退屈なわけではない。不遜な顔をしたこの一限だけが、今日の日程における唯一にして最大の苦痛だ。英国文化研究ばかりやっているせいで、日本語の仮定法による例示が分からない教員が、安っぽい、含蓄のない教科書を学生に音読させるのだ。僕は精神のうちに一粒の雨を想った。それは重く垂れた稲穂だ。憂鬱だ。悲惨だ。一限の終わりを告げるチャイムが鳴ったとき、それが勢いよく、落ちた。そのとき、僕の心に落雷があった。それは轟音を鳴らして精神のうちを照らす。遥か彼方、遠方の闇、宇宙の隅まで遍照する光だ。僕はこんなにも周りを見下して、偉そうに、何かにつけて文句を言う。不平不満ばかり言う無学な豚である。恥ずかしい。貴族たる者が、その支配するべき人々を愛さずしてどうするか。己の傲慢を知れ。そうだ、これからは他人に親切であろう。丁寧に振る舞おう。いかが振る舞うかを知ることが紳士の要件だ。教養が振る舞いを涵養するのだと、最近少しばかり親しくしている学科の女子も言っていた。


 高貴さとは、他者を見下すことではない。高貴さとは、他者と比較して自分をマシだと思うことではない。そうではなくて、高貴さとは、むしろ自分を軽蔑することである。高貴さとは、その自己軽蔑が故に高みへと投げ出されることである。そして、それは礼節を形作り、manners maketh man礼節が人間を涵養するということなのである。

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