第3話 アタシは大女優~薊千景の場合・前編~

「ユキさん。どうだ、仕事には慣れたか?」


 背後からマサの声が聴こえる。ユキが振り返ると、マサが近づいてくるのが見えた。相変わらず長ドスを持って歩いている。ユキは最近になって日本刀ではなく長ドスだと覚えた。


 人は死ぬと生前愛用していたものを、遺品として持ってきてしまうらしい。ちなみにユキは現在着ている黒のパンツスーツがそれであった。


「あっ、はい。お陰さまでだいぶ慣れました。死者といっても、見た目がグロだったりしないので助かっています」

「そうだな。健康体というのもおかしな話だが、死んだ時点の年齢で五体満足、思考も明瞭な状態で会話も問題なし。どんな悲惨な最後でもここには綺麗な体でやって来る。良く出来たシステムだな」


 マサは感心するように呟くと、ユキも相槌をうった。


 最近のアリスはというと、仕事をマサやユキに任せて、部屋の掃除やマサの世話焼きばかりやっている。この間は大工の棟梁と一緒に戸棚をしつらえていた。もう女神としてのプライドも何処かに捨ててしまったようだ。


「ここの道具類も使いやすくて仕事が捗ります」


 黒スーツに身を包んだユキも、水先案内人のスキルのお陰か、すんなりと転生の間に馴染んでいた。彼女が手にしているバインダー等の小道具も、アリスがどこからか調達してきたものだった。


 カラーンカラーン。


 遠くで鐘の音が聴こえる。


「また新しい方が到着したみたいですね」


 ユキは到着門にて新しい訪問者を出迎えの準備を始めた。

 到着門の仕様もすっかり和風に変わっていた。ユキより前から逗留している大工の棟梁の仕事である。

 姿を表したのは一人の老婆であった。


「ここはどこ……?」


 老婆は呆然と辺りを見回している。自身が死んだことも理解していないようだった。


「ここは死者が訪れる転生の間ですよ」


 ユキがスラスラと口上を述べる。すっかり水先案内人の仕事が身に付いていた。


「死者? アタシが死んだの?」


 老婆は自分のシワだらけの手を見つめ震えている。


「何? この手は! か、鏡……、鏡を見せて!」


 ユキは小脇に抱えたバッグから手鏡を取り出すと老婆に手渡した。

 老婆は奪うように手鏡を取ると、覗き込み小さく息を呑んだ。

 頻繁に自分の死を理解できない者がやって来る。

 そういった者を落ち着かせ、理解させるのもユキの仕事のひとつであった。

 ユキは片眼鏡を右目に当て老婆の姿を覗き込む。


薊千景あざみちかげさんですね。死因は老衰となっています。ずいぶんと長く病院に入院されていたようですね」

「入院? アタシは男たちに呼び出されて……。そ、それで! ……そこからが思い出せない。なんでこんな婆さんの姿になっているの?」

「死んだのを認めたくねぇのは分かったが、こちとら、手早く終わらせてぇんだ早く来な、ババァ」

「ババァ? 誰に口聞いてんだ! アタシには天下の大女優って呼ばれた、薊千景って名前があるんだよ、ヤー公!」

「俺を睨み返すたぁ、大した肝っ玉の持ち主だな? まぁ、こっちに来て話をしようや。茶菓子ぐらい用意してある」

「ご案内いたします、こちらへどうぞ」


 落ち着いた声でユキが老婆に話しかける。押さば引け。引かば押せ。出方に合わせた対応が取れるのも、水先案内人のスキルか? ブラック企業での経験の賜物か? いずれにしても、ユキは落ち着いて対応が出来ていた。


「フン。他に行き場が無いみたいだし。仕方がないわね」


 老婆はため息を付くとマサたちの後に続いた。


 ○△□○△□○△□○△□


「薊千景。元新横浜歌劇団出身。バブルの時代に名前が知れ渡った国民的女優って奴だな。俺もガキの頃に見た記憶がある」

「フン。バブルの時代ってなによ? オイルショックなら知ってるけど」

「とんと名前を聞かなかったが、35歳の時に暴漢に襲われ意識不明。そのまま死ぬまで植物状態か。犯人も全部わかるが聞きたいか? お前と関わりの無い、金で雇われた男みたいだがな」

「聞かないよ、どうせ命令した奴らも分かる。それで、アタシをこんな目にあわせた奴らへ仕返しでもさせてくれるのかい?」

「残念だが、そういった事はやっていない。ここでは行き先を決めるだけだ」

「フン、あんたは閻魔さまかい?」


 千景は正座のまま辺りを見回した。上座に座るマサの後ろには着物を着た西洋人の美女が控えている。受付らしき場所にいたユキと名乗る女は千景の後方。出入り口の側にいた。


「成り行きで似たようなことをやらせてもらっている。まぁ、俺も人の事をとやかく言える程の真っ当な人生では無かったがな」

「まぁいいさ。それで、アタシは地獄行きかい?」


 フンッと鼻を鳴らす千景。


「バアさんは人生の半分以上を寝たままでで過ごしていた。だから生まれ変わって別な人生を歩むことも、別な世界に転生することも出来る。ただし、この天秤で計ってからだ」


 マサは古めかしい天秤を目の前に差し出す。


「これは魂の天秤。バアさんの心臓を片側にのせて、罪が重ければ傾き地獄へ堕ちる。動かなければ輪廻の輪へ入れる。ここの転生の間に来たという事は、簡単にあんたの行き先を決められないってことだ」


 少し考え込む千景。


「少し時間を貰ってもいいかしら? ゆっくり考えたいわ」

「あぁ、時間ならいくらでもある。好きにしたらいい」

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