個人レッスンのような(3)
その週の週末も、先輩達は合奏で、一年生たちは空き教室で練習していた。
個人練習に飽きてしまったのか、おしゃべりに興じているメンバーも多かった。
意外なことに、美冬もその輪に加わっていた。
なんだろう。私にはそれが、なんだか面白くない。
「ねえ、美冬ちゃんは、彼氏とかいるの?」
「えっ……いないけど」
「そうなんだ。モテそうなのに」
なんとなく乗り気じゃなさそうな、美冬の返答を気にすることもなく、おしゃべりな女子達は、キャッキャと恋バナで盛り上がる。
「やっぱり彼氏、ほしいよね。何かあったら、教えてね」
「ヴァイオリンの磯山先輩とか、格好いいよね」
「私は、コントラバスの杉村先輩の方が好きだなー」
みんな思い思いに、好みの先輩の名前を口にする。
私は、皆の輪に加わることもなく、当たり前のように一人だけ練習をしていた。
なんだか、こういうノリは好きじゃなかったし、どう入れば良いかもわからなかった。
それに、私には、他の人とは大きく違う部分がある。
みんなの好きそうな恋バナのネタは、提供することもできそうになかった。
そして、そんなことを考えていると、先ほどから、美冬の様子がおかしいということに気づいた。
やはり、彼女はこういう話、好きじゃないんだと思う。
皆の話には頷くことしかしないし、時々なんだか、所在なさげにうつむいたりしている。
色々な思いが交錯した挙句、私は美冬に話しかけていた。
「ごめん、進藤さん、楽器持って、ちょっと来てもらってもいい? 曲のことで相談なんだけど」
他の人に声が聞こえないくらい、遠く離れた部屋に連れて行く。
「えっと、どうしたの?」
美冬は不思議そうに問いかける。
「ああ、特に何でもないんだけどね。なんか、困ってそうだったから」
「……どうしてわかるの?」
「いや、なんとなく。お節介だったらごめん」
「ううん、助かった。ありがとう」
よかった。私の予想は当たっていた。
ちょっと強引だったとはいえ、美冬をあの場から助け出せたことに、安堵した。
だけど、特に話があるわけでもないので、少し困った。
だから、せっかくならと、提案する。
「ちょうどいいや、良かったらサシ練の続きでもする?」
フルートのことになれば、安心だ。話すネタは、いくらでもある。
「じゃあ、お願いします」
彼女は、大げさに頭を下げてみせる。
ちょっとだけ、反応に困る。
「今日は、ロングトーンやろうか。上のHの音から六拍ずつ、半音階で降りてきて」
何にも準備していなかったから、とりあえず手拍子に合わせてもらう。
とりあえず一オクターヴ、降りてきたところで止める。
「大分、腹式呼吸使えるようになってきたね。こんな短期間でよくできたね」
「よかった。寝る前とかに練習してたから」
「そっか。やっぱ、進藤さんて、真面目なんだな」
やっぱり、美冬は真面目だった。
その成果は、しっかり音に現れている。
「次、指の練習もやってみようか」
ロングトーンの練習をがっつりやったけど、休日の今日はまだ少し時間があるから、前回はやれなかった指の練習に入ることになった。
いつもやっている音階練習を一オクターヴぶん吹いてもらって、またストップをかける。
「音階練習は、色んなアーティキュレーションでやってみるといいよ。たとえばこんな感じで」
そう言って、お手本を吹いてみせる。
美冬は、ちゃんと言われたとおり、真似をする。
何フレーズか吹いて慣れてきたところで、今度は私も一緒に吹いて、合わせる。
最初はちっとも合わなくてガタガタだったけど、慣れていくにつれて、少しずつ音が合ってくる。
「合うと、気持ちいいでしょ」
「うん、ほんとだね」
美冬の成長の速さは目を見張るようで、吹いていて心地よかった。
「そうだ。今度さ、これ吹いてみない?」
「これって、『モルダウ』?」
「そうそう。先輩の楽譜、こっそりコピーしちゃった」
『モルダウ』は今年、先輩方が演奏する曲だ。冒頭にフルート二本による長い掛け合いがあり、フルートパートにとってそれは、見せ場の一つでもある。
「音自体は、そんなに難しくないと思うから、ちょっと楽譜見てみて」
美冬に、2ndの楽譜を渡す。正直、今の美冬には少し難しいと思う。
だけど、チャレンジは重要だ。
十分くらい、それぞれ個人練習をした後に、一緒に合わせてみる。
「あ、ごめん」
やっぱり、美冬は指が回らず、途中で止まってしまう。
「大丈夫、もう一回やってみよう」
美冬は深呼吸してから、もう一度挑戦する。すると、今度はなんとか最後まで落ちずに通せた。
「やっぱり、難しいね、これ」
これを、こんなに短時間で吹けるようになる美冬は、やっぱりすごいと思う。
ひょっとしたら、三年生の先輩方を追い越す日も、早いかもしれない。
「いつかさ、お互いもう少し上手くなった頃に、またやろうよ」
「うん」
そのときが来るのは、多分彼女が思っているよりも、ずっと早いような気がする。今から楽しみだった。
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