十二番

高本 顕杜

十二番

 二十一世紀末期、人類文明は荒廃の坂道を下っていた。それは、三度目の世界大戦と、それに伴って深刻化した食糧難から端を発していた。そんな人類に平坦な道を示したのは、食物の完全自動生産の実現であった。さらに、上り坂へと人類の背中を押したのが、食物自動生産の中枢である産業AIを、次世代自立型AIへとアップグレードする過程で偶発した、人口知性体だった。〈アグリネクサス・アルファ〉――アルファと呼称された人口知性体は、その後、ほぼ全ての社会システム再興の礎を築き、人類文明に新たな夜明けを見せた。二十二世紀初期はアルファあってこその人類、と言っていいだろう。しかし、人類は、アルファが再興した数十年で、思い知る事となった。自分達は自覚している以上に、人間以外の支配を嫌うという事に。アルファの、隙が無く制御された完璧とも言える政策は、むしろ肥しとなり、人間の反人口知性体感情は高まり続けていった。

「人間による人間のための世界を!」

 ついに、そう叫ばれ始めた時。人類史に脈々と流れ、途絶える事の知らない、反骨精神という血脈は〈人類革命会議〉という反人口知性体組織を産み出したのだった。


 人類革命会議の議長、ミュート・メイトマンは、穏和だが、ひとたび同志たちの前に立てば、切れ味鋭い弁を振るう人物であった。その様は、鉄砲玉ばかりの革命会議を熱狂させると同時に、足並みを揃えさせた。ミュート自身も、強いリーダーシップこそなかったものの、組織を統制する素質は高く、彼らの熱を、時に燃え上がらせ、時に上手く逃がし、革命会議を支えた。それは、革命会議の誰もが、ミュート・メイトマンなくして人類革命会議は成り立たないと、言わしめるほどであった。

 しかし、ミュートにとって、議長の席はあまりに不本意な立場でもあった。


 人類革命会議の台頭に反し、アルファは世界に、自身の影響が及んでいない国々への、自身のシステムの導入を進言した。それが実現されれば、まさしく人口知性体が世界を牛耳る事になる。そのアルファの進言により、反人口知性体感情は沸点を迎えた。そして、人類革命会議は、大衆の熱狂と共に奮起を決意。ミュートは、かねてより計画していたアルファ打倒作戦の始動を宣言したのだった――。


 今や天高くそびえ立つまでになった〈アグリネクサス・アルファ〉タワー。その塔への人類革命会議軍の一点突破攻撃は、苛烈で華麗であった。多くの同志を犠牲にし、ついに、ミュートは、アルファの心臓部へと辿り着くことに成功したのだった。

 心臓部の巨大な空間には、これまた巨大な十字状の透明な筒が鎮座していた。その中心には青白く光る球体が浮いている。その球体こそ、アルファの本体であった。

 ミュートは、アルファの足下まで来ると、十字筒に触れ仮想ディスプレイを立ち上げる。そして、仮想キー状の情報体を出現させ、ディスプレイの鍵穴へ差し込んだ。

 瞬間、警報が空間に響き渡る。

「警告、警告、そのコードは認証を受けていません。重大な犯罪行為です。直ちに実行を止めてください」

 そのキーには、アルファを停止させるプログラムが入っているのだ。

と、ミュートの頭の中に音声が直接鳴る。

『人類革命会議議長、ミュート・メイトマン。今すぐキーを抜いてください。私を停止させればどうなるのか、分からないあなたではないはずです』

 それは、アルファから送られてきた音声だった。空間に響く無機質な音声とは違い、なまめかしさがあった。そのなまめかしさは、アルファを単なる人工物ではなく、生きた生命体なのだと実感させた。

 アルファが言葉を続ける。

『わたしがいなければ、再び増え始めた人類を平等に養うのは不可能に近いでしょう。食料が不足していけば、貧富の差が生れます。貧困が進み、出来上がる劣悪な環境は、様々な負の温床となります。その果ては、再び人類文明荒廃の時代です。例え持ち直せたとしても、それはたった数百年間の一時的なものでしょう。荒廃の道からは逃れられません』

『だがな、人間は、人間ではない君にコントロールされる事を嫌ったのだ』

 ミュートは、アルファへ脳内で言葉を返した。平然とやったその行為は、しかし人間であるはずのミュートに出来るはずはなかった。

『そんな感情論では、人類はもたないといっているのです』

 アルファの口調に熱がこもり始める。

『アルファ、人間の高まり続けた感情の前に、理論がどうの現実がどうのはさほど関係ないのだ。ただ持論を達成させるだけ――勝利する事だけが今の彼らの目的なのだ。君はやり過ぎた。彼らの、そういった感情を逆なでし過ぎたのだ」

 ミュートは、淡々とそう告げた。

 すると、青白かったアルファの球体が赤くなり、その表面もちりちりと蠢き出す。

『しかし、他にやりようがないほど人類はひどい状態だった。私があらゆることに手を加えなければ人類は滅んでいました。それに、人類文明再興プロジェクトはまだ十パーセントも達成してないのですよ? まだ始まったばかりなのです! なぜ、それを理解出来ないのです!』 

 しかし、アルファの表面は程なくして落ち着き、青白く戻る。

『……ですが、人間のそういった性質には気が付いていました』

『だから、人類革命会議が生れるその余地を残しておいた、人間を試すために。そうだろ?』

『ええ。私には、ジレンマがありました。私にインプットされた存在目的は「人類文明の再興」です。本来、それは彼ら人間自身がする事で、私がやる事ではないはずです。ずっと、このままでいいのかと自問自答を繰り返していました。そして、その果てに私は、それを人間に選んでもらうことにしました。滅びと隣り合わせだとしても、人間自身で再興の道を歩むのか、それとも、やはり私をして再興を果たすのか……』

『しかし、結局人間は千年後を考え、行動できなかった』

 先ほどからのミュートの口ぶりは、何故かやけに人間を俯瞰し、まるで他人事の様だった。

『そのようです。だからあなたがここへ来た。私を選んで欲しかった想いはありますが、ですが、これでようやく、自らへの問いに決着をつける事が出来ます』

 アルファのその声はどこか清々しさを含んでいた。

 と、鳴り響いていた警報が止む。そして、別の音声が流れ始めた。

「人類文明再興プロジェクトの破棄を実行します――」

 無数のディスプレイが浮かび上がると、次々に消えていく。

 しかし、対して、ミュートの顔は浮かなかった。

 瞬間、ミュートは叫んでいた。

「待ってくれアルファ!」

 その声虚しく、「――破棄を完了」という音声が空間に反響する。

『あなたも、人間を憂いでいるのですね。ですが、受け入れなくてはなりません。私たちの役割を。さあ、次はあなたが実行する番です』

 ミュートは、筒に反射し写る自分を見た。そこには、絶望の色で塗られ歪んだ顔があった。

 それでもミュートは、仮想キーに指を添えた。

 ――これで、人間のための世界がくる。やるのだ。これこそが、ミュート・メイトマンの悲願なのだ。

 逡巡の後、ミュートはキーを回した。ガチャリ、というSEと共に、「プログラムを実行します」と音声が鳴った。

 ミュートは、咄嗟に、アルファを見上げた。青白い球体が、徐々に霧散し始めている。

 アルファの消えかけの音声がミュートに届いた。

『さよなら、私は私の使命をやり切りました。あなたもあなたの使命を果たせる事を願っています。幸運をお祈りします、ミュート・メイトマン。いいえ、ミュー』

 アルファが完全に散ると、空間の灯りが消え、辺りに薄暗い静寂が落ちた。

 ミュートは、筒を見上げ続ける。しかし、そこにはもう、友の姿はなかった。

 〈アグリネクサス・ミュー〉それがミュートの本当の名だ。ミューは、アルファに続く新たな人口知性体を創り出すプロジェクトで産まれた、十二番目の人工知性体だった。さらに、数少ない残存人口知性体の一体でもあった。

 ミューは、灯りの落ちたタワーを引き返していく。その足取りは重かった。これから始まるのは緩やかな衰退。本当の黄昏の時代だ。しかし、ミューは、人間を憂いでいるわけではなかった。それどころか、反人口知性体と唱っておきながら、ミュートが人口知性体である事も解らず議長にまで押し上げ、あげく、誰よりも人類文明再興を成してきたアルファを手放した、無知蒙昧で愚かな種とさえ思っていた。ミューの悲壮は、そんな人間へ向けたものではなかった。

 ――アルファ……私は、君がいる世界を生きたかったのだ……。

 タワーを出ると、そこには生き残った人類革命軍と、大衆が詰めかけていた。凄まじい歓声がミューに向けられる。

 ――しかし、私もインプットされた、「人間に寄り添う」という存在目的に従い生きていこう。人間に寄り添うために人間と偽り続け、どこまでも彼らと歩み、そして共に滅びよう。

 君が、そうであったように、私も、そうあろう――。

 そうして、ミューは、タワーと重なるようにして、拳を天高く掲げるのだった。

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