魔法使いのいる世界

桜田

第1話

 真夜中の静かな住宅街に一つの悲鳴が響く。


「追いかけないでください!」


 女性の様な悲鳴を上げたのは、寝巻きのジャージを着て、片方の手には今さっき買ったばかりのアイスが入った袋を持っている高校生2年生の東方郁登だった。

 童顔な顔つきとやや丸みを帯びた顔の輪郭も合わさって、スカートでもはけば少女にも見えなくもない。

 だから、女性のような悲鳴はある意味では郁登に合っていた。


「なら逃げるなコラァア!」


 走る郁登を後ろから追いかけているのは、郁登とは正反対の顔つきをしている男達だ。

 鋭い眼光、四角い顔、筋骨隆々な上半身。

 彼らは体を上下に揺らすことなく郁登を追いかけていた。


 彼らの下を見ればそれも納得できるだろう。


 男達には足が無い。

 彼らは幽霊。

 この世界中のあらゆる人が、解明できない、と諦められている物の一つだ。


 それもそのはず。

 幽霊の姿は一般人には見えないからだ。

 見えない存在を一般人に証明させることは出来ない。


 だが、こうして幽霊を見ることを出来る人間がいる。


「追いかけてくれば逃げるに決まってるじゃないですか! 俺が何をした!」


 郁登は叫び声を上げながらも走る。

 だが、体力不足のせいで徐々に走る速度が落ちてくる。


 それに比べて郁登を追いかけている男達のスピードはまったく落ちることがない。

 幽霊に体力なんて概念はない。


「俺たちが見えるだけで、十分追いかける理由になる」


「なんだよそれ」


「捕まえた」


 先頭を飛んでいた幽霊の男が、郁登の肩を掴み、後ろに倒す。


「うわッ!」


 郁登は一瞬、体が宙に浮き、後ろへと倒れる。


「何すんだよ!」


 尻をさすりながら、郁登は叫ぶ。

 目にはうっすらと涙を浮かべている。


「お前、俺達が見えたり触れたりするってことは魔法使いだろ?」


 郁登を倒した幽霊、リーダー格であろう男の幽霊が言う。


「……そうだよ」


 郁登は一瞬、間を開ける。


「俺達はな、魔法使いに仲間を殺されてるんだよ」


「それは、そいつが人間に害を与えたから、魔法使いに消されたんだろ」


「消された、か」


 男は郁登に顔を近づけて、睨みつける。


「いいか。俺達は幽霊である前に人間だ」


「そんなの知ってるよ。死んだ人間が幽霊になるってことぐらい」


「そういう意味じゃない。お前達魔法使いは、俺達幽霊のことを人間だと思ってないだろ」


 郁登は言い返せない。

 事実、男の言うとおりだからだ。


 魔法使いにとって、幽霊とは、三種類ある。

 人間に害を与える幽霊。

 無害な幽霊。

 そして、使い魔として操る幽霊。

 魔法使いは、幽霊をその三種類に分類している。

 人とは違う生き物として。


 郁登も、その価値観を持っている。


「殺された仲間はな、何も人間に害を与えることはしていないんだよ。ただの幽霊として、生きていた。それをお前達魔法使いが、遊び半分で殺したんだ」


 その時の事を思いだしているのか、男の幽霊の目には涙が浮かんでいる。


「そんなの俺には関係ない。俺が殺した訳じゃないだろ」


「確かにそうだ。でもな、お前は仲間を殺した奴と同じ魔法使いなんだ。気晴らしぐらいさせてもらうぞ。それとも、俺達を消すか。呪文を唱え終わる前に、その口を拳で塞いでやる」


 幽霊達はせせら笑う。


 もう幽霊達にはばれているのかもしれない。


 郁登が魔法を使えないと。


 魔法使いといっても、全員が魔法を使える訳じゃない。

 魔法を使うための魔力が足りない者、まだ魔法の使い方を習っていない者。


「お前、今まで魔法を使わなかったのは、習ってないからだろ。お前、中学生だろ」


 どうやら幽霊達は、郁登の事を中学生だと思っているようだ。


 魔法を習うのは、魔法使い専用の高校に入ってからだ。


 郁登は魔法使い専用の高校2年生だが、言い返すことはしない。

 魔法が使えないのは事実だからだ。


「俺達の憂さ晴らしに付き合ってもらうぞ」


 指を鳴らしながら、男達は郁登に近づいていく。

 これからやることを想像しているのだろう、男達の顔には、悪霊らしい笑みが浮かんでいる。


 郁登は素早く立ち上がると、一体の幽霊に向かってアイスの入った袋を振り回す。


「ッ!」


 驚いた幽霊は腕を前に出して袋を防ぐ。


 郁登はその隙を突いて、男の幽霊の横を通り抜ける。


 横を通り抜けられた男は手を伸ばし、郁登の襟を掴む。

 郁登はジャージを脱ぐことでその手から逃げる。


「あ! クソコラ!」


 男の大きな怒声が住宅街に響く。


 郁登は走る。


 追う、幽霊達。


「あーもう、追ってくるなよ!」


「なら一発殴らせろ!」


「やなこった」


 郁登は住宅街を右へ左へと曲がりながら走っていく。

 郁登の呼吸が段々と荒くなる。


 それに比べて、呼吸の必要のない幽霊達は一定のペースで郁登の後ろを飛んでいる。


 段々と距離が近づいてくる。


 郁登は肩越しに後ろを見る。

 そこにはすでに二、三メートルまで近づいた幽霊達がいる。


 と、郁登の走っている前方に空から人影が落ちてくる。

 このままでは地面に激突する、と思われた時、フワリと浮いたように影が動き、人影はゆっくりと地面に着地する。


 それを見て、郁登は安堵の笑顔を浮かべる。


「助けてくれ」


 情けない声で人影に向かって叫ぶ。


「いますぐ地面に土下座しなさい」


 人影から少女の声がする。


 その声を聞いて郁登の頭にはある人物が浮かんでいる。


 段々と近づくにつれ人影の正体がはっきりと分かる。

 それは郁登が思い浮かべた人物と同じだった。


 髪を後ろで束ねポニーテールにしていて、まゆ毛を隠す前髪の下にはやや釣り上がった目がある。

 その間にはスーと通った鼻があり、その先には花の蕾のような唇が暗闇の中で赤色を放っている。


 魔法使い、東方素直だ。


「何で土下座なんて」


「なら、そのまま炎に焼かれなさい」

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