転生絵師、イレーネの習作

岡崎マサムネ

転生絵師、イレーネの習作

 昔から絵を描くのが好きだった。


 前世を思い出したのは、「上手ね」と友達に絵を褒められたその瞬間だった。

 前世の私は、二浪した挙句憧れの藝大に入れず、三流の私立美大に通う大学生だった。それが気づいたら、中世ヨーロッパ風の異世界、伯爵家の三女に転生していた。


 中世ヨーロッパ風でありながらどこか近現代的というか、あの時代って実際のところは匂いとかすごかったと聞くけど、そのあたりはもうちょっと清潔な感じだ。

 きっと本物の中世ヨーロッパではないんだと思う。何かの物語の中とか、パラレルワールド的な世界とか。そういう感じなのかもしれない。


 まぁ夢かもしれないけど。

 講評までに作品仕上げなきゃって徹夜続きだったし、寝落ちてたら起きた時が地獄かも。


 ダヴィンチにボッティチェリ、新しいところで言えばゴッホやゴーギャン、モネ、セザンヌ。

 ヨーロッパといえば西洋画のメッカだ。「風」とはいえ画材には困らない。


 褒められたのに気をよくして、私はどんどんと――下手をしたら前世よりも――絵画の世界にのめり込んでいった。

 転生なんて荒唐無稽な状況から目を逸らしたかったのもあるかもしれない。


 貴族子女らしい社交やお稽古はおろそかにしてしまっていたけれど、昔からの友人は変わらず仲良くしてくれたし、末っ子だったのもあってか両親も厳しくは咎めなかった。


「ねぇ、私の絵を描いてくれない?」


 そう友人である令嬢に頼まれた。最初に私の絵を褒めてくれた友人だ。

 何でもお見合い用の絵姿だそうだ。これは気合を入れなくちゃ。


 私は持てる力を尽くして、彼女の絵を描いた。

 本当は静物画の方が得意なんだけど――ほかならぬ友達の頼みだ。やっててよかった、人物デッサン。


 三流とはいえ美大生の端くれ。この世界では相当うまい方だったようだ。

 彼女はひどく喜んでくれて、髪の毛がとても繊細だとか、表情が本人よりも可憐だとか、細かいところまで褒めてくれた。

 まるで神絵師にでもなった気分だ。やっててよかった、色彩構成。


 友人の絵を描いてから、ひと月が経った頃。

 その友人が突然我が家に訪れた。


「イレーネ! ありがとう、貴女のおかげよ!」

「え?」

「結婚が決まったの! それもあの、『白薔薇の貴公子』と!」


 詳しく聞くと、絵姿の出来が思った以上に良かったものだから、憧れていた『白薔薇の貴公子』とやらに見合いの申し入れをしてみたそうだ。

 たいそうな二つ名があるくらいだから相当のイケメンで、社交界の花だったらしい。


 そんな相手だからご令嬢はより取り見取りのひっぱりだこ。

 ダメで元々だったそうだが――絵姿を目に留めたその貴公子から、何とぜひ会いたいと申し入れがあったのだと。

 実際に会ってみれば、友人の明るく元気で貴族令嬢にしてはちょっと気風が良いところを貴公子はいたく気に入り、見事婚約成立と相成ったそうだ。


 すごい、まさにシンデレラストーリーだ。

 私は彼女を大いに祝福したし、彼女は私のおかげだと涙まで流してくれた。

 こんなに喜んでもらえるなんて、絵描き冥利に尽きる。やっててよかった、クロッキー。


 そこから、私のところには次々とお見合い用の絵姿の依頼が舞い込むようになった。


 「絶対に結婚できる絵姿」「恋が叶う絵姿」として口コミが瞬く間に広がったらしい。

 本当に神絵師扱い――を通り越して神扱いされているような気がする。


 違うんです。私を拝まれても、縁結びの力とかそういうのは別に、ないんです。

 そういう不思議な力はないものの、絵姿はどれも好評だった。実際に結婚に結び付いた事例も多かったようで、口コミはどんどん広がるばかり。

 私だけでは手に負えなくなって、「事業経営の練習」とか言って手伝ってくれていた兄さんたちも本腰を入れてマネジメントしてくれている。


 嬉しいことに、依頼に追われる日々が続いていた。

 生きているうちに評価してもらえて、欲しいと言ってもらえて、絵だけで食べていける。それがどれだけ得難いことか、私は先人たちに学んでいた。


 その日も、依頼人が訪れた。

 男の人が一人で来るのは珍しい。女の子が父親や兄に連れられてくることは、時々あるけど。

 キラキラの金髪が目に眩しい、イケメンだ。


 イケメンは小脇に抱えていた絵姿を取り出して、私に見せる。

 あれ、この絵――この前描いた子だ。


「この絵を描いたのは、君か?」

「……は、はい」

「これも?」

「そう、ですが」


 イケメンが次々と絵姿を出してくる。

 どれも私が描いたものだけど――まさか同じ人に見合いを申し込むためのものだとは、知らなかった。


 イケメンの様子から、何やらこれまでと違う異様な雰囲気を感じ取る。

 単に絵の依頼に来ただけ、というのとは違う、ような。

 並べられた絵姿を前にして、私はだらだらと冷汗を垂らしていた。


 まずい。

 絵姿を描く時は「別人じゃん!」とならないように気をつけてはいるが、多少の美化もしていないかというと、ええと。

 写真だって、写りの良し悪しがあるくらいだから、そのくらいは解釈というか、ライティングの範疇というか。


 詐欺じゃないか、とか、そんな風に怒られたりするのだろうかと身構えた私に、男が言う。


「君の絵は素晴らしい! 僕は君の絵に心底惚れこんでしまった!」

「え?」


 イケメンが私の前に跪いた。


 あ、あれ?

 思っていたのと違う展開に、目を白黒させる。


 あれ、これって、もしかして?

 絵が素晴らしすぎて、私のことを、とか?

 そういう??

 そういう少女漫画的な、アレですか??


 イケメンは私の手を取ると、真剣な表情でこちらを見上げた。

 どきり、と胸が高鳴る。


「君に頼みがある」

「は、はい」

「僕の理想の女性を描いてくれ!」

「は……はい?」


 聞き返した。

 あれ? おかしいな??

 何か思ってたのと、違うな??


 混乱している私をよそに、イケメンはつらつらと語りだす。


「僕は今まで自分の理想と思える女性に会ったことがない。だから見合いにもあまり乗り気になれずにいたんだが……でも君の絵を見て、初めて感じたんだ。この女性になら会ってみたい、と」

「はぁ」

「その時会った相手は、性格がお互いにあまり合わなかった。だが次にまた、絵姿を見て会ってみたいと思う女性がいた。その絵姿も、君が描いたものだった」

「へぇ」

「僕は気づいた。絵姿に描かれた女性ではなく――君の絵に惹かれていたんだと」


 はーん、なるほど、なるほど。話の流れがやっと、頭に入ってきた。

 ちょっと、いやだいぶ、理解に苦しむ理論の飛躍がある気はするけども。


「だから君の絵で僕の理想の女性を描いてもらって、それに近い女性を探す! それが結婚への近道だと気づいたんだ!」


 ……まぁそうですよね。

 絵とそれを描いた人間は別物ですよね。

 そんなものは当たり前なんですよ。生産者と野菜は別物ですからね、ええ。分かってますよ。分かってますとも。


 世の中にはそんなに簡単に、シンデレラストーリーは転がっていない。

 たまたまそれを掴んだ友人は、そういえば普通に美人だった。性格もよかった。結局そういうことである。


 赤毛で癖毛で、そばかすがあって。一発で藝大に受かるわけでも、何浪したって諦めずに挑戦するわけでもない。そういう私には無縁なものだ。

 前世でも、今世でも。


 自分の恥ずかしい勘違いを振り払って、頬を掻く。


「えーと。無理に、結婚しなくてもいいんじゃ」

「……詳しくは言えないが、僕にも事情がある。必ず結婚しなければならない」


 そういうものなのか。

 よくよく見ればこのイケメン、着ている服も色合いは地味だが高そうな布だ。

 どこか我が家よりももっと身分の高いお家の跡取り息子、とかなのかもしれない。

 それなら結婚しないわけにはいかないだろう。


 イケメンを見る。金髪碧眼、睫毛はばさばさ、彫りが深くて、当たり前のように八頭身。お伽噺の王子様みたいな見た目だ。

 こんなにカッコよかったら、そりゃあ、選ぶ側なんだろうな。


 そしてこのイケメンがここに通されているということは、兄さんたちはこの仕事を受けるべきだと判断したという証である。

 そうなると、私は選ぶ側ではないのだ。


「まぁ……お代をいただけるなら、描きますけど」

「本当か!」


 イケメンはぱっと表情を明るくした。

 そして立ち上がると、改めて私の手を握る。これは普通の握手だ。最初からこうしてくれたら勘違いしなかったのに。


「チャールズだ」

「はぁ。イレーネです」

「よろしく頼む」


 チャールズ様が白い歯を見せて、にこやかに笑う。うーん、イケメン。石膏室に置いてあったダビデ像より目鼻立ちがはっきりしている。

 あんまり輝かしいので目を背けながら、さっそく準備に取り掛かった。


 想像上の美人を描くというのは初めてだけど、それはそれで面白そう。イラスト系の授業とかも結構取ってたし。

 下地を乾かしておいたキャンバスを引っ張ってきて、イーゼルに立てかける。そして木炭を手に、チャールズ様を振り返った。


「顔の輪郭は?」

「輪郭?」

「細いとか、太いとか」

「……普通くらい?」

「頭の形は?」

「あ、頭の形?」


 私の問いかけに、チャールズ様がぽかんとしていた。

 手に持っていた木炭を置いて、ため息をつきながらチャールズ様を振り返る。


「チャールズ様。理想の女性を描いて欲しいんですよね?」

「ああ、それはそうだが」

「じゃあ理想の女性の頭の形くらい考えてからいらっしゃってください」


 ぴしゃりと言い放つ。

 モデルがいるならともかく、理想の女性、なんて漠然とした情報だけで希望に沿ったものが描けるわけがない。

 私は神絵師でもなければ魔法使いでもないのだ。


 きちんと情報を出してもらわないと、リテイクの嵐で苦しむのは私だ。

 漠然とした「何か違う」とか、そういう要望には付き合ってられない。

 本気ならそのくらいはしてもらわないと。


 そう意志を込めてチャールズ様の瞳を見据えると、彼は慌てた様子で頷いた。


 ◇ ◇ ◇


「紙に書き出してきたよ」

「ありがとうございます」


 次回の予約の時に、チャールズ様はきちんと彼の思う理想の女性についての情報を書いてきた。

 もう来ないかと思ったが、どうもそれなりに本気らしい。よっぽど跡継ぎ問題で結婚をせっつかれているのかもしれない。


 金色のウェーブしたつややかな髪、卵型の顔と頭、ふっくらとした桜色の頬、形のよい唇に、黒目がちの大きな瞳。


 ふむふむ。ちょっとポエミーではあるけれど、具体的な部分もある。その辺りを抽出して、ラフを切っていこうかな。

 紙の最後まで確認して、問いかける。


「瞳の色が空欄ですね」

「そこは、まだ決めきれていなくて」


 チャールズ様が困ったように眉を下げた。

 そうしていると彫刻のような美しさが少しだけ和らいで、一気に親しみ深いものになる。

 うわぁ、この人モテそう、と思った。


 イケメンからキャンバスに視線を移す。

 とりあえず輪郭から、ざっくりと描き出していく。


「こうですか?」

「そうだな、いや、もう少し細い方が、」


 チャールズ様に見せながら、輪郭を修正する。


「これでいかがでしょう」

「いや、細すぎるな」

「……これは?」


 都度微修正をしながら進めていくと、普段の何倍も時間が掛かって、疲れた。

 ほとんど進んでいないラフを眺めてから、チャールズ様が帰って行ったドアを睨む。

 これは、長期戦になりそうだ。


 ◇ ◇ ◇


 次の時、私は絵姿の締め切りに追われていた。

 母の知り合いなので少々無理な納期で引き受けてしまったのがあだになった。思ったよりも進捗が悪い。


 そういうわけで、今日はお引き取り願いたい、明日また来て欲しいとチャールズ様を早々に追い返した。

 その時点では、明日には完成している、はずだった。


 だが急いで仕上げないといけないのに、「もっと若く描いて」とリテイクを食らってしまう。

 本人より十歳以上若く描いてどうする。そんなもの詐欺じゃないか。


 嘘にならないように、それでも少しは良く見えるように。作業にはとても気を遣う。

 ああでも、やっと、着地点が見えてきた。陰影が淡くなるように、やわらかな反射光を下からも入れて――


 熱心にキャンバスに向かっていて気づくのが遅れたが、いつの間にか部屋にチャールズ様が入ってきていた。

 まだ急ぎの仕事が完成していないのだから、兄さんたちの方で断っておいてくれればよかったのに。

 絵筆を動かしながら、告げる。


「すみません。まだかかるので、明日以降にまた」

「……君、昨日もその姿勢でいなかった?」

「そうかもしれません」

「食事は?」

「……」

「夜は寝たんだろうね?」

「…………」


 黙っていると、横から割り込んできたチャールズ様が私からパレットと絵筆を取り上げた。

 何をする、あと少しで掴めそうなのに。チャンスの神様と同じだ。美術の神様だって、前髪しかない。


「今いいところなんです!」

「今君に必要なのは絵筆じゃなくて休息だよ」


 キッと睨みつけると、チャールズ様は呆れた様子でため息をついた。その物憂げなため息があまりに様になっていて、一瞬怒りを忘れる。

 私よりもよほど美術の女神に愛されていそうなその様に、視線を奪われた。


「ひどいクマだ」


 そう言って、私の頬を包み込むように手のひらを添え、目の下を親指でなぞる。

 その仕草も非常に様になっていて、張り詰めていた緊張の糸と集中力が、ぷつんと切れてしまった。


「……休憩します」

「そうするといい」


 私の言葉に、チャールズ様はにこやかに微笑んで退出していった。


 まぁ、絵描きとかアーティストとか、働きすぎて死んだ話とか思い詰めて鬱になった話とか、そういうのよく聞くし。

 休んだ方がいいのはたぶん、間違いないんだろう。


 諦めて仮眠を取ることにして、私もアトリエを後にした。


 ◇ ◇ ◇


 疲れた。

 この前のような地獄は脱したけれど、いつもの絵姿依頼に加えて、チャールズ様からの依頼もある。

 少し描くたびにああしろこうしろと注文が飛んでくるので非常にやりづらかった。普段の絵姿とは違う神経を使うし、脳みその違う部位が疲れる、気がする。


 休息、必要なんだっけ。

 ぼやけた頭で、チャールズ様の言葉と前世の怖いツイートを思い出した。


 そうだ、息抜きしよう。

 椅子から立ち上がると、廊下にあった花瓶を持ってきて、窓際のテーブルに置く。

 ここが一番いい光が入る。自然光に勝るものはない。


 絵を描く息抜きに絵を描くっていうのも妙な話だけど、昔からそうだったのだ。

 静物画はいい。動かないし、文句も言わないし、本物よりも綺麗に描いてやらなきゃと気負わなくてもいい。


 特に花を描くのが好きだった。枯れる前の、一番美しい瞬間。

 それを絵に掬い取ると、何だか達成感がある。あなたが美しかったことは、私が知っていますよと。そう誇らしい気分になるのだ。


 かたん、と音がした。振り向くと、部屋の入口にチャールズ様が立っていた。

 はっと気が付いて、時計を見る。しまった。つい夢中になっていたけど、もう約束の時間だ。


「すみません、すぐに片付けます」

「いや、……ああ、うん」


 チャールズ様は何故か歯切れが悪そうに、返事をした。


 ◇ ◇ ◇


「すまない、少し変更してもらえるか」

「ええ、どのあたりですか?」


 だいぶ形になってきた絵を前にして、チャールズ様が言う。

 「何か違う」系は一切受け付けない所存だが、具体性のある修正なら一考する。

 どのみち彼が「理想の女性だ」と言わなければこの件は完了しないのだし。


 改めて思うと相当面倒な案件だ。兄さんたちはお金には割としっかりしたタイプだと思うので、取りっぱぐれているってことはないだろうけど……この人、どのくらい払っているんだろうか。


「髪は、ウェーブしているよりもやはり、さらさらのまっすぐな髪が良い」

「ふむふむ」

「あとは、もっとこう、目を吊り目にして利発そうに」

「なるほど」

「唇ももう少し、厚くしてほしい」


 言われた内容を目の前の絵に反映させることを想像してみる。

 うん、全体のバランスは、そこまで崩れずに行けそうだ。髪のボリュームが減る分、装飾品は増やした方が良いかもしれない。

 考えて、ふと思い出した。


「そういえば、瞳の色は決めました?」

「瞳の色、は――」


 チャールズ様と目が合う。

 彼は少し迷ってから、私ではなく絵に向き直って、言った。


「エメラルドのような、深い、青緑にしてくれ」

「分かりました」


 頷いた。金髪とも色の相性がいいし、良い差し色になりそうだ。


 私の瞳の色も青緑だが、自分でも割と気に入っている。

 基本的に父に似たが、瞳だけは器量よしと名高い母に似た。まぁ美人の母と私では同じ色でも、雲泥の差なわけだけど。


 形になってきた絵の中の、女性を見つめる。

 きっとこの子は、母さんよりもずっと美人になる。期待を込めながら、絵筆を手に取った。


 ◇ ◇ ◇


「出来た……!」

「おお、これが……!」


 完成した絵を、イーゼルに立てかける。

 少し離れて、チャールズ様と並んで眺めた。


 つややかな金髪に、緑がかったエメラルドのような大きな瞳。

 ふっくらと膨らんだ桜色の頬に、薔薇の蕾のようなぷるんとした唇。

 それぞれのパーツのバランスにも細心の注意を払った。

 白くてシミ一つない陶器のような肌に、華奢な肩。おまけに綺麗なドレスも着せてあげた。


 完璧だった。

 完璧な美少女だった。

 注文の多い顧客の要望をすべて盛り込んだ、渾身の出来だ。


 画材で汚れた手を、エプロンで拭く。

 エプロンをした甲斐もなく、袖口は絵の具で汚れてしまっていた。


 ちらりと横目に、窓ガラスに映る自分の姿を見る。

 最近絵姿の発注も多くて、寝不足だ。肌荒れもクマもひどいし、ただでさえくせっけの赤毛もぼさぼさ。ご令嬢が聞いて呆れる。

 絵の中の女の子と同じなのは、瞳の色くらいだ。


 美しいご令嬢を描けば描くほど、自分の身なりが悪くなっていく気がする。

 でも、満足だった。私のエネルギーを吸いたきゃ吸いなさいよと、そう思うくらいの力作だ。


「どうですか、チャールズ様!」

「……」

「チャールズ様?」

「ん。あ、ああ」


 どこかぼんやりした様子のチャールズ様は、はっと我に返って私を見た。

 そして何故か慌てて私から目を逸らすと、絵に向き直る。


「本当に、美しい。これぞ僕の、理想の女性だ」


 その言葉には、感慨がこもっているような気がした。

 チャールズ様の声が震えていたからだ。


 気持ちは分かる気がする。

 時間をかけて制作していた絵が完成した時には、達成感とともに少しだけ、寂しいような気分になる。

 似たようなものを、彼も感じているのかもしれない。


「ありがとう」


 チャールズ様はそう言って、私に向かって微笑んだ。


 ◇ ◇ ◇


 チャールズ様からの依頼の品が完成して、元の絵姿制作だけを請け負うようになって、しばらく経った。


 見合い用の絵姿制作だって十分に盛況で、それだけでも忙しいはずなのに……これまでの日々が忙しなさ過ぎたからか、何だか時間の流れが遅く感じるようになってしまっていた。

 こんなに時間を持て余すなんて、私は今まで、どうやって過ごしていたんだっけ。

 着彩の手を止めて、窓の外へと視線を向ける。


 チャールズ様は無事、あの絵の女性を見つけられたのだろうか。

 ちょっと美人に描きすぎたかも。あんな美人、そうそういない。


 でも……チャールズ様だって、並外れた美形だし。あの絵と並んでいると、まさに「お似合い」って感じだった。

 最初は変な人だって思ったけど、絵に対する姿勢は真摯だった。

 悪い人じゃない、と、今なら思う。


 あんな美人がいるかどうかは分からないけど……見つかると、いいな。


 ノックの音が響いて、顔を上げる。

 時計を確認するが、まだ次の予約の時間ではない。

 あれ、父さんかな。

 そう思ってドアに近づくと、ひとりでにドアが開いた。


 足元に見えたのは、男物の革靴だ。あ、上等な革。

 視線を上げる。

 そこにいたのは。


「チャールズ様?」

「……やぁ」


 彼はややバツの悪そうな顔で、手を上げた。

 いつもよりもきらびやかで、見るからに高そうな、……ごほん、華やかな服装で、花束を抱えている。これからデートに行くところだと言われたら納得する感じだ。


 彼をつま先から頭の先まで見て、私は首を捻る。

 何で彼が、ここに?

 考えてみて、心当たりは一つしかなかった。


「完成後のリテイクは追加料金貰いますよ?!」

「いや、リテイクじゃない」


 私の言葉に、彼は首を横に振った。

 良かった、だってあれ、会心の出来だったから。

 あれより美人なんて、今の私の技量では無理だ。手を加えても絶妙なバランスを崩してしまう気しかしない。


 警戒している私に気づいたのか、チャールズ様は困ったように眉を下げた。


「新しい絵を頼みたいんだ」


 そう言って、彼は抱えていた花束を、窓際のテーブルに載せる。


「この花と一緒に、今から言う特徴の女性を描いてほしい」


 どういうことだろう。

 私はチャールズ様の申し出の意図を測りかねていた。


 今から新しい絵を頼むって、どういう状況なんだろう。

 たとえば……そうだなぁ。実際に出会った理想の女性が、私が描いた絵とは違ったとか?

 だから新しくその人の絵を描かせて、プレゼントする、とか?

 その時に、今のと同じ花束を添える予定……とか?


 うーん、ものすごく気障だけど、この人なら画になる、かも。

 とりあえず描かないことには帰ってくれそうにないので、イーゼルにキャンバスを立てかけて、木炭を手に持った。

 次の予約までは多少、時間があるし。


 私がキャンバスに向かったのを確認して、彼が話し始める。


「顔は少し丸みがある、かな。目鼻立ちは、そうだな。目が印象的だ。エメラルドみたいな色で、ぱっちりしていて、興味があるものを見つけると表情がくるくる動いて……興味のあるなしが分かりやすい」


 キャンバスに木炭を走らせる。


 チャールズ様の説明にはほとんど淀みがなかった。

 存在しない理想の女性を思い浮かべようとしていたときとは、まったく違う。

 やっぱり明確に、特定の――実在する誰かを描き出そうとしているのは、間違いない。


「髪は赤毛で、長い。ええと、腰のあたりまである。少し癖があって、ふわふわしていて、彼女が動くたびに揺れるんだ」


 赤毛で、癖毛。それでもって、腰のあたりまで。

 ……何だか、ちょっと、おかしい。


 それってまるで、と思って顔を上げると、こちらをまっすぐに見つめているチャールズ様と目が合った。

 彼はしっかりと私を見つめながら、続ける。


「唇は薄めで、鼻のあたりに少しそばかすがあって……忙しいのか時々目の下にクマができていて。夢中になると休憩しないんだ。あと猫背気味だな。しゃんとしないと身体を痛めるよ」

「……あの」


 木炭を置く。

 いやいや、そんなまさか、また勘違いでしょう。


 そう言いたいのは山々だったけど、彼の視線は絶対に勘違いと言わせないぞとばかりに私にばっちり注がれていて、結局言える台詞は1つだけになってしまう。


「それ、私じゃないですか?」

「そうだよ」


 にこりと微笑んで、チャールズ様が頷いた。


「理想の女性を描いてもらって、よく似た女性を探した。何人か見つけたけど……しっくりこなくて」


 見つかったんだ。

 そっちに驚愕してしまう。


 だってあれ、相当な美人だったし。そしてそんな人とお見合いして、「しっくりこない」とか言えちゃうって。

 チャールズ様の今日の服装はいつもの8割増しくらいゴージャスで、あれ、この人本当に、私が思っている以上に良いご身分の人なのでは、という気がして――頭がくらくらする。


「当たり前だな。途中から、君に似せないようにするのに必死だった」

「……え」

「夢中で絵を描く君から、気づいたら目が離せなくて」


 チャールズ様の青い瞳に、私が映っている。

 赤毛の癖っ毛で、そばかすがあって、ちょっと猫背で――エメラルド色の瞳の、私が。


「一生懸命で、真剣で――それでいてすごく、楽しそうな顔をする」


 跪いて、チャールズ様が私に向かって花束を差し出した。

 そしてそっと、私の手を取る。

 この構図、初対面の時とよく似ている。他人事みたいに、そう思った。


「この指が、君が。作り出したから特別だったと気づいたんだ」


 チャールズ様が、私の指先にキスをした。

 かっと顔が熱くなる。


 こんなの、まるで、王子様みたいで。

 少女漫画、みたいだ。


「イレーネ。君こそが僕の理想の女性だ」


 木炭で汚れた指を、チャールズ様の指先がやさしくなぞる。

 俯瞰の構図から見下ろす彼は、やっぱり彫像みたいに綺麗な顔をしていて――ミケランジェロも真っ青だ、と思った。


「君の隣に、僕も描いてもらえないだろうか。この花と、一緒に」


 眉を下げて、微笑む。

 美の暴力を前にして、美術のしもべであるところの私は――首を横に振ることなど、出来なかった。


 呆然としたまま突っ立っている私に、立ち上がったチャールズ様がそっと寄り添う。

 あまりにスマートな所作に、思わず今言うことはそれじゃないでしょうという言葉が溢れた。


「ま、まるで、王子様みたい、ですね?」

「あー……まるで、というか。何と言うか」

「……え?」


 ◇ ◇ ◇


 その後。

 私の描いた絵は、「王子様の心を射止めた絵」としてさらに謎のご利益が生まれてしまうのだけれど……それはまた、別のお話。

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