びしょぬれツバメは雨に笑う

芝草

1.うわの空を飛ぶツバメ

 雨が降ると、何かが起こるような気がする。


 静かに降り始めた梅雨の空を見上げながら、私――黒川くろかわツバメはそんなことを考えた。


 例えば、幼馴染おさななじみの男子学生に「バカだな、かさを忘れるなんて……ほら、入れよ」とか言われながら相合傘あいあいがさをしちゃったら、どんな気持ちになるかな、とか。

 例えば、校舎の三階の三番目の個室から、クスクス笑う声が聞こえてきたら、どうしよう? とか。

 例えば、この灰色の雨雲の隙間すきまから、悠々ゆうゆうと空を泳ぐりゅうが見えるかもしれない、とか……。


 ……と、こんな話をすれば、もうお察しのことと思うけれど。私には空想癖くうそうへきという困ったクセがある。それも、幼い時からずっと。


 保育園児のころなんか、公園の噴水をのぞき込んでは「人魚姫がいないかな」なんて思ってたり(そして、見事に噴水ふんすいに落っこちたのはヒミツだ)。

 小学生の時は、「空を飛べるかな」なんて思って掃除用の古びた竹箒たけぼうきにまたがってジャンプしたり(そして、派手に転んで足をひねったのはナイショだ)。


 そんなことがある度に、母さんからは「何をしてるの、危ないよ」と注意された。幼馴染おさななじみのタカくんからは「ぼんやりツバメが、また、うわの空を飛んでる」とからかわれた。


 一応、断っておくと。中学生になった今では、トイレの姿なき声とか噴水の人魚姫なんて、本気で信じていないからご安心を。


 でも、「そんなことがホントにあったら、どんな感じなのかなぁ」なんて、いまだに思ってしまうのだから……。残念ながら、私の空想癖は生まれてこの方、十四年間じゃ治らなかったのだろう。


 そんなわけで。

 その日も、私は、急に降りだした雨空を見上げてぼんやり空想しながら、一人で下校していた。


 でも、川嶋河かわしまがわに架かる簡達橋かんだちばしの前を通りかかった時だ。私の能天気な空想は、頭の中から吹っ飛んでしまった。


 ヤバい場面に出くわしたかもしれない。トイレの姿なき声なんかよりも、ずっとヤバい場面に。


 一瞬、幽霊ゆうれいを見たのかと思ったけどそうじゃない。

 目の前の簡達橋かんだちばしの中央。その欄干らんかんの上に、誰かが立っている。


 そいつは、ひょろりとした長身の男子中学生だった。


 彼の印象を一言で言えば「白蛇しろへび幽霊ゆうれいみたいだな」……ってかんじ。

 たぶん、腰に届くくらい長い彼の白髪はくはつが、雨の混じる風の中で白い蛇のように見えたせいかもしれない。あるいは、橋の下の濁流だくりゅうながめる彼の赤いつり目が、獲物えものを探す蛇のそれを連想させたのかも。


 彼のことは名前もクラスも何一つ知らない。けど、その服装だけは別だった。

 紺色こんいろのブレザーと長ズボン。ななめのストライプがらの赤いネクタイ。そして、胸元むなもとにある瓢箪ひょうたんをあしらったエンブレム。


 間違いなく、私と同じ笠臣かさおみ中学校の制服だ。


 しかし、長い白髪に赤目の男子って。こんな目立つ風貌ふうぼうの生徒を、私は見たことがない。カラーコンタクトも染髪(白髪なら脱色かもしれないけど)も立派な校則違反だ。生徒指導の先生が、見逃すはずがなさそうだけど……。


 折り畳み傘の下で、私は小首を傾げた。


 彼はこの雨の中、傘も持たずに何をしてるんだろう? それも、橋の欄干らんかんの上なんていう、足場の悪い場所にわざわざ立ってまで。足を滑らせ一歩でも踏み外せば、川嶋河かわしまがわに真っ逆さまだというのに。


 念のため説明しておくと、川嶋河かわしまがわはこの町で一番大きな河だ。


 当然、その河に架かっている簡達橋かんだちばしも町一番の大きな橋。私が全力で走っても橋を渡りきるまでに、丸々二分はかかるし、橋の上から川面までは校舎の三階くらいの高さがある。


 空想するまでも無く、そんな橋から河に落ちたら無傷では済まないだろう。


 それとも――それこそが彼の狙いだとしたら? 


 私はひゅっと息をのむ。降ってくる雨が急に冷たくなった気がした。


 どうしよう。

 こんな――目の前で同じ学校の生徒が河に落ちてしまいそうな――時の対応なんて。流石の私も空想したことがない。(どうせ、空想するならハッピーな方がいいでしょ?)


 私はオロオロと周囲を見回した。こんな時、冷静に正しく対処してくれるような人はいないだろうか? 

 でも、帰宅ラッシュをすっかり過ぎた通学路には誰もいない。あぁ。やっぱり放課後の居残り追試なんてろくなもんじゃないな。


 じゃあ助けを呼ぶ? カバンの中のスマホを探しながら私は考える。こんな時、電話するのは学校? それとも警察? 


 考えがまとまるより先に、彼の白髪頭がぐるりと回ってこちらを向いた。表情の読めない真っ赤なつり目が、まっすぐに私を見ている。


 ヤバい。目があった。

 どうする? 


 指一本動かせない私の体の中で、脳みそだけがグルグル空回りしてる。


 何か声でもかけてみようか? でも、初対面の彼と何を喋れば? 

 ここはベタに「今日はいい天気ですね?」とか? いや、この雨の中それは無いか?

 ……と。しょうもないことを考えている間に。


 彼の体が欄干らんかんの上で、ふらり、と傾いた。


 あ、しまった。

 今は空想なんてしてる場合じゃなかった。


「危ない、落ちる……!」

 彼に向って思わず叫んだ時にはすでに、私の体は駆けだしていた。



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びしょぬれツバメは雨に笑う 芝草 @km-siba93

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