第15話 果実の記憶

 わたしたちは電車に乗った。

 来たとき同様、わたしは外を眺めていた。この綺麗な風景はいつまでも見てられる。

 ティーユも同じようにしてはいたけど、あいかわらず何を考えているのかわからない。そもそもカメレオンだし、ロボットだし。わかるはずもないか。


 しばらく流れる緑にぼーっとしていると、ティーユが教えてくれた音を思い出した。

『キーン』と『プシュー』は停車するときに聞こえていた。見た文字のとおりで、かわいげもあった。

『ガタンゴトン』は走行中に聞こえてきた。たしかに文字どおりの音ではあったけど、これはかわいいとは思えない。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。心地よい響きとリズム。その中でかすかに感じる不協和音。それらをずっと耳にしていると、強烈な睡魔が襲ってくる。優しさと力強さが混在しているこの音を、わたしは言葉で言い表すことができそうもない。


「眠いなら寝てもいいぞ」

「いいの?」

「ああ。ただ、自分で起きなければコイツをくらわすけどな」

「ひとでなし」

「俺は人じゃない」

「いいよ、起きてるから。風景も音も楽しみたいし」

「そうか。あとで後悔しても知らねぇからな」

「はいはい」


 結局、わたしは寝てしまっていた。体が睡眠を欲しているわけではなかった。この空間にいると、自然と眠りに落ちてしまうのだ。

 電車がわたしたちの拠点の最寄り駅に到着したとき、わたしはティーユの尻尾ビンタで目覚めた。


「もう少し優しくできないの?」

「優しくやったぞ」

「冗談でしょ? あれで優しいって……本気でやったら顔なくなるじゃん」

「優しくはやったが、それだとお前が起きなかったんだよ。だからだんだん強くしていった。それで起きたのがさっきの強さだ」

「……電車って怖いね」

「怖いのはお前の鈍感さだ」


 駅を出ると、懐かしい光景が目に入ってきた。

 変だな。まだ一日も経っていないのに懐かしいと感じる。わたしはそれほどまでに自然に吸い込まれていたのか。


 あらためて自然の偉大さに心を打たれていると、空から『ギューグォーン』という音が聞こえてきた。これもティーユから教えてもらったものだとすぐに気づき、わたしは空を見上げた。

 目をこらすと、小さな飛行機がゆっくりと空を飛んでいた。


「たしかにティーユが見せてくれた文字どおりの音だね」

「あぁ、飛行機か」

「わたしもあんなふうに空を飛べたらなぁ……なんて、子どもみたいだね」

「大人でもそう思うことはあるさ」

「そっか」

「腹は空いてないだろうが、また何か食べとくか?」

「そうだね。今度は何がいいかな?」

「甘いとくりゃあ、次はしょっぱいだな」

「しょっぱいか……そう聞いてパッと思いつくのは、梅干しかな」

「近頃は酸っぱいっていう形容のほうが適してるけどな」

「そうなんだ」

「だが、作り方次第ではしょっぱいものもまだまだある。お前の頭の中から出たわけだし、次はしょっぱい梅干しで決まりだな」

「わかった。でも近くに売ってるの?」

「ちょっと検索してみる」


 ティーユは数秒間だけ黙った。わたしはその間、無表情のカメレオンを見ていた。


「あったぞ。すぐ近くのスーパーだ」

「じゃあ行こう」


 歩いて二分もしないところに、目的のスーパーが。

 ガラスの向こう側にちらほら人が見える。これがいつもどおりの集客なのか、それとも時間的な問題なのか、それはわからない。

 ただ、こういう場所で買い物をするとき、人は少ないほうがいい。なんとなくそんな気がした。


 スーパーに入ってすぐ、しょっぱい梅干しを見つけた。一パックに五個入っている。ひと粒の大きさは親指と人差し指で作る丸くらい。思っていたより大きい。


 こんなに食べられるかな……。


 手に取ってレジへ向かおうとしたとき、ティーユが声をかけてきた。


「どうせなら次のも買っておこう。またあとで買いに来るのは面倒だ」

「そうだね。次は何がいいかな?」

「似たようなものだが、酸っぱいものにするか」

「酸っぱいもの……レモンとか?」

「王道だな。だが楽でいい。洗って丸かじりすればいいからな」

「じゃあレモンにするね」

「そうだ、夕飯はどうする? 別で何か買うか?」

「うーん……特にはいいかな。梅干しとレモンでいい」

「クエン酸のオンパレードだな」

「今日はもうこれだけでいいよね」

「お前がそうしたいならそれでいい」

「わかった」


 梅干し一パックとレモン一個を購入し、わたしたちはホテルに戻った。


 ティーユによると、お会計をしてくれた店員さんに変な目で見られていたらしい。わたしはこの組み合わせに対して特に何も感じなかった。世の中にはいろいろな人がいるのだとあらためて思った。


 ホテルの部屋に入ってすぐ、わたしはベッドに倒れ込んだ。

 疲れが出たのか、安心したのか。どちらにしても、ふわふわの布団が気持ちいい。


「寝るのか?」

「ちょっとゆっくりするだけ」


 そう言って目を閉じると、わたしは眠ってしまった。



『梅干しもレモンも疲労回復効果があるんだぞ』

『そうなんだ! それでその、ヒロウカイフクコウカって何?』

『それはな……』



「ん……んんっ……ぐはぁ」

「寝すぎだ。もう二十時だぞ」

「えぇ……」

「そんな疲れてたのか」

「そうかも。なんか夢も見たし」

「夢? それ、どんな夢だ?」

「えーっと、博士がちっちゃい女の子に梅干しとレモンに疲労回復効果があるって言ってた。ただその女の子はよくわかってなさそうだった。それで終わり」

「なんだそれ。でも夢か……」

「どうかしたの?」

「夢を見たということは、脳に影響を与えられているってこと。実験の効果が出てきたのかもしれない」

「あそっか」

「見たものがさっき買ったものだから、まだそうとは言い切れないけどな」

「でも目覚めてからはじめて夢を見たと思うから、その点ではいいことかもね」

「ああ」

「よし、このまま脳に刺激を与えられるようにご飯にしよう」

「ご飯ね……」


 わたしはまず、しょっぱい梅干しを手に取った。

 わたしは食に対して深い思いがないからわからないけど、お米の上に乗せて食べたくなるのが普通らしい。実験が終わったら食べてみようかな。


 パックからひと粒だけ取り出し、口の中にまるごと入れた。

 歯に硬い物が当たり、ゴリっという音が聞こえた。種がある。口から種を取り出し、残った部分を噛み続け、飲み込んだ。


「無味」

「だろうな」

「これ、種が面倒だね。でも、少しは楽しめたかも」

「そうか。じゃあ次はレモンだな」


 今度はレモン。

 キッチンで軽く水洗いをしていると、口の中に違和感を覚えた。


「なんか唾液が出てくる。耳の下も少し痛いかも」

「レモンの記憶はあるのか?」

「酸っぱいものってことくらいは」

「なるほど、条件反射か」

「深い眠りにつく前に食べてたってこと?」

「だろうな」

「ならもしかしたら……」


 わたしは期待しながらレモンを丸かじりした。国産だから皮ごといけるとティーユが言っていたけど、わざわざそうする必要はなかった。


「唾液はいっぱい出るけど、やっぱり味はしない。ちょっと不思議……」

「そうか。まあ予想どおりではあったが、不思議な感覚になったのならレモンを選んで正解だったな」

「そうだね」


 今日は夢も見れたし不思議も味わえた。脳にいい刺激を与えられていそうでうれしい。

 わたしは残りの梅干しとレモンを平らげ、ささっとお風呂を済ませ、ベッドにダイブした。

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