第11話 周りは日常
ホテルから出ると、ここに来るまでによく何も思わなかったなと思った。町にはたくさんの人がいるのだ。
外に出たばかりで、周りのものよりも外そのものに対して目が向いていたのだと思う。
落ち着いて周りをよく見てみると、人の往来や車の流れが目の中に飛び込んでくる。
「ちょっと圧倒されるね」
『あんだけ眠ってればそうもなるさ』
「あんだけ……? わたしはどれくらい眠ってたの?」
『さあな』
「さあなって……自分で言っておいてそれはないでしょ」
『うるせぇ。いちいち覚えてないんだよ』
「ロボットのくせに?」
『ビンタくらわすぞ』
「ごめんごめん」
『ふんっ……』
高性能ロボットが覚えていないなんてことがあるとは思えない。特に記憶に関しては人間よりも優れているはず。それどころか、月とスッポンくらいの差はあると思う。これは絶対にはぐらかされたな。
そういえば、ティーユはなんでカメレオンなんだろう。鳥でもないし猫でもない。犬でもないし人でもない。
どうでもいいけど、ちょっと聞いてみよう。
「いまさらだけど、なんでカメレオンなの?」
『知るか。お前はなんで人間なのって聞かれても答えられないだろ?』
「……たしかに」
『まあ、おおかた博士の趣味かなんかだろ』
「博士の趣味かぁ……ちょっとありそう」
『それより、さっさと散歩しろよ。実験が進まないだろ』
「そうだね。じゃあ行こっか」
視覚のときみたいに博士の言うことを聞いているだけのほうが楽だった気がする。ただそれだと博士の人形でしかないから、この状況になったのはよかったと思う。
せっかく自由になったのだ。もう少し気楽にいこう。
わたしたちはまず、歩道をゆっくりと進むことにした。
周りには歩いている人がぽつりぽつり。
革靴やスニーカー、ハイヒールなどもちらほら見える。ただ、足音はひとつも聞こえない。こういう音がしているんだろうなとは思うけど、それはあくまでわたしの想像で。実際にはどんな音がしているのかまったくわからない。
気にしていなければなんてことないけど、気になったら音が聞きたくてたまらなくなった。
「ねぇ、ティーユ」
『どうした?』
「今わたしは耳が聞こえないわけだけど、ティーユは聞こえるでしょ?」
『ああ』
「じゃあどんな音がしてるか教えてくれない?」
『それは……いいのか?』
「いいんじゃない? そんな音なんだって思ったら脳にいい刺激がありそうだし」
『たしかに。なら気になったものがあったら呼んでくれ』
「わかった。ありがとう。さっそくだけど、足音ってどんな感じ?」
『すとすと、しゅっしゅ、すたすた、こつこつ。こんな感じだな』
「うーん、文字で見るとなんかイメージしづらいなぁ」
『それをイメージすることで脳に刺激がいくんだろ? がんばれよ』
「そうだね」
そうはいっても、やっぱり文字だけで実際の音をイメージするのは難しい。
歩いている人の足に合わせてティーユが教えてくれた文字を当てはめてみても、合いそうで合わないというか、大げさな感じになるというか。けっこう複雑なんだなと思う。
『どうだ? なんか感じたか?』
「全然。頭を使ってるなぁとは思うけどね」
『そうか』
音を想像するのはかなり疲れる。脳が刺激されているのか。そう思えば一歩前進かも。
自転車が何台か横を通り過ぎた。風を感じることはあっても、やっぱり音は感じない。
「自転車はどんな感じの音?」
『あれ自体はそんなに音は発してないぞ。あるとすればベルくらいか』
「じゃあベルってどんな感じ?」
『今は鳴ってないから俺の記憶でもいいか?』
「えっ、それならいいや」
『なんでだよ』
「実際に鳴ってる音じゃなきゃ意味ないでしょ」
『じゃあ今しがた鳴ったから言うぞ』
「じゃあって……ほんとに鳴ったの?」
『いいや』
「ひどっ。なんで嘘つくの」
『俺が嘘をついてもお前は気づかない。それが聞こえないってことだ』
「……そうだね」
ティーユの言うとおり、今のわたしは何を言われても本当だと信じるしかない。自分だけが聞こえていないから、そうするしかないのだ。
言われるまで気づかなかった。ちゃんと教えてくれたのはうれしいけど、これからは本当のことを言っているのか疑うかもしれない。でも、そんなの嫌だ。疑いながら進むなんて……そんなの嫌だ。
知らないほうがいいこともあるんだ……。
『安心しろ。俺はもう嘘はつかない』
「えっ?」
『そんな悲しい顔するなって言ってんだ。見せてるから言ってはないけど』
「……ふふっ、ありがとう」
『まあ、言えないこととか言いたくないこともあるから、そのときは適当に流すけどな』
「ケチ」
『なんか言ったか?』
「ううん、なんでも」
ロボットに気を遣われるとは思わなかったけど、意外と優しいところがあって見直した。博士が言ってた『口は悪いけど面倒見がいい』っていうのはこういうことだったんだ。
『ここらは飽きたな』
「じゃあちょっと移動しよう」
わたしたちは近くにある駅まで来た。立ち止まって話す人や、電話で誰かと話す人などが見える。
もちろん声は聞こえない。口が動いているからそう思っただけ。
あの人たちはいったいどんな話をしているのだろう。顔は笑っているからおもしろい話をしているのかもしれない。いや、笑っているのは顔だけという可能性もある。
声が聞こえないから表情からしか判断できない。いや、もし声が聞こえたとしても判断できないこともあるか。
なんだろう、この感覚。説明するのは難しいけど、最初の圧倒をさらに超える、人という存在の圧を感じる。
「すごいね……」
『ここはターミナルほどはないけど、他と比べたらそこそこ大きい駅だからな』
「ふーん、そうなんだ」
こうして見ると、世の中にはいろいろな人がいるんだなと思う。
制服姿の学生やスーツ姿の会社員。群青色のサラサラヘアーやよく燃えそうなモジャモジャ頭。
さまざまな個性を持つ人たちが、ここに集まっている。
わたしはあくまでこの中のひとりでしかない。ありのままのわたしがここにいても、別に誰にも見られないんじゃないか。
「いや……そもそも」
『ん、どうした?』
そもそもわたしは、本当にここにいるのだろうか。わたしはこの世界に、本当に存在しているのだろうか。
動く人、動かない人、走る車、走らない車。それらがみんなそれぞれの音を出しているというのに、わたしにはなにひとつ聞こえてこない。
わたしだけがいない。体はここにあるけど、わたしだけが……ここにいない。
「……イタッ!」
ティーユの尻尾ビンタがわたしの視界を明るくした。
『無視してんじゃねぇ。どうしたって聞いてんだろ』
「……ごめん」
『で、どうしたんだよ』
「うん。なんかよくわからないけど、自分だけが取り残されてるというか、そもそもこの世界から消えてしまったというか。そんな複雑な感情が、頭を支配していったの」
『ふんっ、なにをいまさら』
「は?」
『そう感じるのはあたりまえだ。今のお前は耳が聞こえないんだから』
「あっ、そっか。そうだった……」
少し前までは聞こえないことを自覚していた。それなのに、聞こえないという恐怖に苛まれ、いつのまにか闇が心を巣くい、わたしは聞こえないことを忘れていた。
ティーユがいてくれてよかった。もしここにいなかったら、わたしはここから一歩も進めなかったかもしれないから。ありがとう。
『おっ、電車だ。見てみろよ』
電車か……。
どこまでも続く線路の上を、ひたすら走る四角い箱。その連なりが揺れ動くとき、大地や空気までもが共鳴する。わたしはその音を覚えてはいない。
「どんな音してる?」
『ガタンゴトン、キーン、プシュー。こんな感じだな』
「なんかかわいい」
『なんだそれ』
日常にはいろいろな音が存在している。今は何も聞こえないけど、聞こえるようになったときに答え合わせをするのが楽しみだ。
そういえば……。
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