四感のエトリー
平葉与雨
視
第1話 目覚めし少女
自分と同じ形をした何かに、全身をぐっと押されているような感覚がした。突然の出来事で多少の戸惑いはあったけど、それが重力であるとすぐに理解した。
どれくらい眠っていたのだろうか。すぐには体を動かせそうにない。
自分が何者か、思い出すことができない。それどころか、起きていたころの記憶がまるでない。
ただ、それに対して喪失感はない。むしろ空っぽな状態が普通とさえ思う。
正方を成す天井は雪のように白く、どこにも汚れはない。
このキャンバスに親近感が湧くのは、喪失感がないことに関係しているような気がする。
少し離れたところから、小さな機械音が。その規則的なリズムに、なんだか心が休まる。
途中でちがう色を足してみたくなるのは、記憶にない自分の潜在的な何かが働いているのかもしれない。
ふと、口の中が甘い気がした。食事をしたのは眠る前だろうから、そのときにお菓子を口にしていたとしても、今まで残り続けているとは思えない。
何か別の要因があるとは思うけど、特に気にする必要はない気がする。
はて、この匂いはなんだろう。鼻の奥を刺激し、それでいてクセになるような香り。花畑のような優しさはないけど、待合室のような包容力を感じる。
ここは病院かそれに似た施設なのかもしれない。
こんなよくわからない状況でも落ち着いていられるのは、温もりを感じる乳白色の布団のおかげだろうか。
不思議と懐かしい気持ちでいっぱいになる。
万有に作用する引力にも慣れ、ようやく体を動かすことができた。
関節がギシギシと音を立てている。これは悲鳴なのか、はたまた歓声なのか。
どちらとも思える絶妙な響きが、頭の中でこだましている。
四方を囲む壁は天井と同じくらい白い。
部屋全体がここまで白いと、精神がおかしくなるのではないかと不安になる。
扉のようなものは見当たらない。光の乱反射で境目がわからないのかもしれない。
「あっ……」
ベッドの他には何もないと思ったけど、ひとつだけ変わったものが壁に取り付けられていることに気づいた。
立ち上がって確認してみると、そこからは視線が。
近づかなくとも、それが何かはわかる。鏡だ。
異様なまでの部屋の白さのせいか、ぱっと見では気づけない。鏡に映る自分を見るまでは、そこにあることさえ忘れてしまうほどだ。
それより……。
ここに来てからはじめて自分の姿を見た。今までの記憶がないわけだから、驚きがあるのはあたりまえだけど。
「わたしって、思ったより小さいんだ……」
これまで頭の中に浮かんできた言葉の質が、少女のようなこの見た目にはそぐわない。
まるで別の人格が宿っているような、そんな気さえしてくる。
真っ白な肌にこれまた真っ白なワンピースを身にまとい、銀白色の髪が肩の上で揺れている。
周りの白さを吸収するような透明な虹彩が、じっとこちらを見つめている。
このままわたし自身も吸い込まれ、延々と輪っかの中を
自分という存在がはっきりしていない状態で、これが自分であると目の前に提示されている。
これがわたしだと信じるしかないけど、このなんとも言えない違和感はずっと残り続ける気がする。
それにしても、わたしはいったい何者なのだろうか。
「……ん?」
突然、心の中がざわついた。
そして頭の中に謎の
*
見えない力に押されても
わたしはりんごを頬張る
オオカミが吠える満月に
偉大な学者は糸口を得る
深いトンネルにひとり
前も後ろも空気が通る
遮るものは存在しない
ただわたしがあるだけ
真四角の空はひたすらに
横たわる心を見透かすも
動きはじめたこの人形は
まだ何もわかっていない
ワルツに似たヘルツ
内で揺れるは心の臓
ルールに従うレール
外に溢れるは魂の手
これが最後の
胃液に溺れる米の粒
大きな船に小さな体
物資不足で警報
旅待つ人は世界樹の前
風に吹かれて右往左往
差し出される冷たい手
取るも取らぬも天の道
雲の中の
風船で飛ぶ夢を見る
太陽の熱で弾けても
新作はまるで無尽蔵
錆びつくブリキの音が鳴り
動物たちが集まりはじめる
静かな森にて会議が開かれ
明暗の間で意見が分かれた
汚れを知らぬ城壁に
囲まれ心が乱される
隙間も見えぬ完璧さ
盛者必衰を思い出す
現実世界に戻ってくれば
そこにあるのは真実の目
わたしの姿に驚くわたし
これ着ぐるみの呪いなり
*
「……っ!」
今のはなんだったんだろう……。
意味があるようでないような、不思議な言葉の波。意図せずそれに乗ったわたしは、わたしであってわたしでない。
ますます別人格を疑いたくなるこの奇妙な現象に、わたしの体は硬直した。
と、その
「おっ、目が覚めたようだね」
「……!」
どこからともなく声がした。
わたしは全身に針金が通されたような感覚になりながらも、だんだんと血の流れを感じるようになった。
聞いたことあるようでないような。どこか記憶に引っかかりそうで引っかからなそうな。
突如として耳に入ってきたのは、そんな独特の声だった。
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