メロウ(仮)

小宮 亰

プロローグ

「また猫探しかよ」


依頼人が帰ってすぐのソファに寝転び、寝癖がついたままの髪を跳ねさせながら、ミツがあくびを漏らしてボリボリと背中を掻く。

だらしない姿を横目に、ソーヤは二人分の湯呑みを手にしてパーティションで仕切られた奥のキッチンへと向かった。申し訳程度の小さなキッチンには、昨日の夜中にミツが夜食で使った食器がそのまま残っている。

舌打ちをして、ダラつく同居人に文句を吐いた。


「おい、お前が使った物は洗えって言ったよな」


「わかってるって」


わかっていない者の常套句に、何も言い返すことなく自分の洗い物だけを済ませ、再び事務所の応接場所に戻った。


小さな街のごく端にある雑居ビル。そのうちの二階と三階を占拠しているのが、仕事場兼住居としている二人の便利屋事務所である。

一階が風俗店で夜間に人の出入りがあり、四階は病院で昼間に人の出入りがあるという落ち着かない場所ではあるが、時間を気にせず生活音が出せる点では重宝している。近所付き合いも得意な方ではないので、家族団欒の中に放り込まれるよりは住み心地も良い。


今日は休日ということもあり、下の階の風俗店は昼間でも人の出入りが多く見えた。先ほど猫探しの依頼人として来ていた女性も、ソッチ系の人間だろうと予想出来る見た目だった。クチコミでこの事務所を知ったのだろう。

ペラペラのキャミソールを隠すように、気だるげに肩までズリ下がった厚めのカーディガンを細い手で掻き合せていたのを思い出す。猫の心配より、自分の服の心配をした方がいいだろう、とは口が裂けても言えなかった。


ミツが寝転がるソファの反対側へ周り、ソーヤはどかりと腰を下ろす。スプリングが軋んだまま沈み込み跳ね返ることはない。さすがに替え時か。

女性の依頼内容……迷い猫の情報が書き出された用紙と、データを貰いプリントアウトした猫の写真を手に取る。毛の短い、すらっとした見た目。元野良猫で種類は何だか知らないと言っていたが、とても野良とは思えないほど綺麗だった。

きっと、大いに愛されて育ったのだろう。


止まっていた息を吐き出し、ゆっくりと吸う。

眠そうに目を閉じていたミツがソッと瞼を開け、資料を見つめるソーヤに尋ねた。


「もう始める?」


彼の声に引き上げられるようにソーヤは顔を上げてミツを向く。

明るい髪が、窓から刺す日の明かりに照らされてキラリと光る。


手にしていた資料をミツへ手渡し、「うん」と短く答えた。

ミツは情報を斜め読みした後、猫の写真へと目を通す。あれ、というように眉間に皺を寄せ、しばらく無言で写真を眺めていたが、不意に声を上げた。


「あ。俺、コイツ見たことあるかも」


「お前の“見たことある”、アテになんねぇからな……」


「はぁ!? この間の遺品整理の時に、お前が捨てそうになってたお宝拾ったの俺だからな!?」


「あれはどう見ても落書きすぎるだろ」


「お前の感性死んでんね」


大きく溜め息をつき、勢いをつけてミツがソファから立ち上がった。テーブルの上に無造作に放り投げるように資料を落とし、両手を天に突き出して伸びをする。


「留守番どうする?」


限界まで伸びた腕をソーヤの方へ押し付け、整えられていた黒髪をグリグリと乱す。その腕を払い落として軽く頭を振ると、サラリと抵抗なく髪が戻った。

そのままソーヤも立ち上がって、入口近くに立っているコートラックから上着を掴んで羽織り


「コイツに任せよう」


言って、コートラックの隣に立つ緑色のカエルをポンと叩いた。台座の上に座った笑顔のカエルのお腹には、手書きで「僕、留守番中」とでかでか書かれたスケッチブックを携えている。

了解、と敬礼を返し、じゃあ早速出かけようとソーヤに近づいてくるミツを押し止めた。不満そうに口をとがらせる彼に、ソーヤは寝起き同然の格好を指さして続ける。


「まず聴き込み。その格好どうにかしろ」


「猫がいる場所知ってるって言ったじゃん」


腰に手を当て、どこからその自信はくるのかと疑いたくなるほど、しっかりと言葉にする。悪くはないが、仕事をするに当たって、人への第一印象の大切さをそろそろ覚えてもらいたいところだ。

どう言ったものかと言葉を探していると、真顔のまま佇むソーヤに恐怖を垣間見たのか、自発的に「……着替えマース」とミツが手を挙げて、自室として使用している三階へ続く非常口へ向かう。部屋の中に階段がなく移動ができないので、外へ出て螺旋階段で上がっていくのだ。正面からでも行けはするが、依頼人と鉢合わせは避けたい。特に今のミツは。


非常口が閉じる音が響いた。

待つ間に、ソーヤは留守番くんを来客用出入口の扉の前に出し、中から鍵をかける。ラックからバッグを取って肩にかけ、中に資料を詰め込むのと一緒にゼリー飲料とチョコレートバーもいくつか入れた。腹が減ったと泣き喚いたら食わせておこう。


腕時計を確認する。昼を少しすぎた当たり。

とりあえずはミツが見たと言っていた場所での聴き込みをしよう。アイツが一人で出かける場所は限られているし、そう遠くはないはず。

この後の予定をザッと立てていると、外階段を降りてくる音。顔を上げると、ちょうど非常口が開いた。

柔らかな明るい髪が風に揺れ、先程の寝巻き替わりの白Tシャツとスウェットパンツに上着を引っ掛けただけのミツが顔を出す。


「おっしゃ、行こ!」


パン、とひとつ手を叩いて階段を降りていくミツ。

まぁ最初の頃よりは良いかと及第点を出して鍵を閉め、後を追うようにソーヤも階段を降りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る