第14話 小夜子3

 居酒屋を出ると、すぐに『毒耐性』を元に戻す。すると先ほどまで体中を回っていた酩酊感や、ちょっとした吐き気なんかもすぐに消えてしまう。


「何度見てもずるいわよね、それ」

「そんなことを言われましても」

「普通パッシブスキルの効果って、そんなに簡単に弄れるものじゃないのよ?」

「だって、できますし。というか『毒耐性』って持ってる人多いじゃないですか。みんな同じようにしてお酒飲んでいるんじゃないんですか?」

「ああ、その辺には結構面白い話があってね。元々お酒好きの人って、『毒耐性』を覚えてもエタノールに対してスキルが発動しないんですって。アルコールを毒と判断するかどうかって、人によってばらつきがあるのよ」

「そうなんですか?」

「そりゃまあ酒好きにとっては、酒は毒ではないのでしょうよ。だから、あんたみたいに対象を任意で切り替えてる『毒耐性』持ちは貴重なのよ。熟練度の問題なのか、個人の認識の問題なのか……。スキルってやつにはまだまだ謎が多いのよね」


 そうやってスキルのことを話す小夜子さんはとても饒舌だった。普段より少し高い声が心地良い。ぼおっと風景を眺めていると、不意に手を握られた。触れた肌は冷たくて、心地良い。


「うち、寄ってってよ」

「……ん」


 はいとも、いいえとも取れないような曖昧な返事を返すと、小夜子さんは何も言わずに私の手を引いていく。この流れ久しぶりだな、とぽやぽや考えながら、黙って彼女の後ろを歩いた。か細く繋がれた手が見た目以上の引力で、私を引き留めていた。






 小夜子さんの家はオートロック式のマンションだ。彼女の後ろに付いてエントランスを抜け、エレベーターで階を上がる。4階の3号室。


「ただいまー」


 赤ら顔の小夜子さんは誰もいない部屋の暗がりの奥めがけて声を投げかける。体をふらつかせながら危なっかしくパンプスを脱いで、こざっぱりとした廊下の奥に歩いて行く。

 電灯を付けるとリビングが白っぽく照らされる。ただっ広い室内は、ガランとしている。家具もまともに置かれていなくて、酷く殺風景に見える。

 だけど部屋の隅の方、遮光カーテンに仕切られた窓辺に、カーペットの敷かれた一角がある。高そうなソファーが一つ。その前にはローテーブルと、大きなテレビ。

 普段はずっとここで過ごしているのだろう。ソファーの上には寝間着やら下着やらが放り投げられていて、テーブルの上には本が積まれている。隣にはビールの空き缶が二つ、たたまれたノートパソコンの上に置かれている。


「唯、先にお風呂入ってくれる?」

「うん」


 小夜子さんに促されて脱衣所に向かう。外套を脱いで確認すると、と『火耐性』のエンチャントを潜り抜けて大きく焼け焦げていることが分かった。修繕で元に戻るかな? 予備の外套はエンチャントされていない。

 体も所々火傷ができている。ただ魔素を大量に取りこんだ体は、免疫力も回復力も上がる。風呂上がりに軟骨でも塗って置けば問題ないだろう。

 浴室の中には仄かに漂白剤の匂いが染みついている。たぶん掃除したばかりなのだろう。シャワーで全身を濡らすと、火傷した箇所がピリピリと痛む。シャンプーボトルに手を伸ばす。ローマ字のロゴが入った高そうなシャンプーだ。ボトルから出して髪を洗うと、浴室の中に花の香りが広がる。それからリンス。小夜子さんと同じ匂いだ。何故だか急に気恥ずかしくなって、急いで体も洗って浴室を出る。

 脱衣所にはいつの間にか着替えが用意してあった。小夜子さんのTシャツだった。女性にしては上背のある小夜子さんの服を小柄な私が着ると、丈が余ってぶかぶかだ。


「あら、早かったね」

「いつもこんな感じですよ?」


 交代で小夜子さんが脱衣所に向かう。一人になると急に手持ち無沙汰になってしまう。ソファーの上に服を避けて座り、なんとはなしにローテーブルの上の本に手を伸ばす。


「…………」


 文字の羅列を見た瞬間に、頭が理解することを拒み始める。おそらくスキル関係の専門書なんだと思う。それだけは何となく分かった。その他の本も大抵はダンジョン関係の専門書で、その中に混じって心理学やら精神医学やら、果ては哲学書なんてものまで積んである。


「何見てるの?」


 何時の間にか小夜子さんが風呂から上がっていた。時計を見ると30分も時間が過ぎている。


「読みたいなら貸してあげるけど」

「読めないですよ」

「唯は地頭は良いと思うんだけどな」


 ブラトップとショートパンツ姿の小夜子さん。彼女の細くて白い足が剥き出しになって晒されている。普段は見えない分部は白くて細い。気が付けば意識が引き付けられている。罪悪感を覚えてしまうのは何でなんだろう? 心臓がドクンと一つ、変な風に脈打つ。微かに体温が上昇している。心の奥底に沈んでいた粘ついた衝動のようなものが、浮かび上がって体に結び付く。

 小夜子さんはソファーの上の衣服を雑に押しのけて、私の隣に座る。手には缶ビールの350ml缶が一つ。私は一度、ぱちりと瞬きをして、その間に良くない欲求を全て消し去ってしまう。それから小夜子さんに微笑み返す。


「唯も飲む?」

「お酒はもう飲まないです」

「そっか。あ、映画見てもいい?」

「どうぞ」


 小夜子さんはテレビを付けて、映画を流し始める。サブスク?とか言う奴らしい。

 テレビの中ではダンジョン帰りのアメリカ海兵隊員が、銃を片手に市警やら、地元マフィアやら、魔物やらと切った張ったの大乱闘を繰り広げている。全てが派手なアクション映画だった。


「あははー、やれやれ!」


 小夜子さんは上機嫌だ。画面を見つめる目がキラキラと光っていて、ふにゃふにゃと笑っている。私はいつの間にか彼女に抱きかかえられるみたいな姿勢になっていた。ぐったりと大人しい私は、ぬいぐるみ代わりみたいだった。お腹に回された腕が温い。


「小夜子さんは、明日仕事じゃないんですか?」

「いんや、休みだよ。唯は?」

「年中休みみたいなものですけど」

「そんなことないでしょ。探索者は忙しいよ」

「消耗品の買出しに行きます。ポーションとか結構使っちゃったから。それからスティレットも」

「…………」

「小夜子さん?」

「何でもないよ。お金大丈夫なの?」

「ポーションは何とか。スティレットはちょっと厳しい……。暫くは草むしりが収入源です」

「そっか。本当に、探索者は大変だよね」


 画面の中で海兵隊員は、馬鹿みたいな大きさのウォーハンマーを振り回して、マフィアごと火蜥蜴を粉砕している。実際にスキルを使っているようには見えないのだけれど、どうやって撮影しているのだろう? 海兵隊員が派手に動く度に、抱きかかえられた小夜子さんの手が、ギュッ、ギュッと私の身体を反射的に握り締める。時折長い足もパタパタと揺れる。本当に子供みたいな仕草だ。会話しながらでもしっかりと画面は見れているらしい。


「私って、探索者なんですか?」

「れっきとした探索者でしょ。うちのギルドにちゃんと名簿登録してあるわよ?」

「そうなんですよね。……何だか変な感じだ」

「何が気に入らないのよ?」


 ちょっとだけ考えてしまう。曖昧な考えを拾い上げるのは、苦手だった。今度もまた私の感じた違和感を上手く言葉にできそうになくて、困って、だから結局もやもやしたまま吐き出してしまう。


「あの人たちは夢や目標や使命感があったり、そうじゃなくても生きる為にお金が必要だからダンジョンに潜ってる訳じゃないですか」

「うん」

「私は、自動的に生きているだけ。生きるのって、結構自動的じゃないですか。そういう側面だってあるじゃないですか。体は勝手にお腹を空かすし、何も考えてなかったら、生きようとする方向に勝手に進んじゃうんです。私の場合その自動的に生きる部分が人より広がっていて、ダンジョンに潜ることも含まれちゃってるんだと思います。習性みたいなものなんです。たぶん探索者の戸籍を取ったのも、その習性に都合が良かったから」

「探索者、したくないの?」

「別に、もう慣れたから、そういうの分からない」

「じゃあさ、」


 画面の方をずっとみていた小夜子さんの視線が、不意に私に向けられる。彼女の身体にグデグデともたれ掛っていた私は、自然と彼女の顔を下から見上げるような態勢になる。


「私が飼ってあげようか」

「……ん?」

「自動的に生きて行くためなら、別に冒険者じゃなくてもいいんでしょ。だったらわざわざ危険なことをする必要ないじゃん。うち、部屋が余ってるから、一緒に住めるよ」


 小夜子さんの瞳が画面から離れて、抱きかかえた私をジッと見下ろしていた。おどけた口調だったけど、瞳には真剣な色が浮かんでいる。

 困ってしまう。頭が混乱する。小夜子さんはもしかしたら寂しいのかな、とか色々な考えが浮かんでは消える。でもダンジョンに潜るのは辞められない。それしかできない出来損ないだし、今更辞め方が分からない。

 私は困った末に口の端を無理矢理歪めて、笑う。


「あははは」

「もう、へらへらして」


 頑張って捻り出した愛想笑いを、小夜子さんはクスリと笑ってくれた。


「…………?」

「好きなんだよね。唯の愛想笑い、というか困った笑い? ふわふわしてて、可愛くて」


 そう言って彼女は愛着を示すみたいに、私の頬をさわさわと撫でる。


「あんた、今凄い顔してるよ」

「…………」






 朝、微かな光で目を覚ます。

 昨日は結局小夜子さんに抱き枕代わりにされて、一緒のベットで寝た。隣を見ると既に起きた小夜子さんが、イヤホンを付けて携帯を弄っていた。


「ああ、目が覚めたの? おはよう」

「……はよ」

「私、もう少ししたら出かけると思う。唯は好きなだけ寝てな。出て行く時は、部屋を出ると自動で鍵が閉まるから」

「……ん」


 話を聞いている間にも、勝手に瞼が下がって行く。寝ぼけ頭が微かな携帯の着信音を微かに捕らえて、隣にあった温かいものがパタパタと音を立てて離れて行く。


「ねえ、唯」

「……ん?」


 再び目を開けると、いつものギルド職員の制服に着替えた小夜子さんが私の顔を覗き込むようにして眺めていた。


「唯はさ、例えば冒険者のランク上げて、有名になって、金も男もバリバリだぜ~、みたいな生活したい?」

「……なにそれ?」

「探索者ドリーム、みたいな? 高級タワマンに住んで焼肉だって食べ放題。もうポーションなんかでお金に困ることも無くなるよ」

「興味無い」

「うん、だと思った」


 さわさわと頭がくすぐられるような感触がして、すぐに気配が遠くに離れて行く。ガチャンと玄関のドアが閉まる音がして、部屋の中は再び無音に包まれた。


「…………」


 ……小夜子さん、今日休みだって言ってなかったっけ?

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