潮風の吹く喫茶店、茜色の南ヶ丘町。

赤緑下坂青

第1話



蝉の声が空気を切り裂くように響き渡る終業式の日。雲ひとつない青空は、光を反射して白く眩しい。校庭の砂が太陽に熱されて、足元から立ち上る熱気が、まるで夏の始まりを祝うかのように揺らめいていた。


校舎の影を見つけて、佐藤遼は自転車置き場の脇に腰を下ろした。教室は終業式後のざわめきが尾を引いていて、ひどく暑苦しい。遼はネクタイを緩め、鞄を横に置くと、汗ばむ襟を指で引っ張って風を入れる。白いポロシャツがぺたりと肌に張り付いて、不快感を際立たせていた。


夏休みの始まりを告げる学校の鐘の音が響き渡ると、急に世界が静かになった気がした。生徒たちはそれぞれの約束に向かって三々五々散っていき、校庭に残るのは、静かな蝉時雨と時折吹く潮風だけになった。


「何してんの?」

軽い声が耳元で響いた。振り返ると、制服のスカートがふわりと揺れ、陽の光を浴びた宮下梨花が立っていた。麦わら帽子を片手に、眩しそうに目を細めている。


「いや、別に。ただ、暑いから休んでただけ。」

遼はつい目を逸らす。梨花の姿はいつもと変わらないはずなのに、夏の光の中ではどこか違って見えた。長い黒髪が風に流れている。彼女の笑顔は、小さい頃から何度も見てきたものだが、なぜか今日だけはその意味を掴めずにいた。


「そっか。」

梨花は遼の隣に腰を下ろすと、ポケットから小さなメモ帳を取り出した。それを開いて何かを書き込み始める。遼は特に話すことも見つけられず、ただ彼女の横顔を盗み見る。少し日焼けした頬と、制服の半袖から覗く腕が、どこか健康的に見えた。


「ねぇ、遼。」

梨花が不意に口を開いた。その声には少し真剣な響きがあった。


「なに?」

遼は視線を砂に落としたまま答える。


「夏休みの間だけでいいから、私と付き合ってよ。」


突然の言葉に、遼は思わず顔を上げた。梨花は微笑みながらメモ帳を閉じると、まるで何でもないことのように続けた。


「ほら、どうせ暇でしょ? 私も暇だし。」


まっすぐな目と軽い口調のバランスが絶妙で、冗談とも本気とも受け取れない。遼は言葉に詰まったまま、しばらく梨花を見つめた。


「なんだよ、それ。冗談だろ?」

「冗談じゃないよ。夏休み限定ね。期間はきっちり守るから。」

「……どういうことだよ。」


遼は困惑しつつも、心のどこかで彼女の真意を探ろうとしていた。しかし、梨花は答えを濁すように麦わら帽子を被り直し、立ち上がる。


「深く考えなくていいからさ。ほら、海行こうよ。」

彼女は靴についた砂を払うと、遼に手を差し出した。


遼は迷ったが、結局その手を取ることにした。校庭を抜ける風が少しだけ涼しく感じられたのは、そのせいだったのかもしれない。




 

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