第13話 金閣寺13ページをお開きください。
いよいよ有為子の出番でこざる。
有為子と溝口の関係は、掴み損ねていまして、ぜひミシマスキーのみなさまの解説をいただきたい気持ちがあります。
溝口は、有為子の体を思うくらいには女子として認識しつつも、好きなのかというくらいではない。
自転車の前に飛び出したのはたまたまである。
そこでの出来事を告げ口され、逆恨みの気持ちが湧く。
で良いのだろうか。
もちろん!その後の!有為子の事件は素晴らしいですよ!!!
千織は、大義または真の愛で心中するのが好き!!!
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
それにしても、有為子の事件を書くために、「有為子との関係→事件」という風に物語は置かれますが、その前に「その事件により溝口がどうであったか」が先に書かれているんですよね。
それって、その予告に寸分違わぬ出来事を書かなくてはなりませんよね。
答えは2です。有為子の自転車のところは0.5、事件そのものが1.5、みたいな。
抽象と具体が恐ろしいくらいピッタリ合っている。
そんなの書く前に考えれば当たり前だろうと思われがちですが、案外簡単ではなく……
私は教育の人間なんですが、生徒のテスト答案の採点の話で例えますと、
先生が作る「正答」がありまして、それが数字でいう1だとしますよね。
まず、偏差値が高い子の解答は、言葉自体は違えど、1の範囲で書いてきます。
その中で、1.1や0.9みたいな解答は、わずかな差ですが比べれば見劣りします。
次に、ちょっと下の偏差値群。0.8〜1.2くらいの解答がバラバラと出てくる。
なので、採点者の方が妥協して、どこまで本文を限定解釈、拡大解釈できるかを考えます。(ちなみに私の専門は法律だったため、この仕事には重宝されました)
でもまあ、この範囲なら日常生活は困らんだろう……ってくらいです。(テストではその差が合否を決めますが)
ただ、もちろん人間社会はそんなに甘くなくて、0.5〜1.5とか、0.3〜2みたいな世界も当然あります。
そこが教育観が問われるところ……。
まあ、教育については置いといて。
本文の要約、言い換えだけでも、正確にできる人は3割かなと思います。
それを、具体と抽象の行き来で正確にできるというのは頭良すぎですね。
これを書くにあたり、二周目の金閣寺ですが、改めて勉強になりました。
つづく
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