【1話完結】片道切符

水也空

Спутник-2

 象牙色のスライドドアー。

 中はこぢんまりとした診察室。白衣に眼鏡の老人がひとり、ゆったりと椅子に腰かける。ファイルに目を落としたままもぐもぐ言った。


「やあ、ジョン。入りなさい。調子はどうかな」

「えっ、ドクター? いつものドクターは」

「彼は急なオペでね。代わりに私が話を聞こう。もちろん無理にとは言わないが…」

「いいえ。でも、僕はジョンじゃないです」

「そうかね、ジョン。ええと、君はそう…当院の治療を拒否したそうだね」

「拒否だなんて! 先生、僕は信じられないだけですよ」

「と言うと?」

「犬です!」

「ふむ?」

「犬をやったっていうじゃないですか! 自分たちが犠牲になるのは嫌だからって、ちいさなシャトルに餌と水と…たったひとりぼっちで詰め込んで…あいつら…」

「…」

「ドクター、きいてますか」

「聞いているよ。それで?」

もクソもないですよ。宇宙の果てまで片道切符ですよ。ひどい話だ。全部で57回…8回だったかな。戻ったのもいるんだったかな。はじめてのその子はライカっていうメス犬で………」

「…」

「と、とにかく、とんでもない虐待じゃないですか! かわいそうだ。信じられない。それがあいつらの持続可能な社会ですか。幸先良い未来ですか。人類なんて、まともじゃない!」

「それで? まともな君はどうしたいのかな?」

「ヴィーガン食を出してもらえませんか」

「うちはレストランじゃないんでね。だが君にそういう要望があるというなら、他に紹介状を書いてもいい」

「僕を追い出すっていうんですか」

「いや。君の要望にこたえらえるよう努力しているだけだよ。ただ、ここは病院だからね。病院は治療をする場所なんだ。我々の方針、我々のやり方で。治療それを嫌だというなら…」

「薬は出してもらえるんでしょうね」

「おや、君は薬は飲むのか」

「まさか薬までもらえないっていうんですか」

「君のその薬のひと粒に、無数のライカの命が犠牲になっているのは知ってのことなんだろうね」

「えっ」

「ライカはまだいい。彼女にはとりあえずでも名前があった。だがその薬のひと粒になったライカたちは? それこそ数えきれない無名のマウスかラットか、これに至るまでの膨大な実験動物の命を考えたことは? それともマウスより犬の方が尊い? かわいい? 君のお好み?」

「そ、そんな! それとこれとは」

「落ち着いて。これは尋問ではないからね。とかとかも無い。重要なのことは、いったい君がどういう魂なのか。何を思って何を考え、これまで何を行い、今後どうしていきたいのかを君自身に承知してもらう。それだけが、この私が君にしてやれることだからね」

「………あなた、あなた誰なんですか。何なんですか。本当は」

「ジョン」

「僕はジョンじゃない!」

「では、君は誰なのかね」

「……………」

「いや、いいんだよ。私が知る必要はまったくない。くり返しになるようだが尋問ではないからね。裁判でもない。強いて言うなら…で、君、どうしたいんだったかな。この地球から脱出したい? ライカのように? それともどこかの別次元に転生したい?」

「さっきから」

「ん?」

「その羽ペンで何をしてるんです」

「記録だよ。そう。君の心音は愉快だな」

「なんです。なんのことです。さっきからあなた何を言ってるんです」

「おっと、もう立つのか。まあいい。そう興奮しなくても、この惑星はおそらくこれからも自由に大らかに持続していく。まともな人類のご要望にこたえられるかは不明だがね。大昔からそうしてきたのだ。淡々と、粛々と、惑星の方が大ベテランさ。だからそう心配なさんな。安心なさい。君らが持続可能かどうかは端から問題にもなっとらんのだから」

「も、もう、もういいです。もうたくさんだ。帰ります―――ドアは」

「お好きに」

「ドアはどこだ!!!」

「片道切符」

「えっ」

「ライカだけではないということ。君も、惑星も、むろん私も。これで安心しただろう。まさか嫌というわけではなかろうね?」




 ―――バチッと、音。

 が、耳奥でしたような。そうでないような。気がつけば大の字で寝ていたらしい。

 はたと左右を見渡した。それでも意識の根がぐらぐらして定まらない。

 おえっと胸までムカついてきたから、あわてて寝返りを打ってみた夜勤明けの午後。時計を見ると、とっくに15時を過ぎていた。


 「起きたか」という夫のいつもの声。

 電子タバコの甘ったるい臭い。

 それにカーテンを透る象牙色の陽光をながめながら、夢心地ながら、わたしは言った。


「……………じょん」

「なんだよホームズ」

「人類が大変でござる」

「やめとけ」

「なんか…あたまわるい夢みた」

「どんな?」

「わすれた」

「へーえ!」


 ブッと屁でもコクような調子で、夫は向こうへ行ってしまった。

 が、すぐに戻ってきてコップをくれた。


「冷たぁ…」

「水、飲め」


 まあ安心しろよと、コップの向こうでニヤニヤ言った。


「マジで大変なら、ぜったいに忘れないだろ」

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【1話完結】片道切符 水也空 @tomichael

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