シークレット・エージェント
クマガラス
第1話異変の記録
「世界変動」と呼ばれる災厄
西暦2117年、全人類が目撃した奇跡――否、災厄の記録はこう始まる。
火星衛星軌道上に設置された宇宙ステーション「アレス」。そこは人類の科学技術の粋を集めた観測施設だった。第三次世界大戦の終結後、急速に進化した科学技術は他惑星への居住を現実のものとし、人々の楽園は地球を越え、火星にも広がっていた。
その日、「アレス」の観測チームは天文学的異常に直面した。
「こちら、火星宇宙ステーション『アレス』! 本部、応答願います!」
通信は緊迫した声で満たされていた。観測窓から見下ろす火星の居住コロニーが次々に消滅していく様子を目撃したのだ。その瞬間、光り輝く謎の球体――まるで巨大なクラゲのように形を変えながら、火星の大気を漂う光の輪――が現れた。
「……信じられない。あれは生物なのか? それとも……」
無重力に浮かぶ宇宙飛行士たちは、息を呑んだ。彼らの頭上で、光体は突然方向を変え、地球に向かって進み始めた。そして――それが地球に到達した瞬間、「世界変動」と呼ばれる出来事が発生した。
全人類、全国家がある日突然、未知の大地に転移したのだ。地球と酷似した環境だが、そこは明らかに地球ではなかった。
2125年――異世界の現状
「世界変動」から8年。
未知の大地「エリューシア」に降り立った人々は、外敵から身を守るため、各国が防壁を築き上げた。防壁の中は安定した生活を取り戻しつつあるが、未知の大地は未解明の謎に満ち、人類は依然として試練の中にあった。
CIAエージェントの秘密任務
CIA本部――眺望の良い高層オフィスにて
アルフレッド・バーナーは、紺のスーツをピシッと決め、窓の外にそびえる防壁を眺めていた。彼の整った容姿と気品ある佇まいは誰の目にも好印象を与える。
その平静な表情の奥には、深い洞察力と計算された冷静さが隠されていた。
「おはよう、アルフレッド!」
部屋のドアが乱暴に開き、マーガレット・マルティネスが勢いよく飛び込んできた。黒髪をまとめた彼女の姿は疲れた様子を隠しきれず、ジャケットの内側にはシワだらけのワイシャツが覗いている。
「君も朝は苦手そうだね」
アルフレッドは微笑みながら彼女を観察した。
「溜まっている洗濯物を片付けることをお勧めするよ」
「……分かるの?」
マーガレットは頬を赤くして顔を隠す。
「まあね」
アルフレッドは、彼女のワイシャツから漂う微かな生乾きの匂いや手入れのされていない爪から、彼女が最近ストレスに押し潰されていることを察知していた。
「……えーと、とにかく、今回の任務の資料よ」
マーガレットは気を取り直し、白い長机に分厚い資料を投げ出した。
資料には「ネオ・ヒューマン」と呼ばれる異能者たちの詳細が記されていた。
「世界変動」以降、一部の人類に発現した特殊能力と特殊体質――それがネオ・ヒューマンだ。彼らの力を恐れた各国政府は、彼らを隔離するための研究施設を設置した。その中でも「エボルチオ研究所」は、数々の非人道的な実験が行われていると噂されている。
「ふむ……」
資料をめくるアルフレッドの目が、ある項目で止まった。
「オリヴァー・フルスタイン――マッドサイエンティストとして悪名高い人物の名がある」
「そうよ、今回の潜入捜査の対象の一つね」
オフィスのドアが再びノックされる。息を切らせて現れたのはロバート・カーター。屈強な体格のアフリカ系男性で、顔には大粒の汗が浮かんでいた。
「すみません、遅れました!」
「いいんだ。彼女も遅れてきたからね」
アルフレッドはさらりとマーガレットをからかい、彼女が憤慨するのを無視して、ロバートに水を差し出した。
ロバートの真摯な態度と真面目な表情にアルフレッドは内心安堵していた。
「彼なら信頼できそうだ」
ロバートは研究所の職員として潜入し、内部から情報を収集する役割を担う。
アルフレッドは、「ネオ・ヒューマン」に扮して収容者の一員となることで、内部調査と被験者たちとの接触を図る。
「失礼ですが、アルフレッドさん。メモを取らなくていいんですか?」
「良い質問だね。実は私は“完全記憶能力”を持っていてね」
「本当ですか?まるでネオ・ヒューマンみたいな話だ……」
「さて、どうだろうね」
アルフレッドの能力――後天的サヴァン症候群による完全記憶能力は、彼の仕事において最高の武器である。だがその能力が、今回の任務を危険に満ちたものへと変える鍵となるのだった。
研究所は要塞そのものだった。3つの厳重な検問所、アスファルトで覆われた分厚い壁、複数のロックシステム。アルフレッドは、刑務所さながらの施設に潜入者として忍び込む。
「これからが本番だ」
彼の任務は以下の4つだ。
研究所内部の状況調査
資料との照合
被験者たちとの接触と情報収集
ロバートへの定期報告
研究所内に入ると、アルフレッドは囚人服のような衣服を着せられ、目隠しをされた。視覚を封じられても、彼の特殊能力「完全記憶能力」は、周囲の音や匂い、振動を鮮明に記録していく。
「目隠しなど意味をなさない」
内心でそう呟きながら、アルフレッドは研究所内の各エリアを感覚でマッピングしていった。
「此処が今日からお前の住処だ。勝手に出ようなんて考えるなよ?」
鉄格子の独房に案内されたアルフレッドは、冷静に周囲を観察していた。コンクリート壁、最低限の生活空間、そして厳戒態勢の監視カメラ。
「随分と手厚い歓迎だな。感謝するよ」
刑務官に皮肉を交えながらも、礼儀正しい態度で接するアルフレッド。彼の言動に、看守たちは戸惑いを隠せない。
だが、この過酷な環境の中でも、アルフレッドは周囲への観察を怠らなかった。
アルフレッドが収容された部屋の向かいには、もう一人の被験者がいた。
独房の向かいに収容されていた男は、資料に記載のあったロレイン・フォルスター。
念力サイコキネシスを操るネオ・ヒューマンであり、研究所内では他の収容者たちからも一目置かれる存在だ。
「……お前、何者だ?」
ロレインの問いに、アルフレッドはあえて嘘を交えた。
「私はアルフレッド・バーナー。能力は『完全記憶』だ」
「そうか……だが、見るからにして随分と落ち着いているな。この状況で恐怖を感じないのか?」
「慣れているだけさ。だが、君のような能力を持つ者に会うのは初めてだ。感動しているよ」
二人は会話を交わしながら、少しずつ打ち解けていった。ロレインから得た情報は、研究所の暗部に迫る重要な手掛かりだった。
「俺の名はロレイン・フォルスターだ。能力は『念力』だ」
ロレインは190センチを超える筋肉質な大柄の男で、その瞳には強い怒りと冷徹さが宿っていた。
「此処の話を聞いてもいいかい?」
アルフレッドは穏やかに問いかけた。
ロレインは口を開き、彼がこの施設で体験してきた過酷な日々を語り始めた――それは、人間の欲望と科学の暴走が引き起こした、暗い現実そのものだった。
アルフレッドとロレインの物語は、この出会いから始まる。
未知なる力に支配されたこの新世界で、彼らの運命は、どのように交差し、そして変わっていくのだろうか――。
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