「罪のゆるされる日に」
TSUKASA・T
「罪のゆるされる日に」
「オプションを行使するなら、事前に通知してからにしてもらおう」
冷えた声が通告する。
押さえた口調に厳しさを自然に織り交ぜるのが似合っている。
医師としての彼も、研究者としての彼も。
そして、無論「故郷」の管理者としての姿をみせる彼にも。
尤も相応しいものだ。
薄い金のフレームをした眼鏡の奥に見える瞳は、けれど彼の威厳とその口調を裏切る程に鮮やかな緑青をしている。
隙無く整えられた金髪にも白い肌にも、整えられた衣装にも。
何処にも隙など生まれないのだが。
冷えた無機質な背景に似合いの硬質さをみせているのだが。
「その通りだね、イェール」
「…―――アンダーソン」
咎めるようにきつく名前を呼ぶのに愛しさが込み上げてきた。そういうと怒るのだろうがね、と思いながら。
「故郷」の管理室。
出資者達で実際に此処に出入りをしているものは殆どいない。
物好きはあと、二、三人だ。
そう思いながらゆっくりと微笑む。神経質にもみえかねない硬質に整った容貌で姿勢を正しくして歩き、いまかれを忌々しげに睨んで窓際に歩み寄る姿を眺めて。
うん、実に愉しい光景だ。
ポケットから取り出した葉巻に火を点けようとしているアンダーソンに、彼がきつく美しい眉を上げる。
おやおや、絶対に気がついていないが。まったくね。
出資者達のどれだけが、彼の研究成果にではなく、ある意味彼自身に対して対価を支払っていることか。それをこれほど無造作にしろうともしないのはまったく彼らしいことだろう。
「この部屋は禁煙です。御遠慮ください」
「おや、そうだったかね」
いかにも気の良いアイダホの農場主という雰囲気のカウボーイハットにベストにシャツ、サスペンダーで吊るすしかないサイズのスラックスに留めはブーツ。そんなアンダーソンの姿を上から下までみて、彼が綺麗な眉を顰める。
「あなたは、いつも申し上げているが、少しは健康に気をつかわれた方がいい」
「そうはいってもね。葉巻にバーボン、ステーキにチップス、揚げたてのポテト。悪徳の種は尽きないものさ」
誰がみても気の良い農場主以上のものを見出せないだろうアンダーソンだが。一つの事実だけで充分にその温厚な外見を裏切っている。
「…アンダーソン」
彼がいま呼び掛ける、つまりは気の良い農場主がこの施設――「故郷」の出資者の一人であるということだ。
そのひとつの事実だけで、他の悪徳にもあまりある。
人の良い好々爺にも見える空色の瞳でアンダーソンは彼にいう。
「それで、追加の出資が必要なのだね?」
軽く彼が眉を潜める。
「イェール」
あきらかにはっきりと眉が寄せられて正面からかれを睨みつける。気が弱くなくとも思わず後込みしたくなるような迫力だが。伊達に長年農場主はしていない、とにこにこ受け止めているアンダーソンには届いていない。
「…アンダーソン、いったはずだ。オプションについては、事前に」
イェールと、彼のあまり知られてはいないミドルネームを呼ぶ。その相手に対しての、微かな苛立ちを覗かせて彼がいう。
管理者としか彼を呼ぶ名を知らないものの方が圧倒的に多い。それは、機密の壁という名で彼の個人情報を保護している性質からのものだが。
そのネームプレートにすら、ファーストネームの頭文字さえ載せられないのは或る意味スペシャルな待遇でもある。
「イェール」
その禁忌でさえある個人的な名前を呼びながら、温厚な笑顔を崩そうともしていない一見人の良い好々爺に。
軽く視線を逃がして、苛つくときの癖で薄いくちもとに手をあてながら、逃した視線を再度アンダーソンへと向ける。
冷たい視線だ。だが、その氷にも似た青い緑が秘めている情熱を承知していた。
「イェール、…――良い子だ」
「私がいつ良い子供でした?ありえない」
吐息をつき、逸らした視線のまま室内を目的なく歩き出す。
楽しんでその姿を眺める。
私の子供達は、実に感情が豊かなようだ、と思いながら。
「プログラムした私達にとっては、良い子だったよ」
「…有得ない。無駄なことをいっているあいだに」
「無駄かね?イェール」
私は農場主だよ、と。それから何でもないことのように付け加えた。
「農場というのは誰もが忘れたがるが残酷な場所だ。愛情を込めて作り出した作物を、育てた家畜を屠殺に送り出す」
のどかに葉巻を手にしながらいうアンダーソンを、咎めるように一瞬彼が睨む。
その緑青の瞳が揺れるのを、恐らく本人だけが知らないのだね。
哀しいとも愛惜しいともつかない気持ちだよ、と。
願うように思いながら、愛し児をみつめる。
「…イェール。やめてもいいのだよ?君の望む出資金は既に手に入っただろう。基礎研究も充分に。収穫は出来たのではないのかね?ならばこれ以上火傷しそうなテーブルに着いていることはない。」
ときには離れる時節をみるのも重要というものだ、と。
さりげなく示唆する出資者に。
気がつくこともなく滑らかなデスクの端を握り締めて筋の張る手。
そんなに握り締めるものではないよ、とおもうのだが。
軽く歯軋りをする音がする。手をくちびるから額に当てる。
禁欲的にすらみえる管理者の衣を纏った子供は、実に感情豊かで隠しきれないほどの情緒を内に抱いている。
襟の詰まった白いシャツは感心しないなと思うのだが。あれでは首が苦しいだろう。そうまでして、締め付けなくてもいいものだが。
硬質なスーツを着て、一分の隙も無い衣装を着こなし、秒刻みのスケジュールでも忠実にこなす。人では無くて人形であるように、或いは感情を持たない機械であることを己に課してでもいるように。
尤も、堅苦しいのは自分の勝手でしていることです、と。
怒られてしまうだろうけどね。
ついこの間に思える、彼がまだ学生であったころを思い出しなどしながら。
白皙の容貌に、きつく眉を寄せたままの彼を見つめる。
良い年をした立派な男性に成長しても、子供の頃を知る人間にとってはやはり、いつまでも成長しないものなのだ。
かわいいこどもであったことも、彼がどんなに否定しようと譲れない。
「イェール。そろそろこの施設からは撤退しなさい。君の好きな研究に対する為の基礎資料も十二分に揃ったのだろう?」
「…軍が、そう簡単には」
「君になら門は開いているよ、イェール」
「――――…」
振り向いた緑青の瞳は信じられないくらい鮮やかだった。
揺れている感情を承知してはいないのだろう。けれどそのままに見つめてくる。
「アンダーソン」
茫然としているのはわかっていた。
その理由も承知してはいるがね。
この子供は本当にばかな子だ。
ばかな子ほどかわいいというのはどうやら本当のようだが、と。
葉巻を手でくるりと回し、にこやかにいう。
「イェールぼうや。忠告は聞くものだよ?特にきみのオムツも替えたことのある年長者の忠告はね」
「…―――アンダーソン」
実に困った、豊かな表情をみせて彼が俯く。落ちもしない眼鏡に指をあててあげる振りをして表情を隠すのをみるのも楽しいものだ。
「…イェール。本当だよ。忠告はききなさい」
ではそろそろ私は行くよ、と。かれが明るく別れを告げると、心底ほっとしたように吐息をつき、彼が緑青の瞳を向けていうのをきく。
「…では、今回オプションは、」
無くてよろしいですね?と。ほっとしたようにいうから笑顔で肯いて背を向けた。
「勿論、それで大丈夫だ。明日の晩に球場に向かうからね。明日の晩はシカゴ・ブレーブスだ。ここの正門に迎えを寄越すからね」
逃げてはいけないよ、といって扉を潜るかれに、悲鳴のような声が聞こえてくる。
「…ちょっと待ってください、どうしてシカゴ・ブレーブス何です!」
あなたのホームチームではないでしょう!と早口で続ける彼に。
振り向いて笑顔でいった。
「勿論、この街にいま来てるチームだからさ。たまにはビジターで唯の観客になるのも悪くないさ。無論、ホームチームを愛する心は捨ててはいないがね。」
それでもゲームは観るだけでも楽しいものさ、特に応援しているチームでなくともね、と。
「ああ、勿論オプション契約としては有効だからね?これは、一日以上前の時間におけるオファーなのだから」
いって笑顔で扉を潜るアンダーソンを、肩を落として彼が見送る。これで扉が閉まったあとは額に手をあてて首を振っていることだろう。
そして、アンダーソンの想像通りの仕草をして、低く罵りの言葉を吐いているだろう。
「…くそ、あの、―――――」
きれいな指を額にあて、そうして残りを言葉にしきらずに悔しそうにくちびるを咬むのだ。
よくしっているよ、愛しい子。
これで明日球場観戦に連れ出せば、普段がまったく信じられないくらいの熱中振りとはしゃぎようをみせるのだが。
途中で着替えられるようにマンションに寄ってあげないとね。
逃がさない為には正門で捕まえるしかないが、球場行きの信じられないくらいラフな服装に着替えさせてあげる時間は必要だ。
とすると、明日は素敵なディナーの方はなしだな。
普段まともに食事をしていないと簡単に推測出来る子供をきちんとしたディナーに招待するのも悪くないが。やはりここは彼の忌み嫌う不健康で悪徳的なジャンクフードでいくべきだろう。
油がたっぷりのぞっとするあげたてのポテトとハンバーガーにフィッシュアンドチップスに酸味だらけのマヨネーズソース。
私が渡すと文句をいいながら、実にしあわせそうに食べているのに気付いているかな?
野球帽を被り――これはアンダーソンがどうしても被らなくては駄目だよ、と押し付けたものだ――よれたジーンズ素材のブルゾンに何とTシャツに色の褪せたジーンズ!
それに孔の空いたスニーカーとなれば、もう誰もあの管理者だとはわからないことだろう。
あ、いや。
若干後、二、三人いる強烈な出資者――フリークは別だろうが。
はしゃぐだろうあの子を楽しく思い描きながら考える。
わかっていないのだ。
あの子供は。
かれの愛し子は。
彼自身の愛情に。
既に充分収穫は得ている。本来ならこのままあの施設――彼が責任者となっている施設を運用していく必要は無いのだ。誰かに引き渡してしまえばいい。
あの子はわかっていないね、ヒルダ。
いまは亡き妻に呼び掛ける。妻がいたならあの子の説得ももうすこしはうまくいくだろうか?
いずれにしても、手を引かせなくてはなるまい。
施設の運用は、既にあの子供がいなくとも叶う段階だ。そして、彼自身がいなくとも構わない施設の運用を続けている理由は。
臓器を取る為に飼育している家畜に対して、あの子供は愛情を感じ始めているのだ。存続をやめるということは、施設を廃棄することは。
すべてのクローン達を廃棄するということだ。
臓物を取る為に、移植の為だけに生かしているクローン達。
人型のクローン達を、殺すということなのだから。
或いは、彼以外の手に渡すということは。
クローンの生活を彼自身が保証してやれなくなるということなのだ。
わかっているのだろうか?
必要なら、何の感情も無く廃棄を命じられるとあの子は自分で思っているようだが。
家畜には愛情が移るものだ。
肉にして送り出す為に育てていても、同じことだよ。
品質に気を配り、その成長に磨きをかけ、病気になれば心配しうまく育たなければ悩むのだ。薬をあたえ、餌に気を配り、運動をさせ、健康に気を配る。それは結局、愛情というものにしかならないのだ。
それがとても残酷な愛情であっても。
わかっているだろうか、イェール。
人と種の違う家畜を手がけるときにも、心の痛みは伴うのだよ。製品を手渡すときには誇りさえ伴う。命を売り渡していながら矛盾を感じるのだ。
きみはもうそれを知っているのだろう。
賢い子だ。
本当は気付いている。
もう殺せはしないことを。
わかっているのだろうね、イェール。
もう矛盾にきづいているのだろうね。
移植でしか救えない患者を救った反対側の手で、一人の提供者を殺しているのだよ。
臓器を獲って延命を図ることと。
良質の肉を得る為に家畜を屠殺するのと。
余剰ということで何処が違うだろうね?
イェール。
それがなくては確実に死んでしまうわけでない。
個体の寿命を越える余剰の医療を、何処まで求めることが赦されるのだろうね。それは美味しい肉を作るのと。美味を追求する為に食材を吟味しているのと何処が違うだろう。
だから、私は君の今度の事業にも出資したのだよ。
農場主が一体何故と、きみは驚いていたけれどね。
罪はとうに冒しているのだよ。
君にいったら怒るだろうねえ、ヒルダ。どうしてとめなかったんだって。でも、わたしは見ていられなかったんだよ。
あの子が、愛し児が、己を縛り付けるようにして、救われない命に目を背ける法の隙間に挑むようにして。日々増大している闇での臓器売買により、昨日街にいた誰かがある日ふと消えている現実にね。裏の犯罪でしか救えない命を、あの子は表立って救えるようにしようとしたのだ。
尤も、それはまだ公にはできない裏街道での話にしかならないのだが。
誘拐され、臓器売買の贄にされる命は減ったのかもしれない。
けれど、臓器移植の為に「出資者達」が資金を出して、闇の市場で品質が不明な臓器として買うのではなく、「品質が保証された」臓器として、クローンとして育ったヒトを売買しているだけのことなのだ。
何れにしろ、血は流れている。
何処からどう見ても、世間に顔向けできる商いではない。
何故なら、――。
「クローン達は、結局育てるしかなかったのだからね?」
ある程度のサイズまでは、培養器から出さずに成長させられる。しかし、品質の確認と保証の為に取り出したとき、すでにその存在は臓器以外に意志という残酷なものを同時に備えてしまうのだ。
その期間をどれほど短くしようとも、生きたヒトを殺して、臓器を奪い、打ち捨てることに変わりはない。
それが、ほんの一週間でも、ヒトとして意識を持ち単体で生きていくことのできる存在を、果たして他のヒトの為に殺していいものだろうか?
「臓器ごとの培養が成功していればねえ、…」
しかしそれはできず。
必要とされる臓器を育成する為には、全身を培養するしかないとわかったときに。
…――馬鹿な子だ。
本当にばかな子だよ。
そうして、ばかな子供は非情に徹していると思いながら、作品に愛情を抱いてしまっているのだ。それも、自分でも気付かずにね。
気を配るようにしよう。
二、三の出資者も賛同してくれるはずだ。
我らが愛し児を救いださねばね。
妻にも申し訳が立たない。
彼の救出作戦を練らなくては。
赤い服を着れば気の良いサンタクロースに――本人はまだそう見える年ではない、と否定しているが――見えなくは無い好々爺のアンダーソンと。残る二、三の出資者が協同して。
曰く、彼らの愛し児救出作戦を練り。
後日、施設の崩壊に伴って、死亡を偽り見事作戦を成功させるのだが。
それは後の話。
ともあれ、いまは。
翌晩、かわいい子が球場での野球観戦に夢中になるのを眺めて楽しもうという実に個人的な理由の為に、出資者として特別融資を行う際の条件として、施設を運営する会社に認めさせたオプション。
かれが呼び出したら一緒に遊びに行かなければいけないというオプションの行使を楽しみに計画を練るアンダーソンがいて。
アンダーソンの想像通り、苦虫を噛み潰したような顔をしながら。
額に長い形の良い指を於いて。
秘書に明日の予定を変更させなければ、と。
変更した場合の皺寄せを考えて実に難しい顔をしてしまっているかれがいるのだった。
「故郷」の崩壊が近づく或る日の悪巧み。
尤も、管理者であるかれがそれを知るのは随分後、崩壊の後のこと。
いまは何も知らずに表面に作られた平穏が神の名のもとに赦されている。
「罪のゆるされる日に」
End
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