ある使役者(テイマー)志望の無能少女が、幸せになるまでの物語。

猫柳 レイ

第一章 いつもの日々


 バシャッと水のかかる音が静かな廊下に響いた。

 頭から被った水は髪を伝い、床に水たまりをつくり、じわじわと制服に滲んでゆく。


「よっしゃ命中ー!」

「ちょっ、可哀想だってっ……! でもあれはたしかに傑作……!」


 ニヤニヤしながら見つめてくる男子生徒二人。片方の手には魔法の杖が握られていた。

 どうやらこの水はあの生徒に魔法でかけられたらしい。一部の男子に見られる幼稚さはずっと変わらないもののようだ。

 それでも、影であざけり笑ってくる他の生徒たちと比べたらまだマシなのだろうか。


 (教科書、濡れちゃったな)


 そのままどうしようもできずに立ち尽くしていると、さっきの男子生徒が煽るように声をかけてきた。


「こんなことされて悔しくないのか? ほらほらやってみろよ」

「それともあのか弱い使い魔にでも頼んでみるか?」


 か弱い使い魔?

 その言葉が聞こえた途端、水をかけられた少女――アネモネ・レーティクリは彼を睨みつけていた。

 水がしみてクタクタになった教科書をギュッと握りしめる。


「おーこわ」

「……すみませんが、今の言葉取り消してください」

「はっ、なんで?」


 睨みつけられた男子生徒はそれでもなお、アネモネを煽る姿勢をやめない。


「あんな小さなドラゴン、どうせ魔力量も少ないんだろ? ドラゴンといえば希少性の高い一族の一つだってのに、あんな出来損ないみたいなヤツを使役するなんて……。 あのドラゴンも十分な見ものだろうけど、それよりあんなやつをいつも連れ歩いてるお前のほうがバカらしくてみてられねぇわ」


 やれやれと首をふる男子生徒が、あれやあれやと並び立てる侮辱の言葉。

 確かにその通りだ、と思った。

 今彼が言ったことはこの世界のことわりとしては全て正しい。


 (……それでも)


「ベゴニア、もういいよ」


 その言葉には、どこか空虚感が滲んでいた。

 それを聞いた男子生徒は訝しそうな表情を浮かべる。

 次の瞬間、反応する間もなく、彼らの顔スレスレに緑の炎が舞った。


「うわぁ!?」

「ゲホッ、ゴホッ……」


 急に現れた炎に驚いて腰を抜かす二人。魔力のこもった煙を吸った片方の生徒が深く咳き込む。

 地面に座り込んだ二人を暫くの間見下ろした後、アネモネは床に膝をついた。


「ありがとね、ベゴニア」


 いつの間にか彼女の足元にいた、まだ幼い黒のドラゴン――ベゴニアは満足げな表情を浮かべ、見た目通りの可愛らしい声で鳴いた。

 その様子に心癒されれ、思わずふっと笑みが溢れる。ベゴニアの唯一ふわふわした首元を撫でていると、生徒が苦しそうな声を上げた。


「く、くそぉ……。使役者テイマー志望の出来損ないのくせに、俺に攻撃しやがって……!!」


 ピタリとベゴニアを撫でる手が止まる。

 主人の異変を感じ、ベゴニアは男子生徒の方を向いてグルルル……と唸った。

 まだ小さな白い牙がキラリと光る。

 よたよたと立ち上がった男子生徒は、屈辱と羞恥で醜い形相のまま、こちらに杖を向けた。


「だったら俺だってやってやるよ……。最大の火炎魔法!」


 杖の先に赤く光る魔法陣が展開される。

 それを見たもう一人が慌てて彼を抑え込んだ。


「わっ、バカやめろ! こんなところでやったら退学どころじゃ済まないぞ!?  一回ここは撤退しよう!」

「うっせぇ、離せ!!」


 赤ん坊のように暴れている男子生徒を母親のように必死で押さえつけながら、二人は廊下を去っていった。

 彼らがいなくなるのをきちんと確認してから、ベゴニアは全身の緊張を解く。

 大丈夫かというように見上げると、アネモネは今にも泣き出しそうな笑顔で呟いた。


使役者テイマー志望の出来損ない、か……」


 何よりもその言葉がアネモネの心を締め付けた。


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