ダンジョン温泉

小塩五十雄

第1話【勇者と温泉・前】

えっちらほっちら山道を登る人影があった。

禿げあがった頭に曲がった腰。

たっぷりと蓄えられた真っ白な髭。

身体に残る無数の傷跡が彼の壮絶な人生を物語っていた。

この杖をついて歩く小柄な老人が、その強さと美しさから若かりし頃は【勇者】【太陽の子】と呼ばれた英雄だと思う者はいないだろう。


彼の名はソルト。

人と魔物の大戦【人魔戦争】を終わらせた立役者である。

だが時の流れは残酷なのもの。

大戦終結から50年の月日がたった今ではソルトの名前は子供に読み聞かせる絵本の中でしか語られる事はない。


片田舎の寒村で独り暮らす老人。

それが今のソルトの肩書きだった。


その日もかわり映えしない、いつもと同じ朝だった。

日が登る前に起きあがり冷たい水で顔を洗う。髪の代わりに丁寧に髭を整え、さあ畑の様子を見に行こうと思った矢先。ソルトは村の裏山に不穏な気配を感じた。

深く感覚を研ぎ澄ませると大気中の生命力マナが不自然に裏山へと集まっているのを感じた。


戦士の勘。

勇者の経験。


それらがまだ働く事が少し嬉しくもあり、また寂しくもあった。


なにが起こっているのかを探るため。ソルトは使い古した外套をまとい、杖をついて裏山を登り始めた。

小一時間ほど山道を登ると中腹で洞窟の入り口を見つける。

去年の秋に山を散策した時にはこんな場所に洞窟などなかったはずだ。

まだ自分がボケてなければ、の話だが。


「やれやれ。なにもこんな村の鼻先に出来んでも良かろうに・・・」


この独特な生命力のうねりと淀み。

間違いない。

これはダンジョンだ。


(ーーーだが、まだのぉ)


長年の経験則からこのダンジョンが発生してからたいした日数は経っていないだろうと推測する。


「今ならダンジョンコアを楽に破壊できるかもしれんな」


ダンジョンを破壊する唯一の方法。

それは心臓であり脳でもあるダンジョンコアと呼ばれる結晶を破壊する事。

ソルトが住む村は騎士団どころか冒険者さえもよりつかないほどの田舎だ。

つまり今この近辺でダンジョンに対処できる知識と経験を持つ人間はソルトしかいない。


痛む腰に渇を入れ、洞窟へと踏みいる。


洞窟内は暗く、湿っぽい。

光源が一切なかったので枯れ木に服の切れ端を巻き付けて即席のたいまつを作る。

洞窟は思っていたより小さく、少し歩いただけ最奥にたどり着いた。

洞窟の先は半球状の広場となっていた。


「なんだジジイかよ。・・・ま、誰も来ないよりマシか」


残念そうに呟いたのは一匹の豚だった。

人のような姿。

小太りの体型。

豚の頭。

それはオークと呼ばれる、魔物に近い生態の亜人だった。

しかしソルトが知るオークと違い、ずっと小柄で肌の色は薄い桃色だ。


「猫の様な縦長の瞳孔に瞳の中でうごめく赤いまだら模様。・・・おまえさん、ダンジョンマスターか?」


どうやら自慢だった歴戦の勘はずいぶん錆ついてしまっていたらしい。

すでにダンジョンマスターが存在しているとは思わなかった。


だが、やはりまだ


目の前の小さなオークにたいした驚異は感じない。

だだっ広い空間にはオーク一匹。

見た限り伏兵はいない。

杖を剣のように構えてソルトは一歩前に進む。

二歩目を踏み出した瞬間。

ソルトの足下が崩れて落下した。


「よっしゃあ!やりぃ!!」


地面にうつ伏せになっていた人骨がムクリと起きあがると、歯を打ち鳴らしてコツコツと笑う。


「・・・いやァ、ひっかかるもんだナ。落とし穴」

「こういう地味な罠の方が効果的だったりするんだよ♪さぁて、生命力はどれぐらい貯まったかな~」


うきうきと手のひらを広げたオークのたれ耳に笑い声が届く。


「いやはや。久しぶりにヒヤリとしたぞ?」


声は落とし穴から響いていた。

高笑いのする落とし穴をオークは慌ててのぞき込んだ。


「落とし穴の底はトゲだらけだ!無事なはずーーー」


そこには驚愕の光景が広がっていた。

落とし穴の底にびっしりと生える鋭いトゲ。老人はその上に平然と立っていたのだ。


「はぁ!?」


なにがどうなってると目を凝らしてよく見ると、老人の靴から鋭利なトゲの先端が見えているのに気付く。


「ま、さか!靴を貫通したトゲを足の指で掴んでんのか!?」


ギュン!


ソルトは指のふんばりと脚力だけで一息に落とし穴から飛び出す。

ありえない光景に二匹はただただ悪夢のような光景を見上げていた。


「あーらラ」

「ぶ、ぶーー」




ぶひぃぃぃぃぃぃいッ!!




甲高い悲鳴と鈍い打撃音が洞窟内に響いた。


「あたた!やはり年じゃのぉ」


腰を叩いて背伸びをするとゴキゴキと鈍い音が鳴る。


「やっぱりなぁ!は分かってたんだよ。さあ煮るなり焼くなり好きにしやがれッ!」

「スープになるかステーキになるカ。悩みどころだナ」


コリコリ顎を掻きながらのんきに笑う骸骨。

ぼこられた二匹はソルトの前で正座させられていた。


「ならスープにでもするかの。最近脂っこいもんはとんとダメでな」


じっとソルトはオークの方を見た。

視線に気付いて正座の体勢からそのまま頭を地面にこすりつけて土下座へとシフトする。


「ごめんごめんごめんいやすいませんすみませんでしたほんとに許して下さい調子にのってました何とか許して頂ける方向に迎えませんかほんとうにお願い致しますッッ!!」

「それは無理な相談じゃのう。このダンジョン利用価値もたいしてなさそうじゃし」

「で、ですよねー」


十数メートルの一本道とだだっ広い広間だけのダンジョン。

魔物はオークと骸骨の二匹だけ。

素材なし。

財宝なし。


ダンジョンとしてはうま味は完全にゼロである。


腰をもう一度叩くとソルトは背筋を伸ばして杖を水平に構えた。

オークははぁと観念のため息をつく。



そして杖がオークとの顔面を吹き飛ばそうとした瞬間。

骸骨がコツコツと笑った。




「それはつまり利用価値があれば見逃してくれるって訳だよな?」



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