「鳥の飛ばない天地の挟間」
TSUKASA・T
「鳥の飛ばない天地の挟間」1
静かなうみだ。
「―――――海、だな。」
遠浅の海がつづいている、灰色の雲が斑に落す光が、海に降りている。
砂浜がゆるやかに連なり、見渡す限りに人は無い午後。
用意した外套が丁度良い寒さの、けれど吹く風のそれほどつよくもない、海を眺めているには良い午後だ。
ゆっくりと振り向いた。
そこに、何もないのはわかっていたが。
革手袋をした手を、誰もいない土手に向けて振る。
まるで、手をあげて挨拶をしたように。
それから薄く笑うと、空をみあげた。
薄曇りの空には、鳥一羽の姿すら、みえなかった。
藤堂が海を見ていたのは、二月二十日。―――
藤沢紀志が海を見ていたのは、七月五日の月曜、午前九時。
夏休みがはやく始まらないかと思っていて、熱さにうんざりとしながら、どうして今頃こんなとってつけたような教育実習、とかがあるんだろうか、と鈍色の海をながめていた。
大体、九時だというのに熱い。
夏は仕方が無いのだろうが。
「藤沢、――もしかして海きらい?」
訊いてきたのはここまで来たバスで隣に座っていた同級生で篠原守。その能天気な顔を見て、実習の為に一時間もはやくなった学校への集合時間を思い出して密かにむかついた。
「――あ、かおこええ。」
「怖くなくてどうする。私は機嫌が悪い。」
「―――まあまあ、藤沢、いいじゃないか、今日はこれで授業はないんだし、一日波と戯れてだな、俺達明るく有意義に人生過ごそうじゃないか。」
「――――おまえとどうして人生有意義に明るく過ごさなくてはならない?」
思い切り眉を寄せて問うと、細いくせに背の高い、ふざけた顔で篠原はいう。右の指を立てて、振りながらいうから芸が細かい。確か、映研――一応、藤沢も篠原も部員だ――で先日観た映画で主人公がしていた仕草だ。
どうでもいいが。
「そっれは決まってるでしょう!人生のお約束事というやつでしょう?藤沢君。おっれ、と、おまえは同期のさくら~って唄もあったじゃん。思えば一年生の時に映研でであい、そうしてこの二年になって同級生となり、映研の未来を託された以上、おれとおまえはこうしていまだな、」
「――はい、先生。集合だぞ、篠原。」
「――――つ、つめたい、―――ふっちゃんって・・・・・・・っ。」
「ためを入れるな、ふざけた呼び方をするな。いいか?あんまり続けてると、怒るぞ?」
「―――反省します、猛省します、俺。あ、そういえばこの間、俺一発で猛省って字、書けたの。凄いっておれ自画自賛しちまったね。」
「――ああ、それは確かにすごいな。」
「―――淡々とぜんっぜんそう思ってない口調でいわないでくれる・・・、」
「ほめてるぞ、全身全霊で。」
「――気のせいか?それ。」
「そうともいうな。」
「あっ、ふっちゃんって、つめたい――っ。」
いってろ、と聞き流し、集合の号令をかけた先生のもとに集まる。大体が、最近の学生なんて、インターネット当り前でパソコンやメールが当然の環境で育ってるから、漢字なんて打ち込んで変換させてしか使わないから、手で書けるなんて確かに凄い。拍手ものだ。
「ほら、拍手。」
「く、くちさきだけの拍手なんて、・・・・っ。」
「先生の話は真面目に聞いた方がいいぞ。」
「――ふっちゃんってさいてい。」
教師の注意は聞き流して、一応今日この日にこなさなければならない課題に耳を傾ける。海に来たから、何かそこでしなくてはならないらしい。しかも、ご丁寧にテーマは自分達で決めて、今日中にそれなりの形にして提出しなければならないらしい。科学がどうのとか、いろいろ戯言こいてる教師を遥かに眺めつつ、しみじみ思っていた。
いいじゃないか、別に何もしなくても。
それにしても手抜きだろう。課題はグループでやっていいそうだが、そのいくつか出来るグループ分の課題を考えるのが面倒だったに違いない。生徒は自主性を発揮出来るし、教師は考えなくて済むという訳だ。
とか、思っている隣で賑やかに声がする。
「――じゃあさっ、夏の記念にさ―、海で貝がらでも拾うかっ!」
元気良く声がして、それが隣からのような気がして悪い予感がしていると、教師がうむうむと肯いているのまで見えて、しかも隣の奴に手をとって揚げられた。
篠原、藤沢班は貝がらひろいしまーす、とにこにこいって、さらに会員募集、とか抜かすから思わず沈黙していると、いつのまにかそれで決定ということになったらしい。奴に手をとられて歩き出した私の他数名と共に、この判りやすくも単純なテーマに沿って行動、ということになっていた。
どういうことだ、と思うが、既に遅い。
篠原守提案、企画立案プロデュースの、絶対海岸に貝がらはあるし、どうしたって面倒くさい他の課題こなすよりは格好もつくしきりもつけやすいし何とかなりそうだし、というみえみえな、けれど説得力のあるテーマに乗った四、五名で貝がら集めをすることになるが。
なるが、――やめて、おくべきだった。
昔から篠原のすることといえば、近所の化け猫騒動記といい、化けカズラ立体駐車場事件といい、篠原塚怨霊事件など、こうして思い出すだけでもろくなことがない思い出に満ちている。そのどれもが実にささいな、あんな事件に発展するとは思えなかった―――どう考えても通常ならするはずのない、些細なきっかけからそうなっていることを考えると。
―――我ながら、迂闊だったというしかない。
自然にふれる実習で、海岸で貝がら拾い。
どこからどうみても安全そうで、実際どうしたって安全な筈だった、教育実習。担任が科学の普及に燃えていようと、科学の素晴らしさに目覚めるんだ、皆、とか時折わけのわからないことを叫んで盛り上がっていようと。
別にそういう科学に目覚めさせたかったわけではないだろう。実際問題。
尤も、すべてこれまでもあいつが巻き起こした事件がそうだったように、このときも平穏に物事は始まっていた。
多分、だが後から考えてみれば、このときにはあのとんでもなく厄介な事件は、既に始まっていたのだ。
人間、後悔は後からするものと決まっているのが相場だと。
いつも思うことだが、そんな昔からの格言を実感する体験なんてしたくて生きてるわけじゃない、と。しみじみと思う藤沢紀志だった。
「う――み――は、ひろい―な、大きいい――――なあ、っと!」
「――――篠原、その調子の外れた唄をなんとかしろ。」
「調子外れてなければいいの?なら熱唱しちゃうよ、俺。直立不動で唄っちゃうよ?」
「採取の手を緩めないのなら何でも良い。続けろ。」
「―――冷たい、ふっちゃんって、―――」
「桜貝だ。地図のどこに書き入れればいい?」
「あ、凄いじゃん、流石ふっちゃん!そうだね、俺たちの受け持ちはこのあたりだから、ここだね。お願い。」
無言で奴の示した位置に丸を書き入れる。教師がこれは配った地図に、篠原班は採取した貝がらの位置を書き込んでいる。地道にそういった作業をすすめることにより、教師の受けをよくする狙いもあるらしい。割と外れてはいないと思うから、従っている藤沢だ。
「篠原、――昼だってよ、藤沢もっ。」
そうして、随分と気がつけば熱心に貝を採取し、地図に黙々と書き込むことしばらく。荷物を纏めて置いたあたりで手を振って、篠原貝がら採取班便乗組みである大川が叫んでいるのに気付いて顔をあげた。
―――誓って云うが、それがいけなかったなんて、誰にわかるだろう?
「―――あ、めしめしっ、この俺としたことが、めしを忘れてまでとは、随分熱心に集中してたんだなあ、鏡だなあ、うんうん、えらいっ、て、――――ふっちゃん?」
きっと、茫然と見あげていただろう。
手を振る大川。―――
重なる、光景。
某私立高校の生徒有象無象が撒き散らされている、一時的に混んだ海岸と。
――誰もいない、生物は皆失せたのではないかと思える、動きの無い海岸の光景。――――
大川は、私達より少しばかり上に見える処に向けて手を振っている。
「―――ふっちゃんっ?」
口を開くな、といいたかったが、それこそ墓穴を掘るので閉じて於いた。老祖母の、格言が身に染みる。
――不幸はね、身に降掛かってはじめてそうだとわかるものなんだよ。みんなねえ、事前にわかっていればというがねえ、人には、そんなものわかるようには出来てないんだよ。
ようく覚えておおき、といった祖母の、これは別に格言ではないのか―――言葉が、これで幾度目になるのか、脳裏を駆け抜けた。
篠原守と付き合っていると、実に頻繁にこういう目に遭う。
真剣に付き合いを再考すべきかもしれない、と―――。
考えはじめたのだが。
慣れている予兆と共に、地震――と、そのときは思ったのだが――が海岸を揺らし、何かに頭でもぶったのか、意識はすみやかに途切れて。
考えはじめたというのに、また終了することが出来ず。
藤沢紀志は、意識を失っていたのである。
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