2023年:幕間のひと時 第五章

「暗殺任務……ですか?」

 縁の困惑した声が響く。

「その通りだ。二人を暗殺し、もう一人の悪魔はこの世界から放逐せよ。そなたらは元AESUのリーダーだ。慣れておろう」

「それは……そうですが……」

 縁が口籠る。それはそうだろう。つい今しがた、彼女たちに負荷を与え過ぎたことを悔いていると発言したばかりなのだ。とても同じ人間の発言とは思えない。

「なお」

 しかも、大司教の話はまだ終わっていなかった。続く言葉に、俺は――いや、この場にいる誰もが言葉を失う。

「本件にはサポーターとして、そこにいるソフィア・コズロフ、及びその少年――桐生和人を同行させること」

「……」

 ただ、沈黙だけが広がる。正直に言えば、何を言われたのかよく分からなかった。

 俺が……暗殺任務に同行? 何故そんな話になっている?

「一体……それは――」

 ようやく頭が働き出して、俺は戸惑いがちにその真意を尋ねる。いや……尋ねようとした。

「ふざけないでください!」

 しかし、縁の怒声がそれを上回る。

「和人君を任務に同行? 何を考えているんですか! 彼は単なる一般人ですよ!?」

 大司教に掴みかからんばかりの勢いで、縁が一歩前に出る。しかし、その反応を事前に予測していたのか、その時には既にソフィアさんが間に割って入っていた。

「縁様、お下がりください」

「邪魔です! 今すぐ退かないならば、排除します」

 縁がソフィアさんを睨みつける。近くにいるだけで、ピリピリする程の殺気だ。しかし、ソフィアさんはそれを平然と受け流し、一切感情の見えない顔を縁に向けている。そしてその表情は、何故か恐ろしい連想を掻き立てる。だから咄嗟に、俺は縁を制止していた。

「縁! 下がって!」「良い。ソフィア、下がれ」

 同時に、大司教もソフィアさんにそう命令を発していた。

「はい」

 ソフィアさんは軽く一礼し、すぐにその命に従う。縁も俺の言葉を聞いてくれたのか、少し不満げな表情ながら一歩下がり、俺のすぐ横に並んだ。

「賢明な対応、感謝しよう」

 大司教は俺を軽く一瞥してそう言うと、すぐにその視線を隣の縁に移した。

「縁よ、先程そちは言ったな。この少年が単なる一般人だと。しかし、儂はそうは考えておらんのだ。霊を見ることができ、かつ霊と戦う術も持ち、肉体的に身を守ることもできる。サポーターとして、十分な能力は有していると判断する」

「そういう問題ではありません」

 苛立たしげに、縁は答える。

「彼をこっちの世界に引っ張り込むことが問題だと言ってるんです。殺す、殺されるが当たり前の世界に、彼が来て良いはずがない!」

 再び、語気を荒くした縁が言い放つ。

 そしてそれは、今まで何度も縁と、そして紫と議論してきた内容だった。

 二人は、俺に戦う術を教えてくれたが、しかし、最後に必ずこう言って釘を刺すのだ。

『これは、あくまでも身を守る手段ですからね』――と。

 一度、二人に召還命令が降った時に、俺は学校を辞めて二人について行きたいと申し出たことがある。結果、頑なに拒否された。

『そんなことを言うなら、もう和人君に訓練はしないし、ここへも出入りはさせない』とまで言われた。だから、俺は渋々諦めた。諦めざるを得なかった。

 でも……と、俺は思う。

 事態は動いたのだ。俺の存在が評議会に知られ、スイスまで遥々招集された。呆気ないほど簡単に、縁たちがいる場所まで辿り着いてしまったのだ。

 そして今、道を示されている。

「そもそも、戦う術を得たって言っても、戦闘は完全なる初心者なんです! それがいきなり暗殺任務なんて……ふざけてるとしか思えません!」

「誰でも最初は初心者よ。それに暗殺と言っても、彼はサポーターに過ぎん。実際に戦うのはそなたらだ。何より、最も尊重すべきは本人の意思と目的であろう? 何も、儂は強制してまでとは考えておらん。どちらの道を歩むかは、その少年次第よ」

「それは……」

「なら、そなたがアレコレ言うことではあるまい。この組織のトップである儂がそれを命じた。先の理由に因って拒否する権利があるのは、その少年のみよ」

 そう――俺の前には二つの道が示されている。

 一つは舗装された道。社会によって最低限保護された、人の血とは無縁の道。ふと死ぬことはあっても、人を殺す可能性は限りなく低い未来が見える。

 もう一つは、獣道。鬱蒼と生い茂った木々によって陽の光は阻まれ暗く、先がどうなっているか、見通すことはできない。

 それでも……ここまで血の匂いは漂ってくる。それは一体、誰の血なのか。歩いた先で獣に殺される自分の血か、あるいは獣になった自分が撒き散らした誰かの血か。分からないが、きっと碌な未来はそこにない。

 なら、どちらを選ぶか。

 俺は、どんな未来を望むのか……

 そんなこと……考えるまでもなく、分かりきっている。

「分かりました。俺をサポーターにしてください」

「和人君!?」

 二人の議論に割り込んだ俺に、縁が驚愕の表情を浮かべて詰め寄る。

「何を考えてるんですか!? エクソシストの仕事がどれだけ危ないか、前にあれだけ説明したでしょう!? しかもこれは、暗殺任務です! 一人前のエクソシストにすら手に余る。そんな危険で、非人道的な任務なんです。それなのにあなたは――」

「だからだよ」

 俺は、縁の言葉を遮って言葉を重ねる。縁の肩をそっと掴んで、彼女の目を見る。

「危険な道だってのは分かってる。沢山の死に出会うことにもなるんだろう。多分それは、碌な未来じゃないんだと思う。でもだからこそ、俺はその道を選びたい。そんな道を、二人だけに進ませたくはないから」

「和人君……」

「俺は一人で得る安楽より、二人と潜る苦難を選ぶ。誰かと迎える安寧より、二人と挑む危険を選ぶ。沢山の人と繋がる未来より、二人と肩を並べる未来を選ぶ。だってそれが……」

 揺れる彼女の瞳に語りかける。

「俺にとっての幸福だと思うから」

 一時の気の迷いと笑う人もいるだろう。若気の至りだと、失笑する人もいるだろう。だがそれでも構わない。今ここで二人の手を握らずに一生一人で後悔するよりは、二人と一緒に愚痴りながら前に進んだ方が余程ましだ。それに――

「それに俺が一緒だったら、直面する苦難も危険も小さくできるかもしれないだろう? 少なくとも、二等分よりは三等分の方が良いに決まってるよ」

 というか、最低限俺が目指さなければいけないのがそのラインだ。流石に二人に無用な負担を強いてまで、隣にいたいとは宣えない。


「……困りましたね」

 しばらくの沈黙の後、弱りきった顔の縁が言う。

「そんなこと言われたら、私だってこれ以上強く言えないじゃないですか……」

 それから、縁の表情が変化した。その顔に不思議そうな色を浮かべて、「でも――」と続ける。 

「なんでそこまで私たちのことを考えてくれるんですか? 私たち、それだけのことを和人君にしてあげてないですよ?」

 言われて、少しだけ考える。

 確かに、なんで俺はそんなに二人のことが大切なんだろうか。思えば、会った当初から――『会った』というのは、夏休み明けのあの日のことだが――不思議とこの感情は俺の中にあった。

 あまりに自然な感情過ぎて、今まで深く考えたこともなかったが、良く考えれば、同様の感情を抱いた他人たいしょうは他にいない。言われてみれば、自分でもその理由がよく分からないくらいには、それは不思議な感情だった。

(……まぁ、別になんでも良いか)

 しかし、俺はそこで考えるのを止めた。自分の人生を掛けたいほどに大切な誰かがいる――別にそこに理由はいらないと思ったから。感情なんて、大抵きっと、そんなもんだ。

「別に俺は二人に何かをして貰ったから、或いはして貰いたいからそう考えてる訳じゃないよ。ただ、俺がそれをしたい。理由は――そうだな。二人が美少女だからってことにしておこうか」

 うん。まさに、紳士の鑑のような理由だ。自分で言ってみて、そんなような気がしてきた。

「はぁ……和人君らしい理由ですね」

 すると、縁が呆れたように溜息を吐く。ただ、どこか目は笑っているような気がする。

「紫、どう思う?」

 そして、その目は妹へ。

 紫の返答は、早かった。

「私は、和人君は日本に帰るべきだと思う」

「……」

 沈黙が流れる。

 俺は黙って。縁は口を開きかけて……しかし結局は、その言葉を呑み込んで……

 静かに、紫が続ける言葉を待つ。何故なら……

 彼女が浮かべている〝はにかんだ笑み〟が、続く言葉があることを雄弁に物語っていたから。

「でも……嬉しいな、和人君の気持ち」

 やがて、紫が口を開く。自分の胸を抱きながら、大事なものを包み込むように、そっと言葉を紡ぐ。

「和人君の言葉が、私の中にじわっと広がって……ほら、こんなにも胸が温かくなる。だから私は……和人君にそばにいて欲しいって……そう思うんだ」

 そして、上目遣いに俺を見る。

「和人君は日本に帰るべき。でも私は、そばにいて欲しいと思ってる。これって、我儘……だよね?」

 揺れる瞳がそこにあった。

 思わず、頬が緩んでしまう。俺もそばにいたいと言っているのだから、そんなに不安そうな顔をしなくても良いのに……どこまでもマイペースで、そして優しい紫らしい。

 俺は、紫の頭を優しく撫でた。

「女の子の我儘を聞くのが、紳士の本分だろ?」

「そうなの?」

「そうなんだよ」

「でも……和人君、紳士じゃないよね?」

「うぐっ……何を言うか。俺は紳士だ」

 紫の目が、驚きで見開かれる。

「そうなんだ……知らなかった。昔私が聞いた紳士は、全然和人君っぽくなかったから」

「それは、その時聞いた紳士像が間違ってる」

「……そうなんだ」

 少しだけ、紫が考え込むように俯く。そして――

「なら私は、紳士のことも好きになれそう」

 満面の笑顔で、嬉しそうにそう言う紫。こんなに可愛い生き物が地球上にいるとは思わなかった。

「コホン!」

 しかし、そんな至福の時間に、咳払いが割り込む。

「真面目な話し合いの最中に、勝手に変な世界に入り込まないで下さい。人の目もあるんですから」

 言われて、思い出す。思い出して、俺たちの様子を愉しげに見つめていた大司教に向き直る。

「大司教。その任務、謹んでお引き受けいたします」

 そして、俺はその言葉を口にした。

 大司教は満足そうに頷く。

「良く決断してくれた。案ぜずとも、そちらの二人の姉妹はエクソシストの中でも随一の手練。ソフィアも同じサポーターとして、おまえに良く道を示してくれよう。安心して、任務に励むが良い」

 大司教は立ち上がる。

「儂からは以上だ。残りの仔細はソフィアに尋ねよ」

 そう言い残して、呆気なく大司教は部屋を出て行った。そのすぐ後に続いて、その他の評議員も一人また一人と退出していく。

 最後の一人が部屋からいなくなると、ソフィアさんが俺たちの前に進み出た。

「お疲れ様でした。市内に宿をご用意しておりますので、本日はそちらでお休みください。任務の詳細は、そこで私からご説明させて頂きます」

 先程、縁の前に出た時とは別人のように穏やかな物腰でソフィアさんが軽く頭を下げる。 

 正直、ソフィアさんについては計りかねていた。縁が言っていた通り、評議会は簡単に信じて良い相手では無さそうだが、ソフィアさんまでそうなのか、今の段階では判断がつかない。

 いや……分かっている。大司教の手足として動いている今日の姿を見て、大司教と同じだと捉える意見があろうことは、百も承知している。

 しかし俺は、ソフィアさんに関しては、安易なレッテル貼りをしたくないと思っていた。これからしばらくは否応なく一緒に動くことになる相手だ。出来れば疑うよりも、信頼したい。

 だから俺は手を伸ばした。

「ありがとうございます。これからしばらくの間、宜しくお願いします」

 それを見たソフィアさんは一瞬驚いた顔をすると、次の瞬間には、クスッと小さく笑い声を漏らした。

「いえ、失礼しました。まさか、歓迎されるとは思っておりませんでしたので。随分と和人様は、お人が宜しいんですね」

 そう言って、ソフィアさんが俺の手を取る。

「こちらこそ、宜しくお願い致します。和人様のご期待に添えられるよう、努めさせて頂きます」

 ソフィアさんの柔らかくも温かい掌の感触が、末梢神経を辿って中枢へと送られる。その甘美なる刺激は、俺の考えが間違っていなかったことを教えてくれる。

 やはりどんな『大義名分』を掲げてでも、美人とは仲良くしなければいけない。

「はぁ……」

 その時、どこか遠くで誰かの溜息が聞こえたような気もしたが(そしてそれはとても良く耳にする溜息でもあったが)、この際気にしないことにした。

 たとえ、今夜の快眠が脅かされることになったとしても必要なことを厭うてはならないと、俺の理性がそう訴えていたから――


     ***


 そうそう。

 快眠といえば、この話にも触れておかなければならないですね。

 時は、三ヶ月ほど前に遡ります。

 あの時は、藤瀬姉妹と仲良くなってからまだ一ヶ月ちょっとしか経ってなかった頃で、二人による秘密の特訓もまだ始まったばかりだったんです。

 あの頃は、教える側も教わる側も適度な加減というものがよく分からなくて、夜遅くまで訓練してしまい、気づくと日付が変わってる――なんてことがたまにありました。

 とは言っても、ご存知のように俺も紳士です。終電を言い訳に、女の子の家に泊まっていくなんてことはしません。(そもそも、神代神社へは自転車通いですし)

 だからあの日も、俺は縁との訓練を終えると、月明かりが照らす中、一人神社の裏道を通って自転車で帰路につこうとしていました。

 でもその途中で、ふと思ったんです。

 帰る前に、紫にも挨拶しておこうかな――なんて。

 俺は自転車へと向いていた足の方向をくるりと変えると、社務所の二階――紫の部屋に向かって歩き始めました。

 紫の部屋には、すぐ着きました。

 正直、これには少し驚いたんです。あんな夜遅くになって紫の部屋を訪ねようと思ったことは、実はその時が初めてではなかったんですが、それまでは毎回、途中で縁に撃退されていたからです。それはもう、全くもって悪辣極まりない所業で、憤懣やる方ない思いを抱いてもいましたが、妹を想う縁の気持ちも分かっていましたから、素直にその制裁を受け続けていました。

 だからあの時も、それをきた……いや、恐れていたんですが、実際には何も起こりませんでした。縁も、時には気を抜くこともあるということですね。

 さて、俺は紫の部屋のドアノブに手をかけて、五秒ほど悩みました。と言うのも、正直に告白してしまうと、俺は紫がもう寝ているだろうことを知っていたんです。にも関わらずそこを訪れたのは、ほんのちょっとした悪戯心のつもりで――例えるなら、小学生男子が女子についつい意地悪してしまうような、そんな気持ちがあったからです。

 えぇ、そう言われるのも分かります。自分でも子供じみていたと、今振り返ってもそう感じるのですから。

 とにかく、そんなつもりだったのに、行ってみてビックリ。すんなりと紫の部屋に入れそうになってしまったんです。俺がドアの前で呆然と立ち竦んでしまったのも、理解出来ますでしょう?

 ただ、悩んだのもその程度でした。俺はそこで怖気付いて、尻尾を巻いて逃げ出すほど、矮小な人間ではなかったんです。

 俺はそっとドアノブを捻り、ドアを開けました。音もなく、滑るようにドアが開いていったのを、今でもはっきりと覚えています。

 驚いたことに、電気は点けっぱなしになっていました。紫はよく寝る子です。気づくと、隣でカクンカクンしているなんてことも、珍しくありません。きっとその時も、電気を消す余裕もなく、気づいたら寝てしまっていたのでしょう。

 だから私は、特に何かにぶつかるようなことも、何かを踏んづけてしまうようなこともなく、流れるようにスムーズに、彼女の枕元に辿り着きました。

 そこでは、紫が可愛らしい顔をして、気持ちよさそうに眠っていました。もうその顔を見れただけでも、今まで生きてきた甲斐があったというものなのですが、事はそれだけでは終わらなかったのです。

 きっと、俺が入ってきたことで、少しだけ眠りが妨げられたのでしょう。むにゃむにゃと、漫画のような声を漏らしながらその可愛らしい口をもぐもぐさせて、紫が寝返りを打ちました。

 そして、次の瞬間です。紫が寝言を溢したんです。あぁきっと、紫は壮大なスペクタクルファンタジーの中で、大冒険の真っ最中だったに違いありません。でなければ、決してあんな微笑ましい、それでいて荒唐無稽な寝言が出てくる筈がないんですから。

 じゃあ、笑わないで聞いてくださいね? 紫はなんと、こう言ったんです。気持ちよさそうな寝顔を突然キリリと変化させて、そして――

「ニャンコ先生、覚悟を決めました。私、今から空に――」


「わぁぁぁあああ!! にゃんこパンチ!!」


「グヘッ!」

 腹部にとんでもない衝撃を受けて、俺は後方の壁まで吹き飛んだ。これがもしアニメであれば、壁にめり込む演出が入るところだ。

「クッ……生きてるのが不思議」

 これも紫による訓練の賜物なのか……咄嗟に腹筋に力を入れてダメージ軽減を図り、受け身をとって衝突の衝撃を和らげた。でなければ、今頃死んでいただろう。

「違います。私が死なないようにガードしてあげたんですよ」

 いつの間にか、縁が俺のすぐ隣に立っていた。

「ぜぇぜぇ……お姉ちゃん……何で邪魔するの」

 そして、先程俺を吹き飛ばした張本人であるところの紫が、息を切らして俺がさっきまでいた所に立っている。

「だって、流石に死んじゃうと思ったんだもん。紫も、最後まで話させなかったんだから、取り敢えず良いでしょ?」

「良くない! ほとんど言ってた!」

 紫が叫び、恨めしそうな顔で俺を睨む。

「誰にも言わないって言ったのに」

「いやぁ、クラスメイトにはって話だったし。紫のことを正しく知って貰うには最適なエピソードだし」

 そんな風に言い訳をする俺の横では、今回の二人の聞き手――イレーネとソフィアさんがそれぞれ異なる表情を浮かべている。

「紫様がそんな……キャラが……イメージが……というか、にゃんこパンチって何?」

「今から空に――って……その先が気になりますね。一体空に何をしに……しかも何故それを猫に? 不可解過ぎます」

 驚愕の表情で慄いているイレーネと、宇宙の神秘に直面した科学者みたいな面持ちでしきりに首を傾げているソフィアさん。

 親睦を深めたいくらいの気持ちで始めた一人語りだったが、どうやら方々にとって刺激が強すぎたようだ。

「絶対に許さない。私も和人君の恥ずかしい話、言う」

 何故か少し片言で、紫がメラメラとその目に闘志を燃やしている。だがその炎が当惑気味に揺れるまで、そう時間はかからなかった。

「……あれ? 案外何も思い浮かばない」

 訳が分からないといった顔をする紫。だがそれも当然なのだ。何故なら俺は、自分の紳士性というものを割と包み隠さず出しているから。いや、正確に言うならば、縁によって明らかにされているから。だから、別段知られて恥ずかしいという話など特に無いのだ。たとえ何か話をしても、『まぁ和人君だから』で終わるのが目に見えている。

「開き直った変態というのも、タチが悪いですね……」

 例の如く、俺の思考を読んだ縁が呆れた声を漏らす。開き直ることになった主要因に、言われたくは無い。

「いや、普通はそんな簡単に開き直れないものなんですよ……でもまぁ、そんなことは別にどうでも良いんです。私たちも帰って来たことですし、そろそろ本題に入りましょう。じゃないと、すぐ夜になっちゃいますよ?」

「そう言えばそうでしたね。和人さんとのお喋りが楽しくて、ついつい忘れていました」

 と、ソフィアさんがそんな嬉しいことを言ってくれる。そう言われると、もっと色々と披露したくなってしまうが、縁が言ったことも尤もだった。

 そもそもこのホテルの一室に皆が集まっているのは、これから従事することになる任務についての詳細を共有するためなのだ。しかし、藤瀬姉妹がお世話になった方々に挨拶をするためと外出し、取り敢えずそれは後回し。待つまでの間、俺は残った二人と懇親を深めていたという訳だ。

 だが二人が帰った以上、もう後回しにする理由がない。

「よし、じゃあ本題に入ろうか。ソフィアさん、では説明をお願い――」

「ちょっと待って」「ちょっと待ってください」

 だが二人の声がそれを阻む。

「私が受けた精神的苦痛について、まだ結審が済んでない」

「本題って何ですか? 私はただ、縁様方がこちらにいると聞いて、挨拶に伺っただけだったのですが……私って関係あります?」

 最初のが紫、次がイレーネの主張だ。

 一つずつ片付けよう。

「紫、みんなに話したのは悪かった。今度、紫が欲しがってた『世界の猫写真集』をあげるから、それで許しくれ」

「え!?……………………うん……わかった♪」

 一瞬、嬉しそうに声を上ずらせたものの、その後すぐに渋々といった表情を作って重々しく頷く紫。しかし、最後の語尾が楽しげに躍動しているのはまったく隠せていない。チョロい。

「ちょっと待ってください。それは不公平です」

 しかし、思いがけないところから不平の声が上がる。

「別にその猫の写真集が欲しい訳ではありませんが、私たちは双子です。紫だけにというのは納得がいきません。何なら私の恥ずかしい話をしても良いですから、その写真集の権利を半分私にも下さい」

 いつになく必死な様子の縁が交渉を仕掛けてくる。これは、縁も猫好きなのを忘れていた俺の失策だ。

 俺はチラリと紫を見やる。すると、すっかりご機嫌になっていた紫が、

「お姉ちゃん、良いよ。一緒に見よ」

 と、いつも通りの良い子に戻って縁を宥めてくれる。

「ホント!? ありがと! 読む時は、ちゃんと私のペースでページめくってね」

 ちゃっかり自分の要望を交えつつ、嬉しそうに縁が紫に抱きつく。

 これでこっちはオーケー。残るは……

「……アレ? 言われてみたら、確かにイレーネいらないね。ていうか、何でいるの? 本題の邪魔だから、さっさと帰って」

「言い方!!」

 イレーネが叫ぶ。

「確かに、『私関係ない』って自分から言いましたが、そんな邪険にすることはないでしょう! これも何かの縁なんですから、少しくらい説明してくれても良いじゃないですか!」

「あぁ……そう?」

 寂しがり屋を拗らせたみたいなことを言い始めるイレーネに若干の困惑を覚えつつ、俺はソフィアさんに目配せする。すると、

「……そうですね、13SSの情報開示権限は私よりも上ですから、特に拒否する理由も力も、私にはありません」

 と、困った顔を浮かべながらそんなことを呟きつつ、例のファイルをイレーネに手渡す。

「いや……流石に辞めた方が……それとも13SS的にはOKだったりするの?」

 上機嫌に顔を綻ばせていた縁が、その様子を見て俄かに緊張した面持ちで呟く。だがその声が、イレーネには聞こえていないのか、楽しげな顔で資料を受け取った。

「ありがとうございます。へぇ……これがその本題とやらの資料ですか」

 そう言いながら、パラパラとページを捲り始める。しかし、最初は楽しげに目を走らせていたイレーネだったが、途中から、目に見えて顔が青くなっていった。

「あの……これって……」

 ついにページを捲るその手を止め、恐る恐る俺を見る。

「もしかして、TS1の資料だったりします?」

「TS1?」

 その聞き慣れない単語に首を傾げると、顔を強張らせた縁が説明してくれた。

「第一級極秘資料のことです。関係者以外への情報開示は原則禁止、不慮の事態により情報が漏洩した場合は、評議会に報告の上、適切に対処する必要が生じます。尚、この『適切に対処』って言うのは口封じを指しますから、実質死刑です」

「あぁ、なるほど……てか、それだとソフィアさんヤバいんじゃない?」

 今の行為は、普通に情報漏洩にあたる気がする。

「いえ、それはお気になさらず。評議会直轄の13SSメンバーへの情報開示は、先ほど縁さんが言っていた“原則禁止”の例外に当たりますから」

「あ、そうなんですか。それは良かったです」

「良くありません!!」

 血相を変えたイレーネが、ファイルを机にバンッと置く。

「私が職権の私的濫用で粛清されちゃうじゃないですか!」

「職権の私的濫用?」

 俺は再び、縁の方を見る。

「はい、それは逆に評議会直轄――今回で言えば、13SS側の規定です。彼らはその権限で情報開示をさせることができますが、それが彼らの任務に関連したものでない場合、職権の私的濫用に当たり処罰の対象になります」

「なる……ほど」

 てことは、今回のイレーネは完全にアウトだな。単なる好奇心以外のなにものでもないんだから。

「好奇心は猫をも殺す……か……」

「そこ! 他人事みたいに言わないで下さい! 本気で冗談じゃ済まないんです!」

 顔を真っ青にしたイレーネが、頭を抱える。どうやら洒落にならない状況なのは間違いないみたいだ。

 流石にこれは……少しまずいかもしれない。

「ソフィアさん、何とかなりませんか?」

 この場で一番評議会に近い人間だろうソフィアさんに聞いてみる。何か抜け道を知っているとしたら、彼女にしかいないだろう。

「そうですねぇ……」

 ソフィアさんは眉間に皺を寄せて、思案げに宙を見つめる。そして――

「抜け道は無いですけれど、何とかなる方法はございますね」

「ホントですか!?」

 イレーネがソフィアさんに縋り付く。

「どんな方法が? 何でもやってみせます。伊達に長年、エクソシストの第一線で戦い続けてきた訳ではありません!」

「いえ、そんなに大したことではありません」

 勢いづくイレーネにソフィアさんが優しく微笑む。

「手っ取り早く、あなたもこの任務に参加してしまえば良いんです。そうすれば無関係ではなくなりますから、規則違反にはなりません。評議会へは、私から話を通させて頂きます」

「な……なるほど……」

 今度はイレーネが考え込む番だ。

「それは確かに一理ある方法だとは思いますが、そもそも……それは可能なんですか?」

 イレーネは首を傾げるが、ソフィアさんが力強く頷いた。

「ご安心ください。元々この任務はエクソシストが二人だけで少し人数に不安がありましたし、何よりあなたであれば実力的にも申し分ございません。評議会も必ず首を縦に振ると思います」

「そうですか……正直パッと見ただけでもあまり関わりたくない任務ではあったのですが……背に腹は変えられません。お願いしても宜しいですか?」

 渋々ながらも、しかしホッと安心した顔になったイレーネがソフィアさんに頭を下げる。

「はい、もちろんです。では私は、別室で評議会に電話で伝えて参りますので、少々お待ちください」

 そう言って、ソフィアさんが部屋を出ていく。

 だが部屋を出る直前、扉に手をかけつつ、ソフィアさんは振り返った。

「あと、もちろん分かっているとは思いますけれど、この任務のことは他言無用でお願いします。念のため、誰かとの接触も控えて頂けますと幸いです」

「あ、そうですか……日本での任務が終わったので、久しぶりに本部にいる友人と連絡を取ろうと思っていたのですが……」

「急ぎでなければ、今回の任務が終わった後にお願いします」

「……分かりました。仕方ないですね」

 イレーネは残念そうに頷き、それを見たソフィアさんは満足げに微笑んで、今度こそ部屋を出て行った。

「何だか大変なことになっちゃったね」

 気が緩んだのか、ペタッと床に座り込んだイレーネに話しかける。

「はぁ……全くですよ。私はただ皆さんに挨拶に来ただけだったのに。珍しく、これからしばらくは仕事がなかったんですよ? 折角思いっきり羽を伸ばせると思ってたのに……」

「仕事がなかったって、13SSの?」

 そこで、縁が会話に入ってくる。取り敢えず 問題はひと段落したはずだが、いまだに真剣な表情を浮かべていた。

「いえ、他のメンバーは実は仕事が入っていて、多分今頃はスウェーデンでしょう。私とカルラだけ、非番だったんです。と言っても、カルラは今も入院中ですから、結局誰も休めなくなっちゃいましたけどね」

 と、苦笑するイレーネに縁が再び尋ねる。

「そういうことって良くあるの?」

「そういうこととは?」

「メンバーの誰かだけが休みになるってこと」

「あぁ。それはありますよ。交代で一年に一回くらいは、一ヶ月程度のまとまった休みが入るんです。それが何か?」

 イレーネが不思議そうに縁を見つめる。

 対して縁は……少しだけ考える素振りを見せつつも、すぐに首を振った。

「いや……気のせいだから良いや。気にしないで」

「……そうですか?」

 イレーネが、訝しげに眉根を寄せる。そして、何か言いたげに口を開きかけたが……

 結局、この話はここまでになる。早くも、ソフィアさんが戻ってきたのだ。

「皆さん、お待たせしました」

「いえ、全然! それで……どうでした?」

 表情を再びピンと張り詰めて、恐る恐るイレーネが尋ねる。

 返ってきたのは、ソフィアさんの笑顔だった。

「良かったぁ……」

 それを見たイレーネが、再びペタンと床に座る。

「ご安心ください。今回のことを理由に、評議会があなたを罰することはありませんから」

 ソフィアさんはそう言って、俺たちの輪の中に戻ってくる。

「さて、では随分と遠回りしてしまいましたが、そろそろ任務についてご説明します。でないと、明朝の出発に支障が出てしまいますからね」

 戻ってきて早々、ソフィアさんが本題を切り出す。確かに、気づけばもう夕方だ。明日も早いのだから、そろそろ今日の目的を達しなければいけないだろう。

「まず今回のターゲットですが、厄介なことに一人は政治家、もう一人は経済学者です。二人とも相応に立場のある人間ですので、その辺を歩いている人間を殺すのとは訳が違います。悪魔の妨害を退けながら、あるいは先に排除しながら、事故死、もしくは病死を装って二人を殺す必要があります」

「あの……一応聞いても良いですか?」

 そこで、俺は話を遮る。具体的なことを聞く前に、これだけは聞いておきたかった。

「彼らを殺す理由を教えてください」

 人を殺す覚悟はできている。それが、縁と紫と一緒にいることと引き換えに俺が選んだ選択だから。

 それでも、何の罪もない人間を手に掛けるつもりは無かった。もしISSAがそういう所なら、俺は二人の手を引いて、そこから離れなければいけない。

「そんな怖い顔をしないで下さい」

 しかし、ソフィアさんは少し困ったような顔でそう言うと、

「和人さんは、彼らの名前に心当たりはありませんか? 特にカミーユとアネットの方です」

 と、逆に質問してくる。

 言われて、二人の名前の綴りを凝視するが、やはり思い当たる節はない。そもそも、日本人の政治家すら知らない人が多く、経済学者に至っては誰一人名前が出てこないのに、ましてやフランス人なんて分かる筈もない。

 そう答えると、ソフィアさんは呆れた顔をした。

「でも、カミーユはともかく、アネットは世界的に見ても有名ですよ? 数年前に著作がベストセラーにもなりましたから」

 改めて、資料に目を落とす。どうやらカミーユの方が政治家で、アネットが経済学者のようだった。

「もちろん、知らないならそれで結構ですけど。ご説明しますから。と言っても、あまりここで専門的な説明をしても意味はありませんので、概略だけお伝えします。一言で言ってしまえば、彼らは『みんなが平等な世界』を目指しているんです」

「みんなが平等な世界? ……それって社会主義じゃないんですか?」

 私有財産を否定し、すべて国家の管理下に置く。一時期は世界の半分を占めた考え方だったが、旧ソ連の崩壊と共に廃れている。

「はい。発想はかなり近いです。ただ、社会主義ほどには徹底はしていません。国有化はせず、ただ課税するんです。お金持ちに沢山課税して、貧困層に配る。単純化するとそういうことです。そして、資産格差を軽減し、平等に近づけます」

「あぁ……日本の累進課税の進化系みたいな感じですか?」

「そうですね、意味合いとしては」

 ソフィアさんが頷く。

「今は、この考え方がとても流行っているんです。その方法を論理的に示したアネットは、ノーベル経済学賞の最有力候補なんて言われていますし、アネットの友人にしてその理論の熱烈な推進者であるカミーユの方も、彼が率いる政党が十数年ぶりに政権与党に返り咲きそうな雰囲気まであります。まさに、飛ぶ鳥を落とす勢いです」

「へぇ、それは凄いですね。将来性は無さそうですけど」

 働かなくてもお金が配られて、働いたらお金を取られる。そんな世界でも真面目に働ける人間はかなり希少だろう。その結果、生産物の量と付加価値が減少して国がどんどん貧しくなる。火を見るよりも明らかだ。

「あぁ……なるほど。だから、排除するんですか?」

 結局それは、人を堕落させ、社会を貧しくさせようという悪魔の画策ということなのだろう。『悪魔的』とかではなく、文字通り『悪魔』の。

 しかしそれにしても……

「いくらなんでも、考え方が有害だから殺すというのはやり過ぎでないですか? もはやそれは言論封殺ですよ。民主主義時代にはそぐわない」

 しかし、ソフィアさんはにっこりと微笑んでこう言った。

「ただの人間相手なら確かにそうですが、彼らは悪魔憑きです。そしてISSAでは、悪魔に言論の自由は認めていない。もちろん、悪魔に取り憑かれた人間にも。だから、最も効果的な方法で排除します。今回はその手段が暗殺だった。それだけのことですよ。分かりましたか?」

「……えぇ、何となく」

 縁と紫から、悪魔憑きの色々なパターンは聞いている。軽度なら祓ったら解放されるが、ほぼ一体化するほどに同通してしまった場合は魂が深く汚染されていることも多く、そうなるともはや手遅れだと言う。恐らく、今回はそっちなのだろう。

「さて、そちらの御三方も、特に質問はありませんか?」

 俺が黙ったのを見て、ソフィアさんが残る三人へ目を向ける。

 最初に答えたのは、縁だった。

「彼らの背景は? 彼らが住んでいる場所だとか、どういう生活習慣があるかとか、そういったことは、これから教えて貰えるんですよね?」

「はい、もちろん」

 ソフィアさんが頷く。

「なら、私も大丈夫。全部聞いてから、何かあったら質問する」

 縁がそう言い、続いて紫も頷く。最後に残ったイレーネは、

「もとより、私は彼らのことは知っていましたから。詳しく調べてはいませんでしたが、彼らが何か悪質な存在に動かされているのは分かっていましたし、それが人間を堕落に誘う目的で行われていることも勘づいていました。いずれ、評議会が動くだろうことも」

 そう言って、「やれやれ」と首を振る。

「もっとも、13SSに配属された今になって、まさかその任が自分に降りかかるとまでは、予想していませんでしたが」

 辟易とした様子のイレーネを見て、ソフィアさんが苦笑する。

「そう仰らずに。イレーネさんの能力は、暗殺にはもってこいの能力じゃありませんか。評議員の皆様も、期待しておられていましたよ?」

「……あまり嬉しくはありませんね」

 イレーネが顔を顰める。そんなイレーネに、俺は尋ねる。

「暗殺にもってこいって、何か特殊な能力でもあるの?」

「あぁ……大したものではありませんよ」

 イレーネか顔を顰めつつ、答えてくれる。

「私は人と接触することで、その人の精神に触れることができるんです」

「精神に触れる?」

「えぇ。簡単に言うと、記憶や認識に干渉できるんです。だから、その人の記憶を覗くことは勿論、記憶を書き換えたり、簡単な記憶を植え付けたり、認識を変えてしまったり……そんなことができます」

「へぇ! それはすごい! ……あれ? でも……その記憶を覗くってことに関しては、縁も似たようなことできるんじゃないの?」

 俺も一体今まで何度、縁に頭の中を覗かれてきたことか。

 しかし、それを聞いていた縁は「違いますよ」と首を振る。

「私ができるのは、想念を見るだけです。すなわち、考えていることを覗くんです。対し、イレーネは考えていることは分かりませんが、記憶を覗くことができます。結構それは、大きな違いなんですよ?」

 ……? ふむ、よく分からん。分からんが、ソフィアさんの手前、分かったことにして頷いておこう。

「なるほど、それは全然違うね。きのこの山とたけのこの里くらい違うね」

「よく分かってない上に、例えが適当過ぎる……というか、外人のソフィアさんにアピールするのに、その例えはダメ過ぎますよ」

「確かに!」

 めっちゃドメスティックネタだった。

「とまぁこんな感じで、和人君の馬鹿さを理解できるのが私の能力で、何が何だか分からなくてポカンとしてしまうのが、イレーネの能力です。分かりましたか?」

「あぁ、うん。よく分かった。イレーネ良かったね、変な能力に目覚めなくて」

 俺は、俺と縁のやり取りをポカンとした顔で見つめているイレーネに声をかける。

「え? あぁそう……なんですかね? とにかく私にはお二人の会話がさっぱり……何で今、ソフィアさんが出てきたんですか?」

 イレーネが心底分からないといった顔をする。

 なるほど、新鮮な反応だ。これは慣れていってもらうしかない。

「イレーネ、頑張ってついてきてね。応援してるから」

「日本の変態学を学ぶ良い機会です。イレーネ、精進しなさい」

 俺と縁から激励の言葉をかけられ、益々困惑顔になるイレーネ。まだまだ彼女が俺たちのパーティメンバーになるには、時間が必要なようだ。

「さて、じゃあそろそろ本題に戻って宜しいでしょうか?」

 俺たちのやり取りが終わるのを忍耐強く待っていたソフィアさんが、機を見るに敏で動き出す。

 勿論、異論はない。

「さて……先程お話しした二人を裏で指導しているのが、フィルマン・ビゼーという悪魔です。生前の彼は、フランス革命期に革命勢力側の指導者の一人として活動していました。かの悪魔の武器は『嫉妬心』と『憤怒』です」

「嫉妬心と……憤怒……」

「はい。豊かな者、恵まれた者への僻みとそれを原動力にした破壊衝動。こういった感情を操作し、増大させ、嫉妬心が肯定される世界を作ろうとしています」

「嫉妬心が肯定される世界――『出る杭は打たれる』みたいなことですかね?」

「日本的に言えば、そうなりますね」

 ソフィアさんが頷く。

「出る杭が打たれる世界は、誰も成長できない世界です。勿論、出た杭はこれから出ようとしている杭を助ける義務があり、それを放棄している人間が多いことは問題ですが、だからと言って、出る杭をすべて打ちつけてしまうというのは極論に過ぎます。許容して良い世界ではありません」

「……分かりました。それで、具体的にはどうするんです?」

 すると、ソフィアさんは「詳細は藤瀬様方にお任せしますが……」と言って、大まかな展望だけ説明してくれる。

「まず当然ながら、暗殺対象の二人は行動圏が異なります。ですので、二回に分けて、別々に二人を暗殺しても良いですが……あるいは、これを利用するという手もあります」

 そう言ってソフィアさんが取り出したのは――

「Parsifal : Opéra Bastille de Paris?」

 二週間後にパリで開かれる、オペラの案内パンフレットだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る