悩めるサッカー部のエースは彼女の秘密を知らない

片桐街

第1話 国語の授業

 源氏物語の面白さが、男の僕にはわからない。


 平安時代のやんごとなき人々の恋模様を描いたこの作品を味わうには、女心への理解が求められる。 


 担任の前平先生は、高校生の時に源氏物語にハマり、それがきっかけで国語の教師を目指すようになったと、以前授業で話していた。

 もう数え切れないほど読んできたであろう、若紫の一節が前平先生の朗々とした声で教室に響いている。


「では今読んだなかの『いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。』のところ、誰かに現代語訳してもらいましょう。それでは――」


 僕はさっと先生から目を逸らす。 


「渡辺さん。お願いできるかしら」


 自分の名前が呼ばれたわけではないが、ドキッとした。

 僕は発表者の方に体を向ける。彼女は小さく返事をして、ノートを手に立ち上がった。


「ええっと・・・・・・」


 渡辺はノートに目を遣っているが、なかなか解答は出てこない。


 前平先生はその様子をしばらく見守っていたが、ここでタイムオーバーのようだ。


「次からはちゃんと予習してくるようにね。では代わりに――」


 渡辺はしゅんとした様子で席に着いた。


 予習サボったのは僕も一緒だよ、心の中でそう呟いて、黒板の方に体を向き直す。

 あっ、しまった。そう思ったときには遅かった。


「はい、目が合いましたね。末永君、代わりに解答お願いします」


 前平先生からの指名に慌てた僕は、前に座るトッチーの背中を突いてヘルプを求めた。

 トッチーが予習してきているという確証はなかったが、彼がノートを僕の見える位置まで掲げてくれたので安心した。



「――たいへん幼くいらっしゃるのが、かわいそうで気がかりでなりません」



 僕はトッチーの方に前のめりになりながら、指示された部分の現代語訳を読み上げた。


「まあいいでしょう、次からは自分の力で答えましょうね」


 苦笑交じりの前平先生にそう言われた。



「さっきはありがとう。助かったわ」


 授業が終わって、改めてトッチーにお礼をする。


 トッチーは、机の上の教材を片付けながら「いいよ、いいよ」と答え、「そんなことより」と話を変えてきた。


「お前いつ渡辺に告るの?」


 声のトーンを落としてくれたことに、トッチーなりの配慮が感じられる。


 やっぱりそのことか。


 僕がにやりとした表情を見せると、トッチーも僕をまねて、にやりとする。


「タイミングがあればって感じ」


 僕はとりあえずそう言った。


「そんなんじゃ、一生告白なんて出来ないって」


 トッチーに呆れ顔で返される。


「タイミングは自分でつくるもの」


 トッチーは続けて言った。

 

 じゃあトッチーの方こそ、早く相本に思いを伝えなよ。僕はそう思ったが、口には出さないであげた。


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