13 金曜日の黄昏時に
「ねえ、彩香はさ、速水廉くんのことどう思ってんの?」
「え?」
昼休み。混んだ社食でわたしたちはランチしていた。
愛美はA定食。わたしはお弁当。
「どう、って言われても」
本当は心臓が口から飛び出しそうなくらいドキドキしてるけど、普通を装って。
「亜紀ちゃんがさあ、秘かに速水くんを狙ってるらしいんだけど、この前の遊園地の様子だと速水くんはぜったい彩香狙いじゃん?」
「そんなことない」
「またまたあ、二人でどこか消えてたでしょ~」
「なりゆきだよ」
不自然なくらい突っぱねているのは自分でもわかっていたけど、今さら速水との関係を話すのも気が引けた。
「そう? じゃあ、亜紀ちゃんに行っちゃえ~って伝えても大丈夫?」
社食のざわめきが一瞬途切れた。口の中の卵焼きの味もしない。
亜紀ちゃんが。速水に。速水と亜紀ちゃんが。
でもそれも一瞬のことで、景色は再び色を取りもどす。
「うん、もちろん」
「無理してない?」
気遣わし気な愛美にわたしはにっこりしてみせた。
「ええ? なんで無理よ。速水くんとわたしは何でもないんだから無理も何もないよ」
そう。何でもない。
速水はわたしにとって、10年前に失恋した相手。ただそれだけ。
♢
それから淡々と日々は過ぎた。
会社に行き、仕事をし、帰宅する。愛美とランチや夕方のお茶をすることはあったけど、平穏無事に週末を迎えようとしていた。
「亜紀ちゃん、今日速水くんを飲みに誘うって言ってた。二人きりで」
ちょっと自分をねぎらいたくなる週末、社食のスペシャルランチを食べていたわたしは危うく箸を落としそうになる。
「そっかぁ」
さりげなく箸を持ち直してハンバーグの背中を割る。肉汁が溢れ出して美味しそうなのに箸が動かない。
「うまくいくと、いいね」
やっと言って、やっと箸を動かす。
「ねえ、彩香。本当に速水くんのこと何とも思ってないの?」
亜美がじっとわたしを見ている。
うう、愛美って妙に勘が鋭いんだよなあ。
「何とも思ってないよ」
「彩香が酔い潰れて速水くんに送ってもらったとき、本当になんでもなかったの?」
「やだな、なんにもないよぉ」
今さら言えない。速水との関係を。
亜美ちゃんに話した、10年前の甘酸っぱくてみっともなくてアオハルな失恋話。
その相手が、速水だなんて。
しかもその真相は、わたしがずっとカン違いしていたかもしれないのだ。
とにかく、この週末。この週末にすべてを明らかにしなくてはならない。
でも、と箸が止まる。
真相を明らかにしたとして、わたしはどうするつもりなの?
10年間引きずった想いを今さら速水にぶつけるの?
亜紀ちゃんと速水が、今夜うまくいったら、どうするつもりなの?
「あたしはさ、彩香のことも友だちで大事だから言うけどさ」
愛美がナポリタンをフォークでくるくるしながら言う。
「彩香は、いっつも何かを我慢しているような気がするんだ。もっと自分に正直に、我儘に、思うようにした方がいいよ。女の華やかな時間は短いんだからさ」
「なにそのお母さんみたいな言い草」
思わずぷっと笑ってしまう。愛美は口の周りをナポリタンだらけにして言う。
「真実でしょ。後悔は取り消せない。時間も戻らない。女の劣化は待ったナシ」
「亜美ママって呼ぶよ!」
笑いつつ亜美の言う通りだと思う。
でもね愛美。あなたの目の前にいる親友は、取り消せない後悔をほじくり返しに行こうとしている大馬鹿者なんだよ。
♢
日の長いこの季節、金曜日の仕事帰りはまだ夕暮れの空を見ることができる。
飲みに行かない? と愛美を誘うと、愛美はにんまり笑って「吉野さんと約束してるんだ」とうれしそうだった。愛美め。うまくいくといいんだけれど。
実家に帰る支度でものんびりするか、と黄昏の青とオレンジの混ざる空を眺めてぶらぶら歩き、アパートの近くまでやってきて――足を止める。
アパートの前に見慣れない車が止まっていて、その傍に隠れるように人影がある。
わたしは眉をひそめた。
閑静な住宅街というのは意外と暗い。暑くなってくるこの季節、わたしのアパートの周辺は『痴漢注意!』の看板が多く掲示される。自転車ですれちがったり、後ろから襲いかかったり、車に連れ込もうとしたり。学生寮やアパートが多いからか、様々なパターンの婦女暴行未遂事件が多発しているエリアなのだそうだ。
実際、まだこのアパートに住み始めた頃、後をつけられたことがあった。猛ダッシュで家に駆けこみ鍵をしめ、玄関で泣きべそをかいたこともあった。
「……そうだ」
どうせ週末は実家に帰るのだから、このまま回れ右して駅に行こう。
名案だと思って回れ右、早足で駅へ戻る。
自宅のユニットバスじゃなくて、実家の広いお風呂にゆっくり入ろう。そうしよう。
駅前のドラッグストアで入浴剤でも買っていこう、と少し気を取り直したとき、背後からざっざっ、という足音が近付いてきた。
そのピッチの速さに思わず振り向くと、フードを被った背の高い影がこちらに向かってくる。
「や、やだ」
声が震える。数年前の怖い記憶がフラッシュバックする。わたしは走り出した。背後の足音も走ってくる。
「きゃっ」
手が熱いと思ったときには地面に手をついていた。転んだのだ。今日に限って少しヒールが高かった。アスファルトの凹凸にひっかかったらしい。
フードの影が大きくわたしに覆いかぶさってくる。
「あ、う……」
本当に怖いと、声が出ないんだと初めて知った。
目の前が真っ暗になる。
強い力でわたしは地面に押し倒された。
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