わたしを溺愛してくるのは、かつて失恋した人だという件。

桂真琴@12/25『転生厨師』下巻発売

1 10年前の失恋話



「ごめん無理だわ、村上」



 大輪の花火の音、上がる歓声。雑踏の音。

 夏祭りの喧噪のただなかにいたはずなのに速水のその言葉だけが耳に届いた。



 わたしを見る瞳には怒りさえ見えることに、熱帯夜の只中でわたしは凍りついた。


 わたしは何も言えずに、そのまま人波に消えていく速水の背中だけをぼうっと見ていた。



 心臓をどん、と突き飛ばされるような衝撃は、もう一度上がった大輪の花火のせいだけじゃなくて。



――わたしは、大好きな人に嫌われていた。



 その事実が、わたしを暗い穴へ突き落とす衝撃となって伝わる。

 その度に夏の夜空には大輪の花が咲き、周囲からは歓声が湧いた。



 こんなにたくさんの人がいるのに。

 こんなに楽しそうな声に囲まれているのに。

 

 こんなにひとりぼっちを感じたことは、生まれて初めてだった。







「へえー、なんかドラマみたいな話だねえ」

 わたしの失恋話に愛美あみは心から感心したらしい。



 汗をかいたアイスコーヒーのグラスをストローでまぜていた手が止まっている。見開いた目は、もともと大きいのにアイラインをばっちり引いているからマンガじみて大きくなっている。



「メイク、気合入ってるね」

「そりゃあ久々の合コンですから。で、彩香あやか、その彼とはその後どうなったのよ?」

「どうって……それきり話もしなくなって、そのうち受験で忙しくなって、あっという間に高校卒業だよ」

「つまりそれきり音信不通ってこと?」

「んん、まあ」

「あれ? なんかあやしい」

「あやしくないよ。なんにもないよ。失恋して気まずくなった相手となんてなんかあるわけないじゃん」


 愛美は異様に勘が鋭い。わたしはグラスの底に残ったアイスコーヒーをすすった。死ぬほど甘い。最初に入れたガムシロップが下で溜まっていたんだ。


 甘い、と顔をしかめるわたしを愛美はじっと見る。


「でも彩香、すごいネタ持ってるね。同期親友のあたしになんでもっと早く話してくれなかったのよ」

「入社してすぐに失恋話とかされたら引くでしょ」


 愛美は会社の同期で、入社してすぐに仲良くなって以来、五年の付き合いだ。

 それでもこの話を愛美にしたのは初めてだった。

――というか、この話を平気な顔で口にできるようになったのが、つい最近なのだ。


「夏っていうと、その失恋を思い出す。あれからずっと、夏は失恋の季節って感じ」


 我ながら高校生のときの失恋をずっと引きずるなんて拗らせすぎだろ、と思うけど。


「何言ってんの! 夏と言えば出会いでしょ! シケタ顔しない! 彩香って地味だけど実は整った顔してるんだからさ」

「地味とか実は、は余計でしょ」

 わたしは笑う。


 愛美は王道の派手系美人、わたしは清楚な美人、ということに社内ではなっているらしい。


 清楚ってわかりやすい気遣い用語だ。

 つまりは地味なのってことで。

 わたしは根っからの面倒くさがりで、メイクやお洒落もシンプルだから、よけいに華やかさに欠ける。 


 入社当時から派手で美人な愛美とは比較され、そういう目で見られていることも知っていたけど、特に何も感じなかった。



 人の引き立て役になるのは、慣れてるから。



 それでも愛美のモテオーラの恩恵か、社内でお付き合いを申し込まれたこともある。


 でも、10年前の失恋を拗らせていたわたしは、いろいろと怖くて丁重にお断りした。

 以来、社内の男性はわたしを遠巻きに見ているようだ。


 愛美はそれこそ社内でも社外でもよりどりみどりだったけど、選り好みしすぎたらしい。



 だからわたしたちは27歳の夏を前に、こうして合コンへ行くことになったのだけれど。



「今日の合コンはすっごいレアなんだから! なんたってお医者さんだよ!」

「へえー……」

「反応薄っ。驚かせてやろうと思ったのにぃ」

「ごめんごめん、びっくり、すっごいびっくりしてるよー」

「なんか棒読みムカつく」



 頬をふくらませた愛美を見て大げさに笑ってみせる。ここにも失恋の翳りがあるってバレないように。


 速水は、怪我をしたサッカー部のメンバーを見て整形外科医になりたいと言っていた。その思いは変わらず、医師を目指すため医学部に進んだと風の噂で聞いていた。


「最近、周りがどんどん結婚していくじゃん? うちら、すでに行き遅れ組なんだからもっと気合入れて!」

「行き遅れって……どの時代の考えよ」

「昔だろうと今だろうと、幸せになるなら早い方がいいでしょうが」

「別に結婚だけが幸せってわけじゃあないでしょ」

「でも、結婚だって幸せのひとつでしょ? しかもひとりじゃ手に入んない幸せじゃん。ひとりで手に入れられる幸せは一通り経験したもん。あたしは誰かと手に入れる幸せが欲しい!」

「はいはい、愛美らしいね」


 派手で、はっきりしていて、よく笑って。

 こういう女の子を、男性は好きになるんだろうな、って思う。

 わたしは愛美とは逆だ。地味で、いつも迷って、冷めている。


 そして、高校時代の失恋をつい最近まで引きずっているような、拗らせ体質だ。



 合コンに参加しようと思ったのは、そんな自分を変えたいから。



 27歳だから、じゃない。

 あの夏の痛みを人に話せる心境になったら、わたしも幸せになりたいって自然に思ったんだ。

 まあ愛美の言う通り、周囲が結婚ラッシュで幸せ話を浴びるように聞いている影響かもしれないけどね。



「あ、LINE来た。表参道の駅に着いたって」

 今日の合コンは愛美の大学時代の女友達がセッティングしてくれたもので、その彼女も会社の同期を連れて参加するらしい。


 わたしたちは喫茶店を出た。

 モンスーンの影響下にある湿気がじっとりと身体に迫る。けれど、木々の多い夕暮れの表参道は新宿にあるオフィスの周辺よりもいくらか涼やかに感じられた。



 愛美に話をしたからか、あの夏祭りの夜の夕暮れをふと思い出す。

 じっとりと身体に張り付く湿気と熱気。川辺の草木の匂い。



 あのときのことを痛みに感じることも少なくなっていた。がんばれわたし。わたしのために。今年は仕事と猛暑に押しつぶされるだけじゃなくて、わたしなりに幸せな夏にしなくちゃね。


 冷めてるわたしが自分から恋愛に積極的になるのは、あの夏以来なんだから。

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