こんな世界があるはずは……

ちゃんマー

第1話

 引っ越して来た、家賃が各安なのだ。


 今思い返しても、それが決め手であった。


 大手自動車メーカー(ヨシダ)の部品工場で働いているのだが、給料は最低賃金に近い。


 日々の生活費に酒とタバコ代、あとは家賃を払ってしまえばそれで終わりである。


 毎月ギリギリの生活を送っているのだ。


 当然貯金は無い、出来るはずがない。


 だからと言って酒とタバコは辞められないだろう、他に楽しみが無いのだ。


 それにしても、一番バカバカしいと思うのが家賃である。


 いつまで払っても、自分の物にはならないからだ。


 住み慣れてくるとなぜ払わなければいかんのだ、と考えてしまう。


 そう思うともうダメだ、少しでも安い物件を探してこんな所はさっさと出て行こう、オンボロの癖に家賃は高い方だ。


 大家のばばぁもムカつくのだ。


 一階に住んで居るから、出勤する時にいつも顔を合わすコトになる。


 勿論こちらから挨拶はするのだが、返って来る返事は聞き取れない程に小さい。


 年寄りなのできっと朝も早いのだろう。


 しかし毎日顔を合わせていると、何だか監視されている気分になって来る。


 思い切って引っ越しを決意したのはこの頃からだ。


 そして家賃がずば抜けて安い物件を見つけた。


 初めてその物件を情報誌で発見した時は、プリントミスを疑った。


 それから不動産に確認入れたがそれでも半信半疑だった、それ程格安な物件だったのだ。


 すぐにでも引っ越したい。


 立地条件も今とは真逆の方角だが、工場までの距離はほとんど変わらないのだ。


 居ても立っても居られなくなり、決意した。


 すぐにでも決めないと、誰かが先に契約してしまいそうな気がしたのだ。


 引っ越し費用は友に頼み込んで借りるコトにした、大した荷物はない。


 三万ほど借りればお釣りが返って来るだろう、来月の給料日で返せるはずだ。


 この物件は敷金礼金も無いのだ。


 これであのばばぁともお別れだ、もう二度と会うことも無いだろう。


 もし何処かで会ったとしても、かるく無視してやるつもりだ。


 そんなに安い部屋はおかしい、事故物件だと友人に言われたが気にもしない、人間いつかは死ぬのだ。


 他所で死んだか、ここで死んだかの違いだけだ。


 仮に事故物件だとしても全然かまわない。


 幽霊だとか心霊の類は一切信用しないし、見たこともない。


 この世にそんなものは存在しない、人は死んだら無になるだけだ。


 新しい部屋は陽当たりこそイマイチだが、今まで住んで居た部屋とほとんど変わりない、いや、少しだけ広いかも知れない。


 コンビニは少し遠くなったが、すぐ近所に安そうな大衆食堂がある。


 結構流行っているのか客が絶えない、きっと旨いのだろう。


 これからよくお世話になることだろう。


 思い切って引っ越して本当に良かったと、吉永正雄は思った。




 今日も定時で仕事が終わった、昨日は引っ越し後の荷物整理とかでほとんど眠れていない、環境が変わったせいもあるだろう。


 不景気のせいか、しばらく残業もない。


 残業でもして稼いでおかないと、来月は借りた金を返済しないといけないのだ。


 しかし定時に終わりすぐに帰れるのが、工場勤めの良い所だ。


 ロッカーで私服に着替えると、愛車の原チャリに跨った。


 車の運転免許証は持っているが、自家用車はまだ一度も所有したことが無い。


 彼女も居ないから、原チャリで充分だ。


 通勤、買い物と色々重宝している。


 明日は休みである、今日の夜飯はあそこの店に食べに行こう。


 今日は何か良いことが起こりそうな予感がする、正雄は目一杯アクセルを回しスピードを上げた。


 思った通りあそこの店は旨かった。


 自宅近くにこんなお店があるとは付いて居る。


 昨日余り眠って無いので、お腹が満たされると眠気がやって来た。


 少し早いが風呂に入って寝るコトにしよう、今日は疲れた。




 水の流れる音で目が覚めた。


 風呂の水道蛇口を締め忘れてたか…あれっ身体が動かない。


 何かが身体の上から抑えつけて来る様な感覚だ。


 声も出ない。


 力を入れるほどに抑えつけて来る力も強くなって行く。


 えっ、もしかしてコレは金縛りとか言うヤツだろうか?


 まさか?


 しかし金縛りは科学で説明が付くのだと、何かの本で読んだコトがある。


 脳は起きているが身体の方は眠っているのだと…きっとソウに違いない。


 今日は身体が疲れていたから。


 正雄は混乱する自分に言い聞かせた。


 それとも自分は今、きっと夢を見ているのだ、そう考えるしかない。


 そうでないと説明が付かない、さっきから身体の上に人が乗って居る、女が上から抑えつけて来るのだ。 


「ち、ちょっとアンタ誰?」


 やっと声が出た。


 瞬間さっきまで上に居た女が居ない、消えた。


 水の音も止まっている。


 何だいまのは幻覚か? いや、違う。


 あれは幽霊だ! 本当に存在するのか。


 決してあれは人ではなかった。


 姿、形は人であったが、あれは決して人ではない。


 本当に存在するのか…今度は声に出して呟いた。


 お陰ですっかり目が覚めた。


 眠るとまたアレが来そうで怖いのだ。


 安いはずやで、このアパート…また出るんかなぁ?


 出るやろなぁ。


 事故物件は告知しないといけないはずだが、あの不動産屋一言も言わんやったな。


 事故物件の場合、客に対して告知する義務があるのだ。


 しかしそれは直近契約の話しで、その次の客に対して告知義務は発生しない。


 悪徳不動産になると物件が汚れた場合、自社の社員を一日だけ住ませ既成事実を作ってしまうのだ。


 そうするコトで、告知義務を回避するのだ。


 そして何も無かったコトにしてしまう。


 正雄は考えた… どこか他所へ引っ越すなど無理に決まっている。


 経済的に考えても、やはり無理だ、ここに住み続けるしかないのだ。


 しかし一つだけ分かったコトがある、この世に霊魂は存在するのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る