第1話 厄災の姫
「この娘は厄災じゃ! 厄災の姫じゃ! いずれ国を滅ぼすことになりましょうぞ!!」
それは十年前のことだった。
国王夫妻に第三子となる王女が生まれた。十数年ぶりの出産ということで心配されていたものの、母子ともに健康で、国王は初めての姫の誕生をたいそうお喜びになったという。面差しが王妃に似ていたからなおのこと。
しかし、その幸せは占い師の思いがけない言葉で一変した。
王家では子が生まれると占い師に見せるのが習わしになっている。たいていは褒めそやすような祝福の言葉を贈られるのだが、このときはどういうわけか恐ろしい形相で『厄災の姫』などと言われたのだ。
その年嵩の占い師は高名で、王家としても数十年の長きにわたり懇意にしてきた。第一子のときは『彼の知性が国を豊かにする』、第二子のときは『太陽のように慕われる』という言葉が贈られていた。
過去にさかのぼっても、いささか不吉に思えるような言葉はあったが、はっきりと国を滅ぼすとまで言われた例はなかった。すくなくとも記録には残されていない。国王は夜通し悩み抜いて決断を下した。
「姫は秘密裏に始末し、国民には死産だったと公表する」
出産にかかわったものや側近など事実を知る人間には箝口令を敷き、側近のひとりに姫の始末を命じた。
しかしながら側近は姫の命を奪わなかった。南方に向かい、その地域でいちばん大きな教会にひそかに姫を置いてきた。孤児として育ててもらえることを願って。その行動の裏には王妃の涙ながらの懇願もあったという。ただ——。
「任務完了しました」
国王にはもちろん、王妃にさえも姫を生かしたことはいっさい話さなかった。いざとなったら側近はひとりで罪をかぶるつもりだったのだ。それゆえ国王夫妻は姫は死んだと思って過ごしてきた。
状況が動いたのは数か月前、姫が誕生してから十年がすぎたころのことである。
妃殿下に生き写しの少女が南方の教会にいる——。
そんな噂が王都を席巻したのだ。王妃は十歳で婚約し、妖精のように愛らしくて美しいと話題になったのだが、その当時の王妃と驚くほどそっくりなのだという。稀少なはずの純白の髪まで同じらしい。
「あのとき本当に始末したのだな?」
国王が確認すると、側近は覚悟を決めたように真実を打ち明けた。
そのころにはもう「死産したという国王夫妻の御子ではないか」「占いで厄災の姫と出たので死んだことにしたらしい」という真実に近い話が広がっていた。人の口に戸は立てられないということだ。
国王は苦悩した。いまさら始末することも呼び戻すこともできない。だからといって放置もできない。王家の血を引いていると皆に認識されているなら、いくらでも利用価値はある。厄災の火種とならないようすぐさま手を打たねば。
「少女を、公爵家に嫁がせる」
宰相と相談の上でそう決定した。
公爵家という檻で囲っておけばそうそう手出しはできない。本来なら十六歳の成人を迎えなければ結婚できないのだが、今回は特例措置である。婚約者というだけではいささか弱いので致し方なかった。
嫁ぎ先として選ばれたのはシェフィールド公爵家である。三つの公爵家のうち、未婚の成年嫡男がいるのはここだけだった。序列一位というのもちょうどよかった。この婚姻で力関係が崩れる心配をしなくてもいいからだ。
このことは決定事項としてシェフィールド公爵家に伝えられた。王命であり、拒否することは許されない。そして少女はろくに説明もされないまま王都に連れてこられ、有無を言わさず結婚させられたのである。
ガタガタと揺れる馬車の中、アイザックは無表情のまま視線だけを隣に向ける。
そこにはウェディングドレスを身につけたままの少女が座っていた。透明感のある純白の髪は、貴族階級の女性にはありえないショートボブで、幼さゆえのまろい頬にさらりとかかっている。その表情はいまだにこわばったままだ。
どうしたらいいのか——。
アイザックは途方に暮れた。公爵家の嫡男として、家のために結婚する覚悟はしていたつもりだが、まさかこんな子供を娶らされるとは思わなかった。女性の扱い方もよくわからないが子供はもっとわからない。
アリア・ウィンストン(結婚してアリア・スペンサーとなる)。十歳。南方のウィンストン教会に捨てられていたのを拾われ、そこで育てられた。すこし怖がりなところはあるが優しく穏やかな性格で、教会の仕事もずいぶんと幼いころから真面目に手伝っており、みんなに可愛がられていた。
彼女については渡された簡単な身上調査書を見ただけで、ほとんど何も知らない。安心させるようなことを言ってやれたらいいが、無口な自分には難しい。こんなときにかける言葉など思いつかなかった。
いや、自分ならきっと何を言っても怖がらせてしまう。氷の宰相補佐と言われるほど、いつも冷たい表情ばかりで愛想のかけらもないし、無駄に上背があることで威圧感も与えてしまっているだろう。
もっとも氷の宰相補佐というのは色彩からも来ていると聞いた。髪の白銀色と瞳の薄水色が氷を想起させるらしい。
そう、彼女も自分も白系の髪なのだ。一般には稀少だが王家ではそうめずらしくないし、公爵家にもときどきいる。そんなわけで偶然の一致なのだが、これでは一緒にいても夫婦というより親子に見えかねない。
アイザックは溜息をついた。そのとき隣の彼女がビクリと大きく肩をふるわせ、体を硬くした。恐怖で凍りついているのが嫌でもわかる。それを見てまた溜息をつきたくなったが、眉間を寄せてこらえる。
「心配するな、取って食いはしない」
「……はい」
そう答えた声は震えて消え入りそうだった。
同情はするが、いくら怯えられても逃してやることはできない。せめて母とだけでも打ち解けて、スペンサー家が彼女にとってすこしでも居心地のいいものになれば——アイザックは窓の向こうの流れゆく景色を眺めながら静かにそう願った。
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