私が愛した十四年

WaKana

第1話 私が愛した十四年

私は昔から何でも興味を持つ子供だった。そして、すぐに諦める子供だった。やりたくなれば後先考えずすぐに始め、自分よりも優れた人を見るとすぐに辞めたくなってしまう。努力なんてしていないのだから「自分よりもできる」なんて当たり前だ。だけど、私はなんだか努力しても追いつけないような気がして。皆私を置いて行ってしまうような気がして。だからそうなる前に、自分が傷ついてしまう前に、全て諦めてしまう。結局はただの怖がりで。

でもこれなら私にもできるかもとか、やってみたらできるようになるかも、とか。そんな考えだけはたくさん浮かんできて。周りは私を『飽き性』だというけれど、ただ私は臆病なだけ。ただ独りが怖くて、続けてもできなくて、失望されて、誰も私を見てくれなくなることが嫌で。いつも『飽き性』な私を作り続けている。


ある日、校庭でふと目に留まった男の子。周りには誰もいなくて、ただ遊ぶクラスメイトを見ながら独りで座っている。私は自然と声をかけていた。

「何してるの?」

またいつもの出来心。でも人に対して好奇心を抱いたのは初めてだった。その子は一人だけれど、その一人を楽しんでいるようで、私とは違い『独り』に怯えていない。ただそれが当たり前かのようにそこにいる。君はどうして独りでいられるの?私と何が違うの?君のことが、知りたい。

「ねえねえ、一緒に鬼ごっこしない?」

私は、彼の返事も聞かずに手を取って走り出していた。

君は、周りのなにもかも知らない子だった。私が何かを教えると、目を輝かせて笑顔になる。私をすごいと言ってくれる。ただ、楽しんでくれる。私は、何故かこの子なら私の隣にいてくれる気がした。


そんな声をかけたあの日から四年。私たちは想像もしていなかった程、そばにいるのが当たり前な存在となっていた。彼の名前は『遥』。どこか大人びている子で、私の行動をいつも見ていてくれる。私が思い付きで始めることにも呆れたような顔をしているけれど、その呆れた顔は周りの大人や友達とは違って、見守ってくれているような、どこか優しさのある顔だった。なんやかんや毎回付き合ってくれる彼に今日もいつも通り声をかけようと思った二時限目。その時間の欄にはバスケと書かれている。バスケは初めてだったけど、運動はできるほうだった。だから「目立ってやる!」とか意気込んでいたら、、、負けた。

「私、バスケ練習する」

その日の昼休み。私は遥君に真剣な顔で言う。君はすべて見透かすように私を見た。

「何で?」

私は正直に「負けたのが悔しかった。」とはいえなくて、

「体育の授業で活躍するの」

と、遠回しに言ったつもりだったけど、全く隠せていなかったらしい。君にはすべてわかってしまうようで、「またか」みたいな顔でいつも通り私に付き合ってくれる。まあそんなバスケも、寒すぎて次の日にはやめちゃったんだけど。


「遥君!私たちあと五ヶ月で中学生だって。どんなところだろうね、中学校って。制服、着るの楽しみだなあ。少しは大人になれるかな。あ、あと部活も始まるよね」

私が話に夢中になり、長々と喋っている間も遥君はただ話を聞いてくれていた。街で見る中学生は私よりもずっと大人に見えていた。遠くの存在で、早く自分も大人になりたくて。でもその時私の眼に映った君は、そんな中学生よりもずっと大人びて見える。

「遥くんって、優しいよね」

ふと、口にしていた。そんな言葉。

ただ、そんな君の優しい笑顔の裏側には、いつも何かを感じる。君は、きっと私に隠していることがある。根拠はないけれど、きっと何かを一人で抱え込んでしまっている。でもそれは私から聞いてもきっと話してくれない気がして。だから、いつか君がすべて話してくれるような自分になるから。君に信用されるような存在になるから。私は、君のことは何でも知りたい。どんなことでも。いつか君が、自分から話してくれる日を待ってるよ。


私は制服のネクタイを締めて、ある正門を一歩またぐ。初めて入る、中学校。私はドキドキしながら玄関に張り出されたクラス表を見た。

「あれ、クラス同じだね。また一年よろしく。」

私は遥君の名前を見つけて少しうれしくなり、それを隠すようにいつもより静かな声で君に話しかける。

「よろしく」

同じ小学校だった周りの皆は、制服を着て少しいつもより大人っぽく見える。でも、君は小学校の頃から大人びていたからあまりいつもと変わらなくて、少し大人っぽくなった私は、君に近づくことができたかな。

でもやっぱり、静かに話すのは苦手だ。

「ねえ、この景色見飽きた。校内探検行こ!」

私はまた君の手を引き、走り出す。

走りながら、目に映る景色すべてに興味を持つ。大きな校舎、たくさんの教室、太陽を浴びて、眩しいほどに輝くグラウンド。そんな新しいことだらけの景色の中、私は小さな中庭に入りベンチに腰を下ろす。

「自然が多くて、綺麗な中庭だね」

私は息を切らしながら元気よく遥君に話しかける。君はしゃがみ込み大きく深呼吸しながら上がる肩を落ち着かせる。

「そうだね、こんなに走ったのは久しぶりだ」

君は疲れたように、でもいつものように温かい笑顔で少し微笑む。まったく、君はどこまで私に付き合ってくれるのか。

「ありがとう、遥君。ここ、座って休憩しよっか」


「遥君は部活何に入るの?」

私は少し落ち着き、水を飲む君に声をかける。一緒だったら嬉しいな、なんて思って。

「多分入らないよ。」

「え、、」

どうして、そう言いかけた時、君はまた私を見ずに、何かを隠すように下を向く。

「ふーん。」

やっぱり私には話してくれないんだ。まぁいいけど。

私は初日から隠し持ってきたお菓子を口に放り込んだ。


今日は初授業日。思っていたよりも小学校と変わらない授業内容の説明を聞きながら、私は窓の外を眺める。小さな子猫が学校の前の公園を横切る。その公園にあったバスケのゴールが視界に入り、私はまた部活について考える。今日の放課後には部活の体験入部があり、入りたい部を決めなければいけない。どこに行こうかな。やっぱバスケ部かなあ。そんなことを考えながら前を見ると、真面目に話を聞く遥君が見えた。

時間が過ぎ、私はバスケ部の部室へ向かっていた。たんたんと階段を下りる自分の足音を聞きながら小学校を思い出す。そういえば、小学校からだったな、バスケに興味を持ち始めたの。まあその時も案の定、遥君を寒いグラウンドへ連れ出して結局練習はやめてしまった。そんなときでも君は、いつもの笑顔でついてきてくれる。どの思い出を思い出しても、隣には君がいる。私の隣には君しかいない。君は今、どんな顔で、何をしているんだろう。

気が付くと、私は部室の前に立っていた。あんなにも楽しみだった部活。でも今はそれよりも君のことが頭から離れない。私がバスケ部へ入ってしまえば、会う時間は減ってしまうね。君は、どう思うのだろう。君は今も独りが楽しい?君は本当に、自分がやりたいことをできている?私は、君がいない日々を楽しめるだろうか。

扉に触れかけた手を止め、私は走り出していた。


まだ覚えていない校内を、此処がどこかもわからずただ走る。広い敷地内で君を見つけられるかはわからない。まだ残っているかもわからない。でも、今はただ君に会いたかった。長い階段を上っていると、いつの間にか一番上の階に来たらしく、大きな鉄の扉が重く閉まっていた。

「屋上だ、、、」

外は見えない。でも、なぜかそこには君がいる気がした。私は大きく深呼吸し、走ってきたことを悟らせないよういつも通りの自分を思い出す。そして、大きな扉に手をかける。

その先には、青い空と、君の後ろ姿。その背中がなぜか私には寂しそうに見える。それは私がそう思っていてほしいという、ただの願望なのかもしれない。

「あ、ここにいた」

私は声をかける。いつも通りにできているだろうか。

「何でここにいるの?体験入部ってそんなに早く終わるんだ。」

君は少し驚いたように振り返り、私を見る。私はいつも通りのこんな君との時間が嬉しくて、小さく笑う。そして、できるだけ自慢げに君に言う。

「部活入るのやめた。毎日一人は嫌でしょ?」

感謝しなさい。というように。

「遥君は寂しがりやだからね。」

これは、きっと自分に向けた言葉。私は、寂しがり屋だから。部活よりも、放課後のこんな日常のほうが大切で、君とは少しでもたくさんの時間を過ごしたくて。

「ふっ、そうだね」

君のその笑顔は、私をとても安心させる。


「やっとテスト終わったー!」

鐘がなり、号令がかかる。そして終わると同時に教室が一気に騒がしくなる。長かったテスト期間。これが終われば次に待っているのは修学旅行という特大イベント。

「遥君!修学旅行だよ、修学旅行!どうする?どこ行く?」

私はワクワク詰め込んだようなテンションで遥君のもとへ走る。すると君は、いつにもまして大人びた声色で、

「ごめん。僕修学旅行いけないんだ。ちょっと事情で。」

といった。こういった隠し事が増えるたびに、君は何を抱えているのか知りたくなる。まあそっちが教えてくれないのなら、私はしつこく君のそばにいてあげる。

「じゃあ、私も行かない。」

そう言うと君は驚き、少しうれしそうに笑って、まったく、と呟いた。

「駄目だ。僕は興味がないわけじゃない。ちゃんと行って、僕の分も楽しんで、たくさん写真を見せて。君がいかなきゃ誰が何も知らない僕に話を聞かせてくれるんだ。」

そう言って背中をとんっと押された。

「でもっ、、」

「さ、早く帰ろ」

本人にそんなこと言われたら、行くしかないじゃないか。しょうがない。溢れるほどのお土産を持って帰ってきてやる。そうして、遥君のいない三泊四日の修学旅行が始まった。


そんな修学旅行が終わって休みを挟み、初めての登校日。私の手にはたくさんのお土産が積まれている。本当ならすぐに渡しに行きたかったけど、遥君は家を教えてくれないし、来るなとも言われていたので仕方なく学校で渡すことにした。本当はこんなに買うつもりではなかったが、色々見ながら遥君のことを考えていると、これ好きそうだなとか、似合うだろうなとか、見せたらどんな反応するんだろうとか、見れば見るほど欲しいものができてしまう。

「あ、遥君!久しぶり」

私は校門へ歩く君を見つけ、走り出す。

「久しぶり。修学旅行はどうだった?」

そう言って私を見た君は驚いたように私の手元に視線を移す。

「これお土産。言った通りちゃんと私の話、存分に聞いてね」

それから持っていた箱をすべて渡す。

「ありがとう。なんか、食べ物多いね。」

そう言ってくすっと笑うと、

「食べたくて買ったんだろ?放課後屋上で一緒に食べよう。」

どうして君は、こんなにも私の心を見透かしてしまうのか。君には私が、どう映っているのだろうか。私には君が輝いて見える。君は私に、ずっと輝きを見せ続けてくれるだろうか。


「第四十五回卒業生、起立」

静かな体育館に、校長先生の聞きなれた声が響く。私はこの広い体育館を見渡し、少し上を見る。周りからかすかな鼻をすする声が聞こえる。あぁ、泣いてしまいそう。私、こういうのあんまり泣かないほうだと思っていたのにな。

「疲れたー!校長先生の話長いんだもん。そういえば、毎年見ているけどここの桜の木、おっきいねー」

卒業式が終わり、校門にできた人だかりの中で私は遥君のそばへ歩いていく。今にも溢れそうな涙を隠して。だって遥君、全く泣かないから。私は負けず嫌いなの。君に弱いところは見せたくない。そんな意地を張って、笑顔を見せる。

「素直じゃないなぁ。無理するのは君らしくない。」

そう言って君が差し出したのは、ハンカチだった。

「この桜の木も、校長先生の長い話も、放課後君と行く屋上も、もう最後なんだ。最後くらい泣いてもいいんじゃない?」

優しい声で、遥君はそう言った。あーもう、なんで今そんなこと言うのかな。せっかく我慢していたのに。見せたくなかったのに。泣いたら思い出しちゃうから。この中学校のいろんなこと。

「ずるいなー、遥くんは。そんなこといつも言わないくせに。」

楽しかったな。授業も、放課後も、ただの休み時間も。賑やかな教室も、修学旅行も、遥君と食べるお昼のお弁当も。高校でもできる。そう言われてしまえばそうだけど。でも違う。高校とは違う、この中学校での思い出。高校は楽しみだ。また大人になれる気がするから。もっと自由な自分になれる気がするから。でも、中学校で過ごした子供な自分も、嫌いじゃなかったな。遥君、ありがとう。ずっと私のそばにいてくれて。ずっと私に付き合ってくれて。子供な自分を好きになれたのも、きっと遥君のおかげだ。あとは、そうだなー

「これからも、よろしく遥君!」


大きな正門の前。私たちは今日から高校生になる。全力で努力して、努力して、私の中学三年生の一年を費やして手に入れたこの制服。やっと手に入れたこの高校。大きくきれいな校舎にワクワクが止まらなかった。なぜそこまでしてこの高校に入りたかったのかというと、

「まさか君が同じ高校に来るなんて思ってなかったな」

君と同じ高校へ入学するためだった。遥君は昔から頭がよかった。だからずっと高校で別れてしまうことはわかっていたし、最初から諦めていた。でもいざ将来について考えた時に君がいない高校生活は考えられなくて、だめもとで勉強に時間を費やしてきた。

「舐めないでほしいわね。私だってこれくらい余裕だったんだから」

遥君のために努力したことを言う気は無い。だからこれまでの努力を言葉に詰め込んだように、私は誇らしげに言った。


ある日の朝、いつも通り君にあいさつすると、君はビクッと肩を上げて驚いたようにこちらを見た。

「あ、お、おはよ、、」

何処か緊張しているようにたどたどしく挨拶を返されて、私は不思議に思う。

「どうしたの?大丈夫?」

私が聞くと、ごめん、大丈夫大丈夫。と言って自分の席へ慌てるように歩いて行ってしまった。私、何かしただろうか。

その日の遥君は、何を話してもどこかいつもと違う出会いたてのような話し方で、時々何か考え事をしているかのようにどこかを見つめている。なんなのだ、今日の遥君は。

授業中。明らかにおかしい遥君の挙動について思考を回す。だがどれだけ考えてもいつもと変わらない日常しか思い出すことができない。なら個人的な事情だろうか。私が聞かないほうがいいものなのだろうか。でも悪いことじゃない気がして。まあどれだけ考えても分からないなら考えても仕方がないな。とか考えていたら先生にあてられて。今日は遥君とそろって上の空だ。

その日の放課後、私よりも先に屋上に上がっていった君の背中を追いながら重い扉を開ける。そこにはいつも通りの景色と、いつも通りじゃない君の後ろ姿。

「今日も気持ちいいね。でも暑くなってきたなー」

私が横から声をかけると、君はまたビクッと驚く。

「なんだ。来てたんだ」

「気づいてなかったの?考え事?」

考え事をしているなんてわかりきっているけれど、もしかしたら教えてくれるかも、なんて思いながら首を傾げる。それから、君の視線の先に目を移す。そこには大きな桜の木。

「桜の木?中学校のもきれいだったけど、ここのもきれいだよね」

そう言っても君からの返事はなくて、風の流れる音が二人の間に沈黙を作る。

「あの、誕生日、おめでとう」

そんな空気を破って、君がまた片言に私に何か差し出す。

「え、いいの!?」

そこを見ると、綺麗にラッピングされた小さな箱に、『happy birthday』と書かれた小さな紙。私はこれを見るまで自分が誕生日だということさえ忘れていたのに。

「うん。あの、中身は家で開けてくれる?」

君は少し視線をそらし、小さくそう言った。

「、、、?わかった。ありがとう!」

そっか。君はこれを一つ渡すだけであんなにも緊張して、きっとずっとこのことを考えていたんだろうな。なんか、嬉しいな。ていうか、誕生日覚えていてくれたんだ。

なんだか、今日の出来事がすべて嬉しいことのように思えてきて、私は大切に小さなその箱を握りしめた。


家に帰り、綺麗なリボンの端を引く。その箱を開けると、中からは色鮮やかで、でも落ち着きのある色合いのイヤリング。それは桜の花びらの形をしていて、まるで今までの思い出が詰まっているような、そんな気がした。私たちにとって桜は、新しいことに踏み出す時にそばにいる、何か大切なものなのかもしれない。私はすぐに諦めてしまうかもしれない。でも、それでも新しいことを始めるのは悪いことではないと思える。また、私らしい私を作っていく。

「ありがとう。遥君」


春休みに入り、気温も随分と温かくなってきた頃。私は窓際のベッドの上で携帯をいじりながら、うとうとと日差しを浴びていた。もう高校へ入って一年が終わり、私たちは二年生へと上がる。早いなあ。でも楽しくて、充実した一年だったな。

「そっか、クラス替えだ」

私ははっと呟く。なんだかあまり考えていなかった。君とは腐れ縁っていうのかな。別に嫌ではなかったけれど、むしろ嬉しかったけれど、今までほとんど同じクラスだったから。次も当たり前かのように同じクラスだと思い込んでいた。でもそっか。もう離れてしまうかもしれない。そんなことを考えながら、私は瞼を閉じた。


「離れたね、クラス。久しぶりに」

新学期の朝、張り出された大きな紙を見つめて、君がつぶやく。本当に離れちゃった。いや、今まで一緒だったことが奇跡だったんだな。遥君が教室にいない、そう考えると少し、いや、結構寂しい。君も同じ気持ちだったり、、なんて思いながら横を見る。そこにはいつもと変わらない表情で紙を見つめる君。まったく、わからない奴だな、ほんとに。大人びているのか不器用なのか。まあでも、君らしい。


「今日は早いね。新しいクラスはどうだった?」

いつもの屋上で遥君を待っていると、後ろから声がした。私は笑顔で振り返り、君に言う。

「明るそうなクラスだったよ。いい子たちばかりだった。まああとは遥君がいれば完璧だったかな」

やっぱり君の隣が、私の一番好きな場所。


いつもの制服を着、マフラーをかけて受験票を持つ。靴を履き、寒い外へつながる扉に手をかける。

「行ってきます」

玄関まで見送りに来てくれた母親に背中を押され、少し手に力が入る。

「大丈夫。やりきってきなさい」

いつもの優しい声に、少し緊張がほぐれる。大丈夫。今まで努力してきたから。大丈夫。

私は外へ、一歩踏み出した。


「遥君!卒業おめでとう。」

時間は過ぎ、いよいよやって来た卒業の日。私は遥君に駆け寄り、声をかける。

「君もおめでとう。今年はハンカチ、いらない?」

君は少し笑いながら私にハンカチを渡すふりをする。そういえばあったね、そんなことも。でももう大丈夫。弱い私はもう見せない。君には全力で強く、綺麗に見せてやる。

「大丈夫、もう決めたの。私もう遥君の前では二度と泣かない。覚えておきなさい。あの日の涙は貴重だったわよ!」

目一杯元気に、いつもの私で。ありのままを見せられるのは、君だけなのだから。

それからふと思い出したように言う。

「あ、あと言ってなかったね。大学受験、合格おめでとう。もうお互い大学生か、早いなあ。」

初めて出会った日からもう十二年。とても楽しくて、新しいことばかりで、思い出には君がたくさん詰まっていて。でもそんな日々ももう、今日で最後。でもまだ、君との関係を終わらせる気はない。会えなくなるわけじゃない。絶対また、会いに行くから。


『じゃあまた、楽しい大学生活を』


それから二年ほど。大学生活は順調に進んでいる。でも、自分の決意はまだ果たせていない。絶対に会いに行く。そう意気込んだのはいいものの、お互い忙しくなかなか機会を作ることができない。それでも君にたまにかける電話で声が聞ける、それだけで私は嬉しくなれる。君のことを幾らでも思い出すことができる。そんな君から、今日私に話があるらしい。

家を出る少し前、最後まで悩んだ末思い切ってあるイヤリングを手に取った。でもつけていくことを本人に知られるのは少し恥ずかしくて、隠れるように髪を下ろす。

「それじゃあ、行ってきます」


「久しぶり。会うのは卒業ぶりだ。」

とても、とても久しぶりに聞こえてくる、直接届く君の声。

「久しぶり。綺麗な並木道だね。こんなところあったんだ。」

私は嬉しさが表情に出てしまいそうで、周りの綺麗に色づいた木を見渡す。やっと会えた。また君に。やっと聞けた。君の声。やっと見られた。君の姿。

「今日は、君に話したいことがあって。」

遥君が口を開く。私は君に会えたことが嬉しくて、どんなことでも、今なら受け止められる。そう思っていた。君となら、ずっとずっと進むことができる。そう感じた。

数十秒、君は少し黙り、それから口を開く。


『僕、結婚するんだ』


体の、動きが止まる。

「え、あ、そうなんだ。、、どんな人?」

戸惑ったような声が出てしまう。少しかすれる声で、言葉を絞り出す。

「上品で、優しそうな人。半年くらい前かな。お見合いで。」

そっか。そうなんだ。きっと君に、お似合いな人。きっと、きっと君の隣が似合う人。

「何で、言ってくれなかったの?」

君は少し下を見て、また顔を上げて、私を見る。私の胸は、締め付けられたように痛くなる。

―「遥君は寂しがり屋だからね」―


「君は、寂しがりやだから」


いつか私が、君に言った言葉。

私の目に、涙があふれてくる。駄目だ。君が幸せになろうとしているのに。君の前では、強い私でいると言ったのに。この涙は、私の自分勝手な涙。見せてはいけない涙だ。

「そっか。話したいことってこれだけ?、、、それじゃあ、会えてよかった。」

私は下を向き、震える声がばれないよう暗く言う。早く君の前から姿を消したくて。こんな私を見せたくなくて。「行かないで」なんて言葉を言ってしまいそうで。歯をかみしめる。

「それだけ?何も言ってくれないの?」

背中から聞こえてくる優しい声。やめて、もう行かせて。もう聞かせないで。私の大好きなその声を。私はきっともう、離れなきゃいけない。


『もう、飽きたから。』


知ってるでしょ?私の悪い癖。できる限りの冷たい声で、こんな嘘をつく。君に飽きたことなんて、一度もなかったよ。

君からの返事は聞こえてこなかった。私はまた歩き出す。君に背を向けて。それから一度、振り返る。その時にはもう、君も私に背を向けていて。ああ、ほんとに行ってしまうんだ。もう、私を振り返り、笑顔を見せてくれることはない。きっとその笑顔は、私じゃない誰かに向けられる。

あぁ、結局君は、私に何も話してはくれなかったね。君のすべてを知ることはできなかった。私は、君が信用できる存在になることはできなかった。

私は、耳に着けていた桜に触れる。

やっぱり、飽きてしまえればよかったのかもしれない。諦めてしまえばよかった。もっと前にいつも通り諦めてしまえば、こんなにも涙を流すことなんてなかったのに。桜を見るだけで胸が苦しくなることはなかったのに。やっぱり皆私を置いていく。私を独りにする。

「ああっ、、!」

もう相手は離れて行ってしまったのに。もっと早くに、離れてしまえば良かったと思っているのに。今になってもまだ、私は君を諦められない。君にだけは飽きることができない。でももう、きっとどうすることもできないから。

「ねぇ、遥君、、、」

君の行動には怒っている。こんなにも私を夢中にさせて、捨ててしまうんだから。酷いと思っている。一番わかってほしい私の気持ちをわかっていないんだから。それでも、私は君の幸せを願っている。願って、しまう。私たちは、互いに背を向けた。

「さようなら」

私が愛した、十四年。

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