クリスタルピアノ
@Tarnu
第1曲 「教会のピアノ」
「我ながらここまでよくやったと思う」
寒空の下、白いため息と共にそんな言葉が頭に浮かんだ。
話は今日の朝に戻る、『第百回全日本ピアノコンクール』家族や友人の期待を背に俺はこの大会に向かった。
俺は薬寺奏、ピアノ以外これといった取り柄もない高校生だ。ピアノが取り柄、と言っても音楽家の両親の過度な期待と教育によって取り柄になってしまった望んでいないものだ。それはそうと俺には親譲りの才能があったらしい、同年代のピアニストに負けることはなかったし、大会やコンテストでも次々と結果を残していった。
両親が喜んでいるのを見ると安心するし、周囲に誉められる高揚感もあった、小さい頃はそれだけで続けられていた、最近は、プレッシャーや焦り、結果に気を取られ、ピアノを楽しいと感じてもいないし、やりがいもない、ピアノを弾く機械みたいなものだ。
話は戻るが今日は全日本ピアノコンクールだ、記念すべき第百回大会ということもあり、例年より幾分会場が大きく見えた。
思えばもうこの時から、異変はあったのかもしれない。俺の演奏順は1番目、名前を呼ばれ、舞台上に出た、ここまではいつも通りだった。
演奏を始めてしばらく、異変が始まった。やけに目がチカチカする、緊張、体調不良、不穏な言葉が頭をぐるぐる回っているが指はかろうじて動いていた。
刹那、俺は大きく音を外した、
「終わりだ」
そう思った、指がうまく回らなかった、そこからの演奏は聞くに耐えない酷いものだった、とにかくもう終わりたいとしか思っていなかったと思う、親の失望する顔やライバルの嘲笑、優しい友人の心配する顔すら敵に思えた。
演奏が終わり、俺は逃げるように会場を出た、結果など聞かずともわかる。着替えも済まさず走って外へ向かった、外は冬だ、さっきまで感じていた嫌な冷たさとは違う確かな冬の寒さが全身を覆う、はあっと息を吐くと目の前が白くなる、あぁ
-我ながらここまでよくやったと思う-
午後3時を回った橋の上で、冷たい涙が流れていた。
ふと後ろから声がしたので振り返ってみると、数少ない友人の2人が息を切らせて走ってきた。
いかにもモテそうな雰囲気の男が琴谷祐希、優しそうでこれまたモテそうな女が笛口晴香だ。2人とも気まずそうにしていたが、まず琴谷が口を開いた
「大丈夫かよ!コンクールは、その、残念な結果だったけど、全部が終わったわけじゃねぇって!」
少しぎこちない表情をしながらそう言った。
すると笛口も続いて
「そうだよ!ミスなんて誰にだってあるんだから大丈夫!私もこの前のテスト、散々だったもん!」
優しい2人のことだ、精一杯気を遣って慰めてくれているんだろう、しかしこういう心境の時の慰めはどんな罵詈雑言より心に刺さるのだ。
「2人とも、、ありがとう、もう落ち着いたから大丈夫だよ、」
無論落ち着いてなどいないがせっかくの2人の優しさを貶すわけにももちろんいかず、乾いた声で返事をした。
「大丈夫なわけあるか!そもそもお前は今まで頑張りすぎだ、一旦落ち着くのがいいんじゃないのか!?」
確かにその通りだが、第三者である琴谷に過去をとやかく言われるのはすこし引っかかった。
「心配してくれてありがとう、俺がやりたくて頑張ってきたんだからそれでよかったんだよ。」
自分は簡単に返したつもりだったが思っていたより感情が乗っていたらしい、琴谷は少しハッとしていた。
「2人とも落ち着いて!奏くんも疲れてるんだからゆっくり話そ?」
まるで俺たちが口喧嘩でもしてたかのような言い方だ。しかし、2人と話しているうちに落ち着きは取り戻せた。
「本当に大丈夫だよ、2人ともありがとう、今日は帰って寝るよ、じゃあな。」
二人はまだ何か言いたげではあったが生憎、心身ともに疲労があるのも事実だ、2人に挨拶し、帰路についた。
朝、あれからコンクールの結果を聞いた、当然だが俺の入賞はなく、昨年準優勝した人が今年は金賞を獲得したらしい。「俺のおかげだから感謝しろ」なんて冗談も浮かんだ。
横を見るといつも弾いているピアノが当然今日も置いてある。職業病とでも言うのだろうか、あんな目にあっておいて、そこにピアノと椅子があれば座ってしまうのだ、両の手を鍵盤に置いた。
おかしい、職業病とは言ったが、それは病気のことじゃない、しかし背中を嫌な汗が伝い始めた。鍵盤を押してみようとするが押せない、なんだかこの白黒の物体が恐ろしくて仕方がないのだ、俺はこの日を境にピアノが弾けなくなった。
前日に友人と話し、楽になり、絶望は乗り越えたと思っていたが、絶望というものはこうも立て続けに来るものなのか。
先ほども言ったが俺にはピアノ以外の取り柄がない。両親にとってピアノがない俺はただの木偶の坊であって人間ではないのかもしれない。
ピアノが弾けないと知った途端両親の顔はまさに絶望といった様子で青白くなった、その後態度は変わり、両親は氷のように冷たくなった、無視されることさえあった。俺の人生は途絶えた。
自殺でもしてみようかと思ったが俺にはそんな勇気も持ち合わせていなかったため外に出て散歩をすることにした。
ドアを開けたらいつもより街の色が下がって見えた、ふらふらと歩いていると、いつの間にか教会のような場所の前に来ていた。
「人間の親がダメなら、神にでも祈ってみるか。」
そんな軽い気分で教会に入ると、ガラスの美しいピアノが置いてあった。氷のように美しいガラスは、教会に差し込む光を反射し美しく輝いている。
「弾いてみ…」
ここで言葉が詰まった、最近は、ピアノを前にすると背中に亡者が群がっているような気分になるのだ。
しかし目の前の美しさに抗えず、思わず椅子に座った、ガラスでできた、これまた美しい椅子だ。
フッと心が楽になった。
「弾ける…」
そう思い鍵盤をゆっくり叩き始めた。
丁寧に丁寧に響く音は震えるほど美しいものだった。しばらくしてハッとした、自分は無意識にコンクールと同じ曲を弾いていた、もうすぐあの箇所が来るのだ。
瞬間、目の前の景色が加速するように見えた。眩い光と共に意識が遠くなっていった。
目が覚めると草の匂いと健やかな風が吹いていた。
「…はっ?」
脳と眼球そして全身で状況の異端、異常さを把握した、そこは今までいた美しき教会ではなく、緑の輝く広大な自然だった。
「…えっ?」
「はっ」だとか「えっ」だとかそんな言葉しか出てこない。全くもって意味がわからない状況に俺は困惑していた。
「俺は、教会でピアノ弾いてて、それでっ目の前がおかしくなって…」
状況を整理しようとするが整理のしようもなく、座っていても仕方がないので周囲を歩いてみることにした。
困惑していたが美しい自然であることには違いはないだろう。花も咲いているし、草木も踊っている。ふと上空を見ると空を照らす橋が二つあった。何かがおかしい。
「太陽が2つっ!?」
ここは日本のどこか、あるいは世界のどこかと心配していたのだが、どうやらここは地球ですらないらしい、
「いよいよまずくなってきたぞ、、ここが地球でないとするなら、もうわけがわからなすぎる、、人間はいるのか!?なんでこんな場所に突然飛ばされたんだ!?そもそもここはどこだ!?」
当然のことだが疑問が次々に浮かぶ。すると、バサバサと大きな羽音が鳴る、嫌な予感がした。
「ゴギャァァァァ!!」
眼前に巨大な生き物が現れた、それだけでも恐ろしいのに、大きな翼、恐竜のような風貌、口から見せる火の粉、それは明らかにドラゴンだった。
「嘘だろ…」
呆然とはまさにこのことだった人は訳のわからないスケールの危機に侵されると完全に思考が停止するらしい。
「グガァァァァァ!!!」
謎のドラゴンは吠える
「やべぇ!逃げないと!!」
自分は運動は苦手な方だ、しかし自己最速のダッシュができたと思う、それをゆうに超えるスピードのドラゴンがいなければただの健康的な男子高校生だった。
「グゴァァァァ!!」
轟音と共に炎が撒かれた。
「終わった。」
あの日以来、あの日以上の終わりを確信した。サークル状に火を吹かれ、逃げ道はなし、銃などの近代武器も当然なし、いや仮に護身用のハンドガンでも握っていたってこのドラゴンには勝てやしない。
そう思った瞬間身体中の血管が熱くなった。恐怖のあまり体がおかしくなったのか?
違う、何かが起ころうとしてるのを察知して、ドラゴンから離れた。
瞬間、目の前に光の鍵盤が現れた。今日何回目かのサプライズだ、驚きすぎて、これも敵かとビクビクしてしまうが、違う。ピアノはいつだって味方だと信じて生きてきた。
「弾けってことか…?」
今思えばそう判断できた俺は、かなり冷静だったのかもしれない。それか、相当おかしくなっていたかだ。
「くそっ!!こうなったらもう弾くしか!」
何はともあれ危機は危機、信じられるものは目の前にある鍵盤のみ、意を決して演奏を始めた。
同時にドラゴンが大きな音と光と共に火を吹いた、先程より火力が高い気がした。炎により目の前が真っ赤に染まる。
「終わった。」
人生でここまで終わる人間も珍しいだろう。しかし演奏する手は止めなかった。死ぬ最後までピアニストでいたかったのかもしれない。
しかし死ぬことはなかった。目の前に青白い炎が出現し、ドラゴンの火を消し飛ばしたのだ。
「何が起きた!?変な色の火が出てきて、それから、、」
困惑している間にドラゴンの追撃が来る、兎にも角にも俺には弾き続ける選択肢しかない。
「ギャオォォォ!!」
今度はこちらの炎があの巨体に完璧に当たった。なかなか長期戦で弾く手が疲れてきた。
「くそ、攻撃は当たったがいまいちダメージが感じられないな…」
ドラゴンがまた予備動作に入った、大きな炎を吐いてきそうだ。
「ギャオォォォォォ!!!」
「きたっ!!炎、出ろっ!!」
演奏に力が入る。すると、大きな炎の渦が現れた、その構図は、ドラゴンと自分の炎とでぶつかり合うようになった。
「うおぉぉぉぉぉ!!こんなとこ飛ばされていきなり出てきたドラゴンに殺されるなんて最悪だ!!」
「ガウォォォォ!!!!」
徐々に炎の色は青白いものが多くなっている。その直後、凄まじい、まさに爆音といった音と共に、ドラゴンの口元まで達していた炎が爆破した。
「やった、のか?あの化け物を、倒した?」
喜びも束の間、やはりことの異常性に目を向けてしまう。
「なんなんだよここは!?なんだあのドラゴンは!どうして勝てたんだ!そもそもなんだあの鍵盤も炎も!」
気づけば光の鍵盤は消えていた。
「そんなことより、、もう、疲れた、、」
戦った疲労、勝利した達成感、異質な状況、さまざまなことが起きすぎて、気づいたら倒れるように寝ていた。
疑問だらけの俺の1日はここで終わった。《ルビを入力…》
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