問題空間
怪層
01:傘の惑星
最初は酸の雨だった。
灰色の厚い雲から降り注ぐ強烈な酸性の雨滴は、初期の生命体たちを容赦なく溶かしていった。地表の岩盤さえも刻々と侵食されていく中で、生命は適応の道を選んだ。第一世代の傘生物は、背中に硬質の円盤状の組織を発達させた。それは最初、小さな突起にすぎなかった。しかし世代を重ねるごとに、より広く、より強靭な形へと進化していった。これが、私たちの惑星の歴史が「傘の時代」と呼ばれる始まりだった。
初期の傘生物たちは群れで生活していた。個体それぞれの持つ円盤状組織を寄せ合い、重なり合って生活圏を作る。その様は、地表に展開された盾の要塞のようだった。彼らは酸に溶けない藻類を傘の表面で培養することを学び、それを食料とした。やがて、群れの中での役割分化が始まった。外周で強い酸の雨を受け止める「辺縁傘」、内側で藻類栽培を担う「培養傘」、群れの移動時に先導する「探索傘」。これが、後の高度な社会性の基礎となった。
時が経つにつれ、降ってくるものは変化した。酸の雨は、徐々に金属の雨へと変わっていった。
灼熱の惑星核から噴き出した液体金属が上層大気で凝固と融解を繰り返し、キラキラと輝く金属片となって降り注ぐ。純粋な金は柔らかく、それほどの脅威ではなかった。だが、硬質の合金となって降り注ぐ雨は、時として傘生物たちの防御組織を貫いた。多くの群れが消えていく中、新たな適応が始まった。
傘生物たちは、より強靭な遮蔽組織を進化させただけではない。金属の雨を受け止めるだけでなく、それを取り込んで自らの傘を強化することを学んだものたちが生き残った。彼らは降り注ぐ金属を選別し、特定の金属だけを傘の組織に組み込む技術を獲得した。やがて、金属の種類によって専門化した異なる種が現れ始めた。
銅を好む「赤傘族」は、電気を通す組織を発達させ、群れ同士でシグナルを送れるようになった。チタンを取り込む「銀傘族」は、圧倒的な強度を誇る傘を持つようになった。そして、様々な金属を柔軟に取り込める「雑傘族」は、環境への適応力を強みとした。
私たちの祖先が知性を得たのは、「光の雨」の時代だった。
それは突然始まった。誰も予期していなかった、美しく、そして致死的な現象。上層大気で発生した光子の結晶が、まるで雪のように降り注ぎ始めたのだ。触れるものを即座に燃やし尽くす純粋なエネルギーの結晶に対し、多くの種が絶滅の危機に瀕した。生き残ったのは、反射性の金属を傘に蓄積していた個体たちだった。特に、私たちの直接の祖先である「鏡傘族」は、複数の金属を層状に重ねた完璧な反射傘を持っていた。
しかし、単純な反射だけでは生き残れない状況が訪れた。光の結晶は、時として予測不能なパターンで降り注ぐようになった。このとき、「鏡傘族」の中である個体が重要な発見をした。傘の角度を微妙に調整することで、光の結晶を特定の方向に反射できるということを。
この発見は瞬く間に群れ全体に広がった。個体それぞれが反射角を調整し、光を集中させることで、岩盤を溶かして地下の居住空間を作り出すことに成功した。さらに、光の結晶を貯蔵する技術も開発された。これが私たちの文明の基礎となった。
現在、私たちは地下都市で暮らしている。地上には巨大な反射傘群が林立し、降り注ぐ光の結晶を制御している。都市の中心には光結晶の貯蔵庫があり、私たちはそのエネルギーを利用して文明を発展させている。
しかし、新たな変化の予兆を感じる者もいる。
上層大気の観測データによると、光の結晶の性質が徐々に変化しているという。より強力に、より不安定に、そしてより予測困難になっているのだ。惑星気象研究所の同僚たちと議論するたび、私は不思議な高揚感を覚える。私たちは新たな適応を迫られているのかもしれない。
研究室の窓から外を見上げる。透明な天井越しに見える地上の風景は、無数の巨大傘が織りなす幾何学模様に覆われている。その一枚一枚が、私たちの過去を記録し、現在を生き、そして未来を予感している。
地上観測センサーがアラートを発する。光結晶の波長が未観測の領域に達した。私は自分の傘を広げ、新たな適応への準備を始める。
私たちの惑星の物語は、まだ続いている。
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