第23話

 翌朝、開店間もない時間にドアベルが鳴った。


 真理が驚いてエントランスを見ると、血相を変えたスーツ姿の男性が立っていた。


「真理! 結婚するというのは本当か!」


「お父さん……」


 男性――和夫がつかつかとカウンターに近寄り、両手をテーブルに叩きつけた。


「貴様か! 真理をかっさらおうとしてるのは!」


 拓海は微笑みながら直立し、お辞儀をする。


「千石拓海と申します。

 この店の店主を務めています」


「オーナーとかいう奴はどこだ!

 敦子の説明じゃ、要領を得ん!

 会って話をさせろ!」


 拓海がスマホを取り出し、画面をタップしていく。


「――あ、オーナー?

 今、真理のお父さんが――わかりました」


 スマホをしまった拓海が和夫に告げる。


「なるだけ早くこちらに来るそうです。

 それまで、店内で時間をつぶしておいてください」


 和夫の後ろにいる敦子が、夫を宥めていた。


 真理が両親を席に案内し、カウンターにオーダーを告げる。


「ブレンド二つだって」


「了解。真理はご両親のそばにいてあげて」


 拓海がコーヒーを淹れ始めるのを見ながら、真理は両親のテーブルに移動した。





****


 気まずい沈黙が支配する和夫のテーブルに、拓海がコーヒーを運んでくる。


「ブレンドです、どうぞ。

 ――真理はマンデリンでいいよね」


 うなずく真理が、コーヒーを受け取った。


 店外の立て看板を回収した拓海が、自分のコーヒーを持ってテーブルに戻ってくる。


 コーヒーをテーブルに置いた拓海が、直立で告げる。


「改めまして、千石拓海です。

 本来は僕からご挨拶に伺うべきなんですが。

 ――お嬢さんを僕に頂きたい。その許可をください」


 和夫が感情的な声で応える。


「今にも潰れそうな店の店主になど、娘をやれるか!」


 拓海がニコリと微笑んで応える。


「貯金はあります。

 技術も持っています。

 店が潰れたら、再出発すれば済むだけですよ」


「男なら『店を死んでも守って見せる』とは言えんのか!」


「僕は父の味を受け継げれば、場所に拘る気が無いので。

 オーナーの意向で、この店で味を守ってるだけです」


 顔をしかめた和夫が、辰巳に告げる。


「真理のどこに惚れた?! 言ってみろ!」


 辰巳が微笑みながら応える。


「すべてですね。

 ありとあらゆるところで魅了されています。

 もう僕には、真理以外考えられません」


 真理は真っ赤な顔を両手で覆い隠していた。


 二人きりならまだしも、両親に対しても平然と言ってのける拓海。


 ――これは、かなり恥ずかしいんだけど?!


 飄々と応える拓海に、イラついた和夫が告げる。


「遊んでるんじゃないのか?!

 真理も遊び相手の一人と思ってないか?!」


「心外ですね。

 僕は遊びで女性と付き合ったことなんて、ありませんよ?」


 敦子がたまらず和夫を止めにかかる。


「あなた! 少し抑えて!

 真理の恋人に、あまり失礼なことはやめてあげて」


 鼻息を荒くした和夫が、大きく深呼吸をして告げる。


「……いいだろう。オーナーが来るまでは我慢してやる」


 コーヒーを一口飲んだ和夫が、驚いて告げる。


「これは……自家焙煎か。

 しかもオリジナルブレンド?

 豆の比率はどうなってる」


 拓海が椅子に座ってから応える。


「それは父から受け継いだ秘伝なので、お教えできません。

 ですが一口で見抜くとは、中々のコーヒー通ですね」


「――フン! 若造が生意気を!

 この店の軽食は何がある!」


「朝食を食べてらっしゃらないんですね。

 それならナポリタンがお勧めですよ。

 もちろん、当店自慢の品です」


「……それでいい。出せ」


「はい、ただいま」


 拓海が席を立ち、厨房に向かった。


 真理はハラハラしながら、和夫と拓海のやりとりを見守っていた。


「お父さん、そんなに興奮すると血圧上がるわよ?」


「お前の人生の岐路だぞ?!

 心配にならんわけがあるか!」


 ――大事に思ってくれてるんだ。


 真理は苦笑を浮かべながら、コーヒーを口にした。





****


 和夫が黙ってナポリタンを食べていると、ドアベルが鳴った。


 姿を見せた優美が、静かに和夫のテーブルに近づいて行く。


「どれ、儂を呼び出させた男は誰じゃ?」


 真理が立ち上がって告げる。


「オーナー、ごめんなさい。御足労をかけて」


「気にするでない――で、それが件の男か」


 優美に気付く様子もなく、和夫はナポリタンを食べていた。


 敦子は不思議そうに和夫に語りかける。


「あなた、オーナーが来たわよ?」


 和夫が顔を上げて辺りを見回した。


「どこだ? どこにオーナーが居る?」


 ふぅ、と優美がため息をついた。


「やはり『あやかし』は見えんか。

 これは少し面倒じゃのう」


 拓海が優美のコーヒーとケーキを用意し、隣の席に置いた。


 優美はそこに座り、コーヒーを口にしてからケーキにフォークを入れていく。


 きょとんとした和夫が、拓海に尋ねる。


「なんだ? 誰もいない席に料理を置いて、何をしたい?」


 拓海が苦笑をしながら告げる。


「まぁ、見ててください。隣のテーブルを」


 優美がケーキを食べ進め、コーヒーを飲んでいく。


 だんだんと和夫が困惑していった。


「なんだ? なぜコーヒーが減る?

 なぜケーキが欠けていく?」


 ――ああ、オーナーが見えないと、そういう風に見えるのか。


「お父さん、隣の席でオーナーがケーキを食べてるだけよ。

 オーナーを見えないお父さんには、勝手に料理が減って見えるだけ」


 眉をひそめている和夫を見ながら、優美が告げる。


「ふむ……真理よ、儂の言葉を父親に伝えてやれ。

 ――疑問があれば応えてやろう。好きに聞くが良い」


 真理が言葉を伝えると、和夫が困惑しながら尋ねる。


「なぜこの店を守るんだ。

 繁盛していないと聞いたが」


「そんなことか? 『趣味』じゃ。

 儂は泰介の味が好きでな。

 それを拓海が受け継ぐなら、その間は店を守ってやる」


 真理が伝える言葉で、和夫が眉をひそめた。


「趣味で赤字経営の店を維持だと?

 どの程度の資産があるんだ?」


 優美がため息をついて告げる。


「無粋な男じゃのお。

 額など覚えておらんわ。

 儂の手にかかれば、富などいくらでも転がり込む。

 金に困る事など、ありはせんよ」


 真理が言葉を伝え、和夫が悩み始めた。


「……帳簿を見せてもらえないか」


「断る。部外者に見せる物ではあるまい。

 おんしもその程度の常識は持っておろうが」


 真理がおずおずと告げた言葉で、和夫が黙り込んだ。


 拓海が和夫に告げる。


「僕の預金残高で良ければ、お見せできますよ」


「……見せてみろ」


 拓海がスマホをタップし、口座の残高を和夫に見せた。


「――馬鹿か貴様! この金額を遊ばせてるのか?!」


 拓海が困ったような笑みで応える。


「資産運用とか、興味がないので」


「……俺が今度、教えてやる。

 そんな意識で、満足な老後を送れると思うなよ」


 拓海がニコリと微笑んでうなずいた。


「ええ、では御指南受けいたします」


 二人の様子を横目で見ていた優美がニンマリと微笑んだ。



 和夫と敦子が店から去ったあと、真理はカウンター席で潰れていた。


「疲れたわ……お父さんったらテンション高いんだもの」


 拓海が新しいコーヒーを真理に出しながら告げる。


「愛する娘が嫁ぐなら、しょうがないんじゃない?」


 真理はコーヒーを一口飲んで一息ついた。


 優美が真理の背後で微笑んで告げる。


「これで障害は取り除いたな?

 あとは式の日取りを決めるだけじゃ。

 いつが良いかのう? 待ち遠しいのう」


 真理は優美のマイペースさにあきれ、ため息をついた。

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