第四話 父と子の溝

 白亜の大屋敷に戻ると、父が主催する夜会の喧噪が聞こえてきた。テルは

裏庭の守衛に目配せしてそっと忍び込み、芝生を突っ切って渡ろうとしたが…………。

「ほう、さすが私の子だ。こんな時間に帰ってくるとは、不良め」

 応接室のバルコニーから、ロドヴィコの声が降ってきた。来賓たちの笑い声を背に、父は葡萄酒を片手に優雅に手すりに寄りかかっている。ワイングラスがその手の中でくるくる踊った。

「テル、頼むからそのまま絨毯には上がってくれるなよ?貧民街のヘドロは臭くて敵わん」

 テルは思わず芝生で靴をぬぐう。しかしはっとして、言い返す。

「…………アトリエで絵を描いていただけですよ」

 しかしすべてお見通しのロドヴィコはこう言った。

「ほう、今日はどんな絵かな? また、哀れな獣人の子供達の姿でも?それとも年頃の美女が二人ってところかな?」

 お見通しか……。

 テルは父の皮肉めいた口調に吐き気すら催した。だが、それは態度に出さない。負けた気がするからだ。

「いいえ父さん。時計塔です」

「ふむ。街のシンボルか。だが、お前には何も理解できまい。我々魔法科学ギルドが数百年間調べてもわからないものを…………。ま、絵のモチーフとしては素晴らしいじゃないか。何の責任もなく、もてあそべるのだから。私と違ってな」

 ロドヴィコは軽やかにバルコニーの階段を降りてきた。テルと同じ色の金髪をこの街の伝統的な貴族流にカールさせ、スラリとした長身と分厚い胸板を夜会服で着飾ったその姿は優美で、まるで舞踏会の主役のようだ。髪と目の色以外、自分とは何もかも違うその姿に気押され、テルは思わず後ずさる。

「と、父さんはどんなにわからないことがあっても、言葉で理屈をつけようとするんですね。科学者だし当たり前だけど…………でもそれじゃわからないものもたくさんあります。理解できないからこそ、描くんです」

 ロドヴィコは吹き出し、ワインを一口飲んだ。

「なるほど。無知の産物としての芸術か。見ろ!みんな!小さなゲイジュツカのお帰りだ!」

 この屋敷にの主人の声にさそわれ、バルコニーに出てきた来賓たちの笑い声が降ってきた。口々にテルを品評する。一人の淑女がこう言った。

「あらあ、大きくなったわねえ。テルさん。あなたのお父上、アルエイシス卿は若き日にこの街に文明の光、魔光灯をもたらした偉大な発明家……!ちゃんとお勉強してらっしゃるのでしょう?後を継がないとねえ」

 テルはそれを受け止めるしかない。自然と拳が強く握られる。ロドヴィコは笑った。

「ご婦人。若者に背負いきれない責任を負わせるのは酷というものです…………何せ、あの子は筆よりも重いものを持ったことはありませんでなあ…………」

 バルコニーに詰めかけた婦人たちが大きく笑った。その声はテルを萎縮させるのに十分だったが…………彼は負けずに父に対してこう言い放つ。

「父上は何もかも理解していると?」

 笑い声の中で、ロドヴィコはじっと自分の息子の目を見下ろす。バルコニーから降りてなお、ロドヴィコは息子を見下ろす背丈である。

 「少なくとも、お前よりは、だ。息子よ。まったく。どんな反発心か知らんが」

 ロドヴィコは息子の髪を軽く撫でる。その仕草には慈愛と軽蔑が混ざっている。

「お前には才能がある。いい加減、もっとこの街の貴族らしくして欲しいものだ」

 テルは直立不動で言った。

「貴族らしくとは、父上のようになることですか?あまりに大きな成功を妬まれ、この街の秩序のバランスを崩してしまうような」

 言い返した瞬間、バルコニーが静かになった。誰もが黙ってしまったのだ。気まずそうに外目配せする。誰かがタヴーに触れてしまった時の雰囲気だった。ロドヴィコは面白そうに息子を見つめる。

「ほう、息子よ、私に似て反抗的になったな。誰の影響かな? 貧民街をぴょんぴょん飛び回る誰かさんかな?」

 意外な言葉に、テルは一瞬だけ瞳を揺らした。

「…………僕は僕の道を歩んでいくだけです。僕は…………僕なりのやり方で」

「やり方?」

ロドヴィコは愉快そうに笑う。そしてワイングラスを持っていない方の手をテルの肩に置いた。

「何をする? 貧民街でその日暮らしの亜人種の子供相手に絵を描いて、この街の闇が消えるとでも?」

 テルは黙って父を見つめた。その瞳には、いつもの臆病な色はない。

「闇を消すのではありません。描き出すんです。誰もが見て見ぬふりをする現実を。心の中のどうしようもない感情も、描き現してしまえば恨みへと腐ってしまったりしないと思うんです」

「ほう…………」

 ロドヴィコは息子の変化を確かめるように、じっと見つめ返した。

「芸術家気取りの現実逃避に、もっともらしい理屈をつけたものだ。この街の闇は書き出したくらいで言い尽くせるものではないだろうに。結局、技術的発展だけが人々を救うのだ。私が夜の闇に魔力の光を灯したようにな。発明。発明だ。

技術の革新だけが社会を変えるのだ。あれで暗殺ギルドどもも随分活動しにくくなったのだぞ? いまじゃあ、派手なことはろくにできなくなって、貧民街でポイント稼ぎだ。お前くらいは騙せるようだな。そんなものに惑わされおって。私の息子としてはお粗末だな。効果も不明な慈善活動にかまけるとは。だから現実逃避そのものだというんだ」

「逃げているのは」

テルは小さく、しかし確かな声で言った。

「むしろ父上の方では? …………母上が天国へ行かれてから、あなたは研究ばっかりだ」

 今の言葉はバルコニーの上の人々には聞こえなかったようだ。一瞬の沈黙。ロドヴィコは葡萄酒を一息に飲み干した。

「面白い。明日の評議会で、私の提案する新法案の説明を任せよう。お前の『理解』を見せてもらおうか」

「僕はあんな富の独占者たちに関わったりしません。僕は…………」

「命令だ。あの礼式ばかり気取った野蛮人どもが、テーブルの上でどんな言葉をやりとりしているか……。それを見ればお前も考えを変えるだろう」

 ロドヴィコは背を向けながら言った。

「才能は、使われるべき場所で使わねばならない。それが貴族の責務だ。お前の才能が向かうべき先は絵でもなければパン配りでもない。暗殺ギルドの女たちの尻を追いかける言い訳か知らんがな」

 テルは静かに息を吐いた。手には、今日描いた時計塔のスケッチが握られている。塔の影に、レカの姿を描き込んでいた。

「責務ですか…………」

 バルコニーでは、来賓たちの談笑が続いている。父はそそくさと階段を上がり、そこに合流する。テルは館の裏手、自室とアトリエのある別棟へと足を向けた。今夜も、誰にも見せない絵を描き続けるために。人々が見たがらない真実を、描き続けるために。

 それは、この汚れた街でテルが正気を保つためのただ一つの方法だった。

責任という名前の罪を被らないために。

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