第15話 かすかな手がかり

 カエデはセルジウスの声を聞き、一度大きく右腕に傷をつけ、セルジウスの下へ駆け寄る。カエデの耳には不気味な回復音が届いていた。

「セルジウスくん! 何がわかったの!?」


 セルジウスにはカエデの背後で再生していく右腕が見えているのだろう。今までの慎重さを感じさせない焦りに満ちた表情をしている。

 僅かに逡巡するように、言葉を選ぶように唇を空転させると、意を決して口を開いた。

「やつを滅ぼす方法はまだ、わかりません。ただ……細かい話は省略します。古代の魔法を使って下さい。」

 

 その言葉にカエデは自身の秘密を想起したのだろう、ほんの一瞬だけ眉尻を下げると、強く頷いた。

 カエデは集中するように唇を引き結び、大きく息を吸い込み、そして吐き出す。

 「……わかった。」


 セルジウスも一度頷くと、詠唱の結果を確かめるために、じっとカエデの様子を確かめている。

 カエデは目を閉じて、自らの内面、感情や魔力に意識を集中させ、詠唱を始めた。


 < Fur im's bld, >

 詠唱が始まった瞬間に、まるで、何者かに引きずり出されるかのように、カエデの周囲には純粋な魔力が部屋全体へと広がっていく。

 カエデは授業の中で丸暗記していただけの単語が、感情が、魔力が。なぜか自らの意思と一致していくような感覚を感じていた。


――我が怒りを我が剣に。


 < ent rag anda slt, >

――力と素早さが与えられんことを。


 薄く空間に広がっていた魔力が次々に剣の周りへとまとわりつくように集まっていく。

 純粋な力が飽和し、空間が悲鳴を上げるような甲高い音が響き、部屋全体をピリピリと細かく震わせる。



 < fal anda noce. >

――聖なる炎の、導きによって!


 詠唱が完了した瞬間。属性という指向性を得たすべての力が、一瞬にして束ねられていく。

 爆発的な炎と光がカエデの剣を包み込み、もはや剣の形すら目視できないほどであった。

 純粋な属性の奔流。グリモワールでは、ましてや普段の詠唱魔法でも発生しない異常な光景だった。


――こ、これ。シグルド先生が見せてくれた詠唱よりも!?


 自分が知っている詠唱とは全く違う結果となった事に驚くよう、カエデは呆然と剣を見つめている。

「カエデさん! 普段の詠唱と何かが違いましたか!?」

「全く別物だよ! こんな力、私には……先生にも出せないって!」


 その言葉を聞き、セルジウスは希望を見つけたように表情を明るくしていく。

「仮説のとおりだ! 詠唱魔法の特徴に、祈りや願いに関係がある要素は!?」


 カエデは少しだけ授業を思い出すように目を閉じるが、すぐに答えが見つかったようだ。

「感情だよ! 今、普段よりもずっとすんなりと感情と魔力がつながったような感じがしたんだ。」

「それです! この部屋は願いが神に届きやすいと書かれていました。この場所はおそらく魔力が特別に作用しやすい、だから封印の部屋に選ばれたんだ! ……それを前提に続きの解読を急ぎます!」


 セルジウスがばっと石碑に対して向き直し、素早く文字をたどり始める。

 カエデは、それを見届け、強化魔法を詠唱する。


 < Elig im's ram and elg ent gral.>


 まとわりついた魔力により、一回りも重く感じられた剣が、ふっと軽くなる。

 そして、右腕の元へと素早く駆け寄ると、横薙ぎに一太刀を浴びせた。


 カエデの剣が皮膚に触れた瞬間に、油の染みた薪を火に焚べるが如く爆炎が広がり、堅牢な骨や筋を焼き切っていく。

 しかし。セルジウスの言葉の通り、まだ敵を滅ぼすには至らない。炎はじわじわと掻き消え、ゆっくりと傷口が盛り上がり、骨が、筋繊維がつながっていく。

 だが、その一撃だけで、右腕は莫大な損傷を受け、回復には膨大な時間がかかることが想像できた。


――これなら、時間を稼ぐのも!


 この部屋に満ちた特性が、カエデの魔力を膨大に引き出し、効率よく強化と付与に作用させていく。

 鈍重な一撃の破壊力と、軽やかな連撃を両立するように、次々と攻撃を繰り出していく。

 薙ぎ、払い、切り上げ、切り下ろす。一撃ごとに皮膚は剥がれ、骨は砕け、肉は焼けていく。


 回復の隙を、ましてや攻撃の隙など一切与えないように、絶え間なく切り刻む。


 右腕の体表が、傷跡に埋め尽くされ、無傷の部分が目につかなくなってきたとき、それは動いた。

 腕全体を弓なりにしならせると、地面を激しく叩き、攻撃から見を躱すかのように、後方に飛ぶ。


 右腕が一度ぶるりと全体を震わせると、回復の途中でかろうじて本体にへばりついていた肉片がぼとぼとと地面に落ちる。

 そして、丁度カエデと同じ程度の体高のかろうじてヒト形に見える、腐肉の人形。ゾンビのような物体を生み出した。


 カエデは躊躇なくゾンビたちを斬り伏せていくが、それでも無数のゾンビたちに阻まれ、右腕を追うことに苦労している。

 そうして、カエデが距離を離され、回復の隙を作ってしまった瞬間に、右腕が奇妙な言葉をささやき始める。

 『この……い、痛み……ゆ、勇者……の子か……』

 言葉としては理解できない、しかし意味が理解できる。

 カエデがこの世界に召喚されたその瞬間にも体験した、魂に語りかけるような気持ちが悪い感覚であった。


 『あ、あ、ある……いは……"全知の王"が、かか……語りし……異界の勇者。だな?』

 異界の勇者、それはまさしくカエデの境遇を指し示すものにほかならず、カエデの心臓が強く、激しく跳ね上がっていく。

――なんで、なんでこいつが私の秘密を……!? 全地の王って何!?


 その言葉はセルジウスの耳にもはっきりと届いていたのだろう。

 石碑を追う指をピタリと止め、振り返るとぽつりと呟く。

「カエデさんが……勇者?」


 秘密の事、そしてそれを隠していたこと、様々な考えが交錯するようにカエデの脳内を駆け巡、一瞬だけ目を伏せる。

「ごめん。全部後で説明する! 今は解読に集中して!」


セルジウスはその言葉にはっとしたように表情を引き締めると、袖口で汗を拭い、石碑へと向かい直した。

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