3 - コウノトリと魔法石

 春の日差しが窓から差し込み、埃っぽい空気が光の帯となって研究室を横切る。作業用の机に積み上げられた木製の標本箱、中には様々な種類の鉱石が並んでいる。アジルはそのひとつを取り出し眺めながら、石に彫り込まれた文字をじっと見つめている。


「いっそ分野を変えるのがいいんでしょうか」


 そろそろ研究室を明け渡す時期なのだろう。最後の足掻きのような言葉を、誰に聞かせるでもなく呟く。呟きながらも、昨日の新人の研究成果を思い出す。まだ何かできるかもしれない。そんな期待が、完全な諦めを邪魔をしていた。


(手応えがなく奮わない状態が続いたままというのは、精神的には中々に応えるものです)


 ガラスをつつく音とヴィーラの囁き声が、窓越しに聞こえる。重い溜息を大きく一回。

 窓を開けてやれば、春の日差しの下でヴィーラの明るい表情がアジルの目の前を通り過ぎる。研究室の重たい雰囲気を一変させた。


「アジルさん、将と師からのラブレターです!」


 窓から滑り込むように入ってきた後、布で丁重に包まれた何かを渡してきた。窓枠に座りながら、確認してくださいと催促してくる。あけてみると、丸められた樹皮紙が二本。ラミア族の戦士の長である将と、シャーマンの長である師からの返信だ。


「お二人に感謝をお伝えください。後でゆっくり読ませていただきますね」

 ヴィーラの先にいる方々にお辞儀をする。決してヴィーラに対してではない。


「大切にお持ちしましたー。面白いものだといいですねー」

「興味深いものと期待していますよ。それにしたって……なんか拍子抜けしました。普通にヴィーラさんが来られましたので」

「あ、それなんですが。私もアジルさんに贈り物がありまして」


 ヴィーラが指笛を鳴らす。数秒の後、遠くから何かが飛んでくる。


「人間は他種族に赤子とか幸せとかを委ねるんですね。よくわからないんですけど、ちゃんと連れてきましたよー!」


 数十の白い鳥の群れ。近づく程に予想以上の大きさだ。ヴィーラが窓枠を下りた後、全長1メートルを超えるコウノトリが、何羽も続けて部屋に入ってきた。部屋を覆いつくしたコウノトリ達が、じっとアジルを横目で見つめ続けている。


「ヴィーラさん……コウノトリはこの地域には分布していない筈です。それに子供もタマゴも持ってきません。幸せをもたらすのは家の屋根に巣を作った場合です。嘴を鳴らせば結構うるさいので他の人の迷惑です。そもそも個体数の少ない貴重な鳥です。ラミア族の方がずっと平凡だ。その方々には丁重に帰って貰ってください」


 ヴィーラはコウノトリを窓からすべて投げ放った。アジルは再びため息をついた。



 *



 先ほどまで見ていた鉱石の標本を研究室奥の棚に仕舞い、手のひらに収まるサイズの木箱を持ってくる。机の上に置き、椅子に座る。ヴィーラはいつも通りソファに座っている。


「さっきは何をしていたんですか? 何か石を眺めてましたけど」

「魔法石です」

「あぁ、魔法石。なんかよく聞くんですけど、何に使うんです? それ」

「そこの暖炉で使っている熱源とか、あっちで飛んでいる飛行船とか。私、この魔法石が専門でして」


 まったく自慢のない、知らない別人を紹介するような余所余所しさで話をしている。


「へー、じゃああれってアジルさんが飛ばしているんですね……もしかして、思った以上にすごい人だったりします?」

「一部ですよ、全部じゃない。私はその中のきっかけの一つにすぎません」


 ヴィーラはソファを降り、尾を使って床を滑るように移動しながら、窓の外の飛行船を見上げる。


「いえいえ、だってあれですよね、あの銅色の楕円の、なんか金属の板かなんか回している奴。すごいじゃないですかー。あんなの飛ばしちゃって。コウノトリよりずっと大きいじゃないですか」


 素直な驚きと興味の表情でアジルの元へ近寄る。ヴィーラの純粋な好奇心は、アジルの自嘲的な雰囲気を和らげてくれる。


「先生。魔法石ってわたしも使えませんか!? 雪山とか寒くて大変なので、暖炉の石で温まれないかなぁって。いつもアジルさんの研究室が暖かくて羨ましかったんですよね、お肉も焼けるみたいですし」


「ん、使った事ないんですか。これでよければどうぞ?」


 先ほどの木箱をヴィーラに手渡す。中を開けると、両手に収まる程度の透明な水晶がクッションの上に置かれている。


「それに魔力を込めて火にあててみてください。安定して使いまわせる石炭という感じです。少なくとも、このまえ食べましたドラゴンの肉よりは安全です」

「あ、もしかして、これってプレゼントですか?」

「なんか癪なので貸出ってことにしましょう」


 魔法石を片手で持ち上げ、真剣な表情で眺める。ラミア族の尾が、期待に胸を膨らませるヴィーラの気持ちを表すように、小刻みに揺れている。


「えっとぉ……魔力を込める……? 魔力ってラミア族もつかえるんですか?」

「シャーマンは活用されていないんですか?」

「それがわからなくてー。魔力って人間だけのものじゃ……?」

「それは何とも言えませんが、ラミア族が魔法を使ったって話は、確かに聞いたことがありません。どなたかいないんですか、魔法を使っている魔物の方々」


 人間と魔物に境界を定めよう不可侵条約がある手前、あまり向こう側に興味を持つのはよろしくないとは思うが、ヴィーラに魔法石を渡す価値が本当にあるのかを確認する目的で聞いてみる。使えないなら正直回収したい。


「……そもそも魔力って何なんですか?」

「では特別授業をしましょう。こちらに座ってください」


 二人の目の前に大きな紙を広げ、図と文章を書きこんでいく。


「魔力は、命を作るエネルギーだと言われています。生物の痕跡があれば大体見つかりますし、人間からも僅かに湧き出ています。気配に近いものだと言われた方もいました。その魔力を適当にためこんでおくための貯蔵庫が、魔法石なんです」

「水や空気みたいな命なんですかねー。シャーマニズムは生き物と交換条件を結んで力を借りる術なので……なんか近くて遠いような」

「例えばなんですけど、この建物、魔法省は魔法の研究をしますから、毎日結構な魔力が必要なんです。お見せできないんですけど、建物中央には巨大な魔法石が鎮座されてまして、魔術師が日々そこに魔力をため込んでくれています」


 人とラミアを図で書いた後、その数十倍の大きさの結晶体を描く。ヴィーラはアジルの手元と表情を交互に眺めている。


「ここも色々な技術が使われているんですが、根幹となったのは自然現象と魔力を相互変換可能にする研究でして。この研究成果は社会に浸透したので嬉しかったです。例えば火山の溶岩や太陽の光とかを魔力に変換できるようになったんですよ」

「アジルさんってやっぱりすごい人なんですね……えっと、それって熱と光のどっちを使ってるんですか?」

「光ですね。ヴィーラさんは例えば、人間は実は微細に発光しているってご存じですか?」


 それを聞いたヴィーラは、じっとアジルの全身を嘗め回すように観察している。


「見えたらすごいですけど……。生物は、恐ろしく小さい組織の集合体です。それらは細胞といい、ひとつひとつが呼吸をしています。この呼吸が、目に見えないレベルで光を放つんです。これはフォトンと呼ばれています。フォトンが強いほど魔力は強く、魔術師としての才能に繋がります」


 私は人並みでしたよ、と付け加える。


「しかし興味深く悩ましいのは、魔力が強い方は等しく短命です。どうも魔力が強い方は体の中で突然変異を起こしやすいらしく、病気にかかりやすいのです」


 本棚に向かい、書籍のひとつを開く。人体の解剖図のようだ。


「生物は常に、突然変異の可能性と脅威に晒されているのだと思います。その突然変異性という発光が魔力の正体であるから……」


 アジルがふと、紙に図を書く手を止める。


「そういえば、シャーマンは既にミミズを使役していましたね。ミミズには発光する種が一部いるらしいのですが、もし使役しているのが光るミミズなら、あれらは一匹一匹が結構な魔力を持っていますよ」


 ミ・ミ・ズ。一文字ずつ呟いた後、ヴィーラはミミズの一単語を発音した。


「え、ミミズならすごい数いますけど……。今日だって地上に這い出ていた奴らがピカピカ光ってたんで、両手でつかんで畑にポイッって。……あれが全部魔力なんですか?」

「それが魔力なんです。人間の魔力は見えませんが、ミミズの魔力は目に見えるくらい強いんです。あと、ここに来る前に手は洗いましたか?」



 *



「よくよく皆さん勘違いされるんです。魔法は派手で無尽蔵な力を持つっていうのは空想の産物でして。そんなに便利なものではありません。……そう思っていたんですけど、シャーマニズムでミミズが扱えていることを考えると、ちょっと凄いかもしれませんね。ただ、過去の実験結果によれば、魔力を取り出すためには、生きたまますり潰して魔法石に塗りたくったらしく、これは実に頂けない」

「うわぁひどい、あんなにいい子達なのに。あとは光るものだと……キノコとか」

「菌類って使役できるんですか?」

「チャタテムシってキノコ食べませんっけ?」

「あー、ドラゴン百珍と一緒にお渡しした彼らですか。確かにチャタテムシは菌類を食べますから、糞が魔法石の代用になる可能性はありますね。……おや、ヴィーラさんその魔法石」


 ヴィーラが手に持つ魔法石が淡く輝いている。アジルの反応を見ながら、魔法石をそっと机に置く。ヴィーラは自分が魔力を無意識に込めていたことに驚きながら、じっとアジルと目を合わせる。


「あの、アジルさん」

「はい」

「これ、魔力がためられてるってことですか?」

「はい。残念ながら私よりも才能があります」


 ヴィーラは机の上の魔法石を愛おしそうに見つめている。「なんだかちょっと可愛いですね」と言い、優しくなでた。


「もしかしたら、タマゴも赤子も、魔法石みたいに魔力を分け与えて生まれるのかも。自分の命を分けたものだから、尊く可愛い感じがします。きっと、アジルさんとわたしのタマゴは、これ以上に愛くるしいものなんでしょうね」


 魔法石を愛でる彼女は、まるで我が子を慈しむ母親のように見えた。春風に乗って、何かの花の香りが運ばれてくる。その温かな風は、いつの間にかアジルの心にも染み込んでいた。ぼぅっとしている間に……ドアのノックする音。

 ヴィーラの姿はなかった。部屋に、再び春の風が通る。魔法石を慈しむ表情が思い出される。頭の中を何度も真っ白に塗り替えた後、机の上に書かれた殴り書きを急いで片付けながら、改めてその内容を振り返る。


「……まだまだ私には、やれることがあるのかもしれません」


 アイデアは止まらない。彼女との会話が残した可能性は、まだアジルの中で温かく残っている。しかしこれは不可侵条約の向こう側からもたらされたアイデアだ。建前もあるが、そこは後で考えるとしよう。


 ドアの向こうには魔法省の監査官がいた。何を言われてもいいよう身構えたが、監査官の表情は予想以上に柔和で優しいものだった。

 新人研究者から、アジルの名前が挙がったらしい。どうやら彼の研究は、魔法石自身に微弱ながら自然界に漂う魔力を吸い上げる性質を付与できるかもしれない、という魔術的ブレークスルーをもたらす可能性のある内容であるらしい。この中でアジルのアドバイスが極めて大きな役割を担っている、と監査官は語った。


 「数年成果のない私は、そろそろ追い出されると覚悟しておりました」と聞いてみれば、あなた程の方を魔法省が簡単に手放す筈がない、と一蹴されてしまった。しかし成果報告は必要なので、近日中に監査を予定しているとも告げられた。


 監査官が帰った後、ソファに腰かけ樹皮紙をそれぞれ開いた。期待していた以上の内容が書かれている。

 今の研究は、決してひとりだけでは進められない。自分は魔法石の専門家だと自負していたが、それこそが自分の可能性を狭めていたのだと理解できるようになってきた。極めて癪だが、ヴィーラとの日々の交流は、研究者としての成長に繋がったと認めざるを得ない。

 これからの研究は、きっと楽しいものになりそうだ。窓を閉めた後、樹皮紙の内容を踏まえた今後の研究についての計画を具体化することにした。

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魔法省のアジルさんとラミア族のヴィーラちゃん 熊埜御堂ディアブロ @keigu_vi

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