万人の夢

清寺伊太郎

私の夢

 夢の中でも現実でも、誰かが歌っているのを見ると私は歌手になりたくて、誰かが綺麗な文章を書いていると小説家になりたい。心動くようなアニメを見るとアニメを創作してみたくて、誰かが悲しんでいるのを見るとヒーローになろうと思ってしまう。全く以て悪いことではないでしょう。夢に浮気もないのだから。けれど私のこの罪は、その夢が全く以て叶わないこと。いつしか誰かが言ったはず、「お前はいつか大成する」と。だから私は自信をもって生きるのです。この生まれ持った引力で、私は私の好きなものを引き寄せてしまうでしょう。私が夢を選ぶんじゃない、夢が私を選ぶんだと。そう思ってた15の夏。

 夢はいつも輝いていて、現実はいつも鈍色で、私の眼は二つもあるのに、絶対同時には見せてくれなくて、だから誰もが揺らいでる。現実と夢に揺らいでる。私がいつも笑うとき、私は何にも考えてなくて、みんながそれ見て笑うとき、みんなの中身は空っぽで、その中に一人質量を感じたら、その目はきっと光を通さぬ眼だろう。そんな人にも憧れる。目立った人に憧れる。暗い暗いバックストーリーを背負って、君は今まで何に手を伸ばして生きてきたんだい。君の夢は、一体何だい。すると君は人並みの幸せが欲しいという。人並みの幸せって何だい。幸せに修飾する必要なんてないでしょ。雑な装飾に綺麗な言葉。微笑む紋白蝶。加速する隼、雨上がりの太陽。濁ってしまって見るに堪えない。決して否定はしない、けどもっともっとのはずだよ。いや、私の欲はもっと深い。私の見る世界はもっと夢。私があなたを引き上げようか。幸不幸、善悪、美醜。これらを掌の上で転がす絶対精神の来迎。そうさ、もっと目を見開いて、眼輪を極限まで収縮させて私を見ていなさい。私は全てが欲しい。世界は私が主人公のドキュメンタリーの中に生きるのみ。

 夢を起こして何をしよう。私にはとてもよく見える。壇上に立つ私、夥しい数のマイク、カメラ。滑らかな舌が私の言論に鮮度を与え、篩にかけられたようなこの形質が、見目麗しく、声は時の中に浸透す。羨望の眼差しに私は唾を吐く。ああ幸せだ。次は白衣に身を纏い、顕微鏡をのぞいてみると、ミクロの世界にマクロを見た。君は原子を見たことがあるのか。私が世界のはじめてになった。賞賛の嵐が不眠を引き起こすだろう。全く幸せだ。最後に夜空を見上げると、そこには満天の星があった。見上げるけども少し寒くって、綺麗だけど誰にも言えなくて、落ちた木の葉を拾って私の目と重ねていると、彼が後ろから私を抱きしめて「きれいです」というの。濡れた瞳に映る空はぐちゃっとしてしまって、まるで子供の自由画のよう。でもあなたが一緒にいるから…そばにいてくれれば…私は…

 夢を見ていた。今日も私は出来もしない未来を想像した。妄想した。すごく気持ちがよかった。薬のように依存していた。頭を空っぽにした。歌を聴いているときのよう、本を読んでる時のよう、アニメを見ているときのよう。お願いだから、こんな妄想を夢と呼ばないで、私についているこの喩目。叶いやしないよこんな喩目では。こんな…管につながれたガラクタみたいな体では。…いや違う。まだ動く。まだ歩けるんだ。ホントは。でも3年もの月日を私は失った。みんなに平等なはずの時間に嘘をつかれた。人生で最も貴重な三年間が失われたのだ。こんなにこの三年を愛しく思ったのに、私は今、喩目に侵された現実で時間を溝に注ぎつつける。私は身の丈に合わないような夢を見ていた。決意と熱意をもって過去の偉人たちが汗水垂らして叶えた夢を容易く乗り越えて何個も何個も語った。実際に言葉には力があったように思う、語ることで未来の像が浮かんだ。しかしすでにその時に予感はしていた。「私にはできないのだろう」と。認めるのが怖かった。自分の程度が知れるのが辛かった。少しでも長く自分を信じていたかったから、未来の像だけを鮮明に浮かべた。言葉巧みにみんなにも自分を信じ込ませた。それは結果的に私を追い込んでしまったが、今となってはそんなことはどうでもいいのかもしれない。病室のカーテンはいつも優しさを孕んでいる。一方この絹のベッドと檜の机は何かをするには狭すぎるが、何もしないでは余分である。この瞬間の私を試す、まるで私への当てつけである。脇にある棚の引き出しを開けてみるとボールペンとメモ帳がまるで宝のように光って秘められていた。

 例えば昔仲の良かった友人が現在恥を売って仕事としていたら何を思うだろう。何も思わない、わけにはいかないかもしれない。得てして理想と現実は対立する。こんなことは言うまでもない。事実が当為を意味しないように当為もまた事実足りえないことがしばしばある。自分がなるべき人間になどなれやしないことの方が多い。そういう現実を知ることを「大人になる」と人は言う。できないことを知り、諦め、苦しみ、それでも最大限に生を謳歌する。それが大人、夢との決別。

 くそくらえ!彼女は筆を執った。メモ帳をテーブルにたたきつけ殴り書く、殴り書く。彼女はついに覚悟を決めた。それは明確なヴィジョン。喩目で描いたストーリーをかなえるためのプラン。二枚目三枚目、四枚目、五枚目。書き終えては剥ぎ取りを繰り返し、ついに彼女は立ち上がる。ペンとメモはもはや塵芥と化す。心臓が鼓動する。久しぶりの感覚に感動を覚える。「走らないでください」と何か声が聞こえるが意に介すはずもない。自動ドアが開く。新たな世界が始まる。そこには一面の銀世界が広がっていた。彼女は高らかに笑う。「塗ろう、私の色に!世界に私というストーリを、ドラマを!描き出してやる!」走り出した彼女はそのまま遠くへ消えていった。その後彼女がどうなるかは誰も知らないところである。

 これが夢の熱に浮かされなければやっていられぬ人の性である。

 

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