煙草
珠洲泉帆
煙草
令和×年、六月某日。金曜日の深夜。
二人はベッドの上で煙草を吸っていた。
新宿で飲み屋を三軒ほどはしごして、そのあとに入ったホテルのベッドの上だ。Rはコンビニで適当に番号を告げて買ったもの、Yは長年吸っているアカバニラの煙草の紫煙をくゆらせている。
「あんたさあ」
Rが言った。
「ずーっとアカバニラのやつ吸ってるけど、口から変なニオイしないの?」
Yは煙の漂う先を目で追いかけ、気だるげに答える。
「喫煙者の口臭なんか、どうせろくなもんじゃないでしょ。あんたこそ」煙をふうっと吐く。「思いつきで買ってばっかで、なんか好きな銘柄とかないの」
Rはうめき声で答えた。正直な話、煙草の味はどれもこれも変わらないように思える。だからそのとき頭に浮かんだ数字を店員に伝えるという、偶然に頼る買い方をしていた。
「前にアカバニラのやつ、試してみたけどダメだった」
「なんで試してみたの」
「あんたが吸ってるから」
「え?」
Yは驚いたようにRを振り向く。
「そんなことする性格だったっけ」
「美味しそうに吸うんだもん」
「あー……」
「でも合わなかった」
「上級者向けだからね、これは」
灰皿の縁で煙草の先を叩き、灰を落とす。すっかり慣れたもので、一連の動作には淀みが少しもない。
「アカバニラは当然合わないし、かといって好きな銘柄もないし、なんで煙草なんか吸ってんの」
「なんとなく」
吸いきった煙草の火を消し、Rはベッドにごろりと寝転んだ。横を向いてベッドの縁に座るYの腰に腕を絡ませ、むき出しの背中に口づける。
「こっちはいい吸い心地なんだけどな」
「それはどうも」
「いい匂いもする」
この体の依存性は煙草なんかよりずっと強い。
そう思ったけれど、二人の関係にはそぐわない台詞だという気がして、胸にしまっておく。
こうして、いくつもの言葉や仕草が表には出ないまま消えていくことが二人のあいだではよくあった。やたらと褒めたり甘いことを言ったり、そういったものは似合わないのだ。これはもっと殺伐と、淡々と、そして無造作でいい。丁寧さや繊細さのいらない付き合い。それが二人には楽だった。だからこそRは仕事で出会う横柄な客の愚痴を口汚くぶちまけられるし、YはYで普段の彼女とはかけ離れただらしない姿を見せられる。ロマンチックでなくていい、そんな時間が二人には必要なのだ。
煙草を吸い終えたYが立ち上がろうとするが、RはYの腰に両腕を巻きつけて行かせまいとする。Yは「ちゃんと相手してあげるから」とRの腕をほどき、カーテンの向こうの窓を開けた。
涼しい夜風が、煙の溶けた室内の空気にさあっと流れ込む。空を見上げても星は見えない。
「ビルの明かり全部消したら、新宿でも満天の星空かな」
「見えないだけであるからね」
窓際に立ったYの隣にRが来て、しつこくYの腰に触れた。YはなだめるようにRの頭に手を置く。
「待てもできないの?」
「煙草吸ってるところがさあ、なんていうか」
「うん」
「なんか、その気にさせる。あんたのせい」
Yはふと笑った。
窓のそばに立ったまま、二人はキスをした。唇同士を触れ合わせながら窓を閉め、ベッドに倒れる。
髪を耳にかけ、キスが途切れたらどちらからともなく再開する。こういうときの二人は驚くほどに息が合っている。
街を見下ろす一室で、二人の夜は更けていった。
煙草 珠洲泉帆 @suzumizuho
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