地下街にて
阿良屋 志樹
地下街にて
遠くからかすかに音と振動が響いてくるのを感じて目を覚ますのはいつものことだった。ぼろ布を手繰り寄せてもう一度寝ようかともしたが、結局起きることにする。
周囲は薄暗い。カンテラに石で火を点ける。古びたそれはわずかに軋んだ音を立てて開いた。慣れた手付きで明かりをつけると、こうこうと周囲が照らし出された。慣れない明るさが起き抜けの目には痛い。
地面は硬い石の感触。壁も同じような物でできていて、壁と床の境目にはコケやシミがこびりついている。
寝るのにちょうど良い場所だと潜り込んだのだが、少しばかり狭かったらしい。体勢を変えられなかったからか節々が微妙に痛むが、気になるほどではない。天井が高めなことだけが良かったと思える。
「――また階層が沈んだんだって」
会話が耳に入ってくる。押し殺したような声。
その声を聞きながら狭い中で身支度を整える。いつも身につけているものは一つもなくなっていないことを確認して、静かにそこから這い出た。
「また下から人が来るだろうね」
「どうしよう、上に向かわなきゃ」
「落ち着けるところがあるといいけど」
不安げな声音があちこちから漏れ聞こえてくる。
この地下街は階層で出来ていた。
地下街。
そう。人々はここをそう呼ぶ。一体いつからなのかはわからない。男自身も、ここが地下街という場所であることしか知らない。一体いつここができたのか、いつからその呼ばれ方をされてきたのか。それを知る人間は恐らく少ない。
複雑な形状の街。いわば大きな穴の中に、住居や路地や、よくわからない穴や通路が存在している、と言えばわかりやすいだろうか。全体の広さはおそらくそれなりにあるはずだ。測ったことなどないから、気にもしたことはないが、今まで歩いた感覚ではそう感じる。
下の階層がああなるのだから、一番古い階層と比較的安全な階層は、一番上ということになる。だが積極的に上へと向かおうとする者は少ない。
――上では、人は生きられない。
様々な説はあるが、要は「人が住めない状態」らしい。真偽は分からない。確かめた人がいるかどうかも。上へと行って、戻ってきた者がいないというのもその話に拍車をかけている、と言う人もいた。どちらにせよ正確なことがわかるはずもない。
ついこの間も、耐えようとしていた区画がとうとう駄目になったと、人々が話していた。それも当然だろう。ほとんどが水に埋まった状態で、ほんのわずかな部分だけが無傷でいられるはずがない。今までの区画だってそうだったのだ。どうどうと遠くから響く水の轟音を聴きながらコケリンゴを切る。
苦いがわずかな甘みのあるそれは、ここでは大事な食料の一つだ。
ランプの火が頼りなさげに揺れる。今日は別の地区が崩れて消えたらしい。噂程度ではあるが、この近辺ではないし、そこを通る予定もないので今のところは別に問題はない。
たまにではあるが、水の流れが止まっておらず通れないときがあるが、そのときは迂回路をなんとか探し当てるか、潔く諦めるしかない。後者のほうが命の保証はされる。その通路の先が無事とは限らない。それでも行こうとしてしまう気持ちがわからないわけではない。それが好奇心であれ、一種の使命感にも似たものであれ。
勢いよく何かにぶつかる感覚がして、衝撃に軽くよろめいた。
下を見ると小さな影があった。それが自分の腹部に埋まっている。
「あっ……、ご、ごめんなさい」
カンテラで照らすと、煤けた顔の子どもがそこにいた。すぐそこの暗がりから出てきたのだろう。手や足の細さから痩せぎすなことがわかる。顔の所々が変色しているが、恐らく痣だろうか。
一歩二歩と子供が後ずさる。その手には黒い種のようなものが抱えられていた。
「気をつけろ」
それだけ言い、そのまま歩き去ろうとしたその服を、小さな手が掴んでいた。
沈黙。
掴むからには何か用事でもあるのだろう、と待っていたのだが一向に口を開く様子がない。どこか躊躇うよう、というよりも困惑といった表情だった。
「なんだ」
「ぁっ……、あの。下からきたひとですか」
「下から来なかったやつはここには少ないだろう」
「そ、う、です、ね……えっと、そうじゃなくて。これ、食べるものと、こうかんしませんか」
無言で黒い種のようなものを手に取った。普段燃料として使われるこの植物に名前らしいものはない。種のように見えるそれは実で、まるごと絞って油を取る。残ったものは焚き火の火付けに使うのが一般的だ。
「2つ」
「あ、ありがとうございます」
代わりになる食料を探りながら、ふと口を開く。
「来るか?」
あまりにも唐突な申し出に子供が驚いた顔をするが、それは自分も同じだった。
考える間もなく口にしていた言葉に、何故と疑問が湧き出すが、らしい回答も見当たらずにその場から動けなくなる。
子供など足手まといにしかならない。食い扶持だって豊富ではない。――ただの弾みなのかもしれない。ついこの間見た、子供の亡骸を思い出してしまったからなのかもしれない。
「……すまない。忘れろ」
「……ぇ、えっあっ」
踵を返した影に、子供が声を上げた。
「せ、せまいところなら! 入ってこういうの取ってこれます1」
「……」
「それに、こうかんできるくらいのものも、少し」
階層を上がっていく。後ろから子供の足音が聞こえてくる。
ややすると、少しばかり広い場所に出た。端には数名ほどいたが小声で何かを話していた。どうにも話しかけられるような雰囲気ではない。柱の窪んだ場所にいる者に近づいた。
「あ、ここにいますね……」
どうやら少しばかり警戒しているらしい。一つ頷いて、そのまま背を向けていく。
「これと何か交換しないか」
懐から子供が先程持っていた黒い種を見せる。
「あたしは何も持っちゃいないよ」
「そうか」
顔を見ると、どうやら女のようだった。疲れ果てた面立ちだった。疲労によるものだろうか、掠れ声で聞き取りづらい。そう思っていると女は俯いて口を開いた。
「隣りにいた知り合いがね、上に行っちまったんだよ。それっきりさ。それっきり……戻ってこない」
「戻ってこないだけならまだ生きているかもしれんだろう」
「そうかね。そうだろうかね」
女はそう答えながらも、ぼそぼそと呟く。「でもさぁ、本当に戻ってこないだけなのかってさ、思っちゃうんだよ。戻ってこないだけなんてそんなことあるのかね。やっぱり何か悪いことでもあるのか、それとも、それとも本当は上は、本当に、無事なのかね……」
そのままブツブツと何事かを呟いているが、もはやそれはなんの意味も成さなくなっていた。
踵を返し歩きだす。背中に届いていた独り言も、やがて消えた。
子供の元へと戻ると、不安げな顔で座り込んでいた。
「行くぞ」
その言葉に、わずかに俯き、小さく頷いて立ち上がる。
そのまま彼らを素通りして再び登り始める。背後から、子どもの控えめな声が届いた。
「あの」
「なんだ」
返す。一瞬竦むような気配。だが、子供の声は途切れることなく続いた。
「おもうんです。みんなここに住めなくなっていく。どんどん水が流れこんできて」
「そうだな」
「ねえそれならみんな、いつか上に出るしかなくなっちゃうんじゃないんですか? ここにいるしかないっていうけど、でもこのままでも上に行っちゃうんじゃ」
「……」
その問いはもっともだ。だが、もっともすぎるその問いに返せる答えを、自分は持ち合わせてはいない。
無言のまま上を見る。吹き抜けとなっている上を見上げても、そこにはただただ暗闇が湛えられていて、ぽつりぽつりと灯りが頼りなさげに点在しているのみだ。
言葉を返さないとわかっているのか、返ってくる言葉がないことを理解したのか、子供は何も言ってはこなかった。
地下街にて 阿良屋 志樹 @s_araya1770
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます