断章その1 転落と夜明け
目の前で兵士が一人、倒れた。
その姿はあまりにも無残で、未だ温もりを残しているようにすら見える。つい先ほどまで互いに命令を交わし、共に戦っていたであろう兵士同士が争い、そして一方が他方を斬り伏せる――その現実があまりに唐突すぎて、心が追いつかない。
「話せば事情を分かってくれそうだったのに……」
そう呟いても、答えはない。
もう一人の兵士――迷いなく同胞を殺したその男と、ファリアが激しくぶつかり合っている。その姿は、ただの一介のメイドである彼女のはずがない。身軽な動きと一瞬の判断力。彼女がどれほどの覚悟を持ってこの場に臨んでいるのか、それが痛いほど伝わってくる。
「でも、どうなるかは分からない……」
私が精一杯の強化術を施したけれど、それがどれほど彼女の助けになっているのか。目の前で繰り広げられる戦いに手を貸せない自分が、ただ情けなくて悔しい。
「なんで……! なんでこんなことに……!」
気づけば声が震え、無意識に絞り出すように叫んでいた。自分の声が虚しく響き渡るだけで、状況は何も変わらない。
――王国の聖女としての役目を失った私。追放され、住む場所を失った私。そして今、目の前で唯一の大切な人まで奪われようとしている。
生きる意味は、どこにあるというのだろうか。
視線を上げると、そこにはレジエール大滝が広がっていた。その轟音は絶え間なく響き、まるで私の中の虚無を埋め尽くそうとしているかのようだ。この滝が、エフェタリア王国とグラッツォン帝国の国境。向こうに広がる帝国は、この世界で一番の大国。かつて王国の人々が「グラッツォンの脅威」を語り、震えたことを思い出す。その圧倒的な規模と力に、エフェタリアはただ抗うしかなかったのだ。
この滝に身を投げれば、何もかもが終わる――そう思った。
「ファリア、ごめんね……私なんかのメイドになるから……」
涙が滲む視界の中、ファリアの優しい笑顔が浮かぶ。それは私を支えてくれた最後の光だったのかもしれない。その光を胸にしまい込み、滝つぼに身を投げた。
一瞬の浮遊感、そして絶望的な落下。
――終わるのだ、すべてが。
頭の中に駆け巡るのは走馬灯のような記憶の断片たち。だが不思議なことに、かつて王都で「聖女」として過ごした華やかな日々はほとんど浮かんでこない。それよりも思い出すのは、ファリアたち家族と過ごした短い時間。バクルムスの片隅で迎えた朝の光、彼女たちと囲んだ粗末ながらも温かな食卓――そんな些細な日々が、私の心を占めている。
「あの優しい日々を、もっと送りたかった……」
滝の轟音が耳を圧し、周囲の景色が目まぐるしく流れていく。私の体はもう何も抗わない。ただこの瞬間を受け入れるのみ。
「泣くつもりなんて……なかったのに」
ふと目を開くと、滝の上から差し込む光が、眩いほどに輝いている。気づけば東の空が白み始め、夜明けの兆しが見えていた。これが最後に目にする景色なのだろう――そう思うと、なぜだか心が少しだけ穏やかになった。
夜明けに包まれながら命を閉じる。それもまた一つの選択なのかもしれない。
そして、意識が闇に溶けていった。
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