僕は君の影になりたい
赤目
『君の影なんてない』
長く生きられないことは、小さい頃から分かっていた。成人になれないと言われたのは僕が齢10歳の時。高校に入れないと言われたのは中学校に上がった時。あと半年しか生きられないと言われたのは中学2年の初夏。
あれから4ヶ月が経って、僕はあと2ヶ月しか生きられない。花瓶にもたれかかるアマリリスはあと何回枯れて、あと何回飾られるのだろう。
「今日も来たよーっ!」
病室の扉が元気よく開いて、部屋の中が急に明るくなる。明るくなったわけじゃないんだけど、明るくなった。だって、彼女は太陽だから。
「こんにちは。いつもありがと」
「いいってことよー」
間延びした返事をして、アマリリスの花を新しく入れ替えてくれる。彼女の名前は
病人で捻くれている無愛想な僕とは真逆の存在だ。
「今日からテスト期間だし、毎日昼には来られるよ」
「テスト期間は勉強頑張りなよ」
「私はカゲと違って勉強できるもん!」
窓際に花瓶を置くと、振り向いて真っ直ぐにこちらを見つめてくる。カゲというのは僕のあだ名で、本名の「
彼女はここのところ毎日来ては、僕の話し相手になってくれる。テスト期間にまで来られると少し申し訳なくなってくるんだけども。
1週間前からすっかり彼女の席となった丸椅子に腰掛けて、朝比奈さんはにっこり笑う。
「カゲはあと何日生きられるんだっけ? 3日?」
わざとらしく顎に手を当てて首を傾げる。大きな瞳がクルリと光った。彼女の心は奥の方もピカピカ光ってるんだろうな、なんてそんなことを思う。
「そんなにすぐ死なないよ。あと2ヶ月」
「じゃあ私と60回会えるね!」
「61回会えるように頑張るよ」
「えー、もうちょっと頑張ってよー」
ぷくりと頬を膨らませるのでつついてやりたくなる。インフルエンザの診察に来ていた朝比奈さんに見つかってから1週間、彼女は1日も空けることなく僕の病室に顔を出していた。
ちなみにインフルエンザじゃなかったみたい。ウイルスも明るい子より僕みたいなジメジメした子を好むんだろう。モテすぎるのも悩みものだ。
とまぁ、僕なんかと過ごしてもいいことなんて一つもないのに、朝比奈さんはどういうわけか、楽しそうにこの日々を繰り返す。
「いやー、家に帰っても1人だからさー。嫌なんだよね。1人の時間」
「分からないこともないよ。だから、朝比奈さんには感謝してる」
落ち始めた太陽を見ながら、いつものようにお礼を溢す。
「私もこう見えて感謝してるんだよー? ありがとうの舞、踊ったほうがいい?」
「病室でやめなさいっ」
「ありゃ、怒られちった」
ペロッと下を出してウィンク。そのあとに始めた鳥のマネみたいなのはありがとうの舞なんだろうか。僕にはよく分からない。
毎日のように、彼女が帰ったら布団にくるまる日々。嫌というより、少し寂しい。だから、朝比奈さんとのわずかなひと時は、僕に日が昇る唯一の時間。
そんなことを思っていると、サイドテールの黒髪を小さく揺らして、彼女はコクコクと浅い眠りにつき始めた。僕との会話なんて面白さのカケラもないんだからしょうがない。
長いまつ毛に少し赤みのある頬、ピンク色に膨らんだ唇と膨らんでいない胸元。スカートから伸びる脚は細くて白くて可愛らしい。
ベッドに寝転がりながら、落ちた彼女と落ちる夕日を交互に見る。すると、唐突に朝比奈さんが目を覚ました。
「あっぶなーいっ! 寝るところだった」
「寝てたよ」
「嘘だー。寝てないもん」
目を擦りながら言うんだから大したものだ。でも、彼女が寝てないと言うんだから寝てないんだろう。朝比奈さんに夜は来ない。
「なんか変な夢見ちゃった……」
「寝てるんじゃん」
「あっ、嘘、嘘! 見てない見てない。そんなことよりカゲはどんな夢みるの?」
勝手にドジを踏んで、アワアワと手を振りながら誤魔化している。こういったちょっと抜けているところも魅力の一つなんだと思う。
「僕は……そうだね、最近は朝比奈さんよく出てくるよ」
「えー、それはちょっと恥ずかしいなぁー」
くしゃりと朝比奈さんはサイドテールを優しく撫でる。
なんともなく本心で答えてしまったが、これじゃあまるで気があるみたいじゃないか。そも、僕の夢に出てくる人なんて僕と母と彼女ぐらいだってのに。
「でもねー、私もたまにカゲが夢に出てくるよ」
「そうなんだ。どんな夢?」
「こうやって、いつもの部屋でいつもみたいにお喋りするの」
ふふーん、と鼻を鳴らしながら長い足をプラプラと泳がせる。一方僕は、彼女の夢の中で僕がどんな失態を犯さないとも知らないので気は休まらない。そうか、人の夢に出るってこんな気持ちなのか。程よくむず痒い。
「じゃあ朝比奈さんは、僕とあと120回も会えるんだね」
「毎日は見ないよ! たまに! たまにだから!」
ぴょんっと立ち上がる朝比奈さん。感情と行動が直結しているらしく、一方通行の感情表現は羨ましい。
「その……さ、もしカゲが死んじゃったら、私の夢に出てきてよ」
「いいよ。僕が死んだら朝比奈さんの夢の中でしか会えないからね」
「約束だよ? 私を一人にしないでね」
「うん、約束」
ギシギシと軋む手を動かして彼女の小指と絡み合わせる。男なのに、腕なんて僕の方がずっとずっと細い。いや、彼女が強く生きている証だと思おう。うん。
「もー! なんか変な空気になっちゃったじゃん! 恥ずかしー」
またまた顔を赤く染める彼女。やっぱりと言うか、表情が顔に出るのはとても羨ましい。影の僕とは大違い。でも、彼女のような太陽がいるから、影は生まれる。羨ましく思うのは仕方がない。
「もうこんな時間っ! カゲと話してるとすぐバイバイだ。残念」
「寝てたからじゃない? 大丈夫、明日は生きてるよ」
「……そっか。またね」
「うん、また」
学生鞄を担ぐ朝比奈さんの背中はいつもどこか寂しげ。こんな僕といるよりも、彼女は1人になるのが嫌いらしい。
彼女が出ていくと、病室でたった一つのライトが消えた。夕日だけがみっともなく僕の影を形作る。
窓際には燦々と咲き誇るアマリリス。
僕はそっと、その影に視線を落とす。
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