思い出はいつだって貴方の隣

とーふ

思い出はいつだって貴方の隣

 記憶の中に残るあの人は、とても可愛らしい人だった。

 何年経とうと変わらず、物語に出てくるお姫様の様に可愛らしく、多くの人に愛されていた。

 だから、そんなあの人と結婚する事になった父も、多分に漏れずあの人を溺愛し、甘やかし、全てを許してきた。

 まだ幼い娘を放置しても、家事をしなくても何も言わない。

 どこかへ遊びに行っても、父はあの人を責める様な事はしなかったのだ。

 いや、もしかしたら父も分かっていたのかもしれない。

 あの人に母という役割をこなす事は出来ないのだと。


 それでも、どれだけ壊れかけていても、あの場所にあったのは家族だった。

 確かにそういう形をしていた。

 しかし、そんなギリギリの場所を破壊したのも、確かにあの人であった。


 切っ掛けが何だったか、私も詳しくは知らない。

 ただ、初めからそう決まっていたかの様に、私達家族は壊れてしまった。

 おそらくは父も薄々気づいていたのだろう。


 私は父の子では無かったのだ。


 見知らぬどこかの誰かと作った子が私であった。

 文章にすればたった一行。言葉にすればたった数秒で伝えられるモノであるが、あの人の叫び声を聞いた時、私は確かに永遠を感じた。

 時間が止まったのを感じた。


 そして放たれた言葉は消える事なく父の中に残り、父とあの人は離婚する事になった。

 私はあの人にとって要らない物であった為、父に引き取られた。

 父は忙しい人であった為、殆ど家に帰ってくる事は無かったが、それでも父がお金を置いていってくれた為、今日まで生きてくる事が出来たのは確かである。


 だから私は、貰った恩を返す為、クリスマスの日には必ず父と食事をするのだ。

 例えこの時間が意味のない物だとしても。


 「やぁ。待たせたかな?」

 「いえ。私も今来たところですから」

 「そうか。では行こうか」


 父に贈られたドレスを着て、アクセサリーを付けて、あの人によく似た顔で2時間も待たせた父に微笑む。

 趣味じゃない高級なレストランで、まるで育ちの良いお嬢様の様にお行儀よく父と話をする。

 これが血の繋がらない父に私から返せる精一杯の物だ。


 「それで? どうかな。苦労はしてないかい?」

 「えぇ。何も問題ありませんよ」

 「しかし、あまり給料はよく無いんだろう? どうだい? ウチの会社に来るかい?」

 「いえ。今の会社を気に入っていますから」


 表面上。戸籍上。父親であるこの人が向ける視線には多くの感情が込められている。

 その感情の中にある父が男に変わった時、私とこの人の関係は終わるんだろうな、と思っているが……そんな私の気持ちに気づいているのか、父は父という立場を捨てるつもりは無いようだった。


 もしあの女が誠実であったならどれだけ良かっただろうか。

 母でなくても良い。

 娘の事など愛してなくても良い。

 ただこの男にとっての善き妻であれば、どれだけ良かっただろうか。


 考えるだけ無駄な想像と知りながら、私は考えずにはいられないのだ。


 そして、実に無駄な時間を過ごし、いい加減遅くなった私は帰る為の準備をしていたのだが、珍しく父が私に手を伸ばしてきた。


 「今日は雪が降るらしいよ」

 「……そうですか。では早く帰らないといけませんね」

 「僕の家はこの近くにあるんだ」


 ため息を吐かなかっただけ、流石だなと言って欲しい。

 睨みつけなかっただけ、凄かったと言って欲しい。

 男の手を振り払わなかっただけ、偉かったと言って欲しい。


 「確かに。私は幼い頃、貴方の支援で生きてゆく事が出来ました。血の繋がらない娘の為に住める家を、お金をくれた」

 「あぁ」

 「ですが、私にとってはそれだけなんですよ。貴方の思い出は、一年に一度、思い出したかの様に私を呼びつける貴方と話をする。それだけ」

 「それは……すまなかったと思っている」

 「良いんです。血の繋がらない娘。愛せという方がおかしい。だから、せめて私に出来る恩返しをと、こうして貴方の趣味に付き合っている。それ以上は、無理です」

 「そうか」


 落胆。という言葉がよく似合う顔で男は父に戻った。

 そして「また来年」と言い、私の手を離してくれるのだった。


 私は胸の奥から生まれる気持ち悪さに、服やらアクセサリーやらを全部投げ捨てて家に走りたい気持ちを何とか抑えながらエレベーターに飛び込んだ。

 溢れてくる涙を腕で拭って、エレベーターが開くと同時に外へと飛び出す。


 早く家に帰りたかった。

 こんな寒い場所じゃなくて、あの温かい……。


 「こんな寒い中、そんな薄着で何やってんだ。お前は」

 「っ!?」


 ホテルを出て、前も見えないまま早足で駆けていた私は、何かにぶつかって顔を上げた。

 よく聞きなれた声。私の事を心配する優しい声だ。


 「タケ君?」

 「おっす。偶然だな」

 「いや、偶然って……え?」

 「いやー。俺もビックリしたよ。まさか歩いていたら偶然前から白が突っ込んできたからさァ」


 白い息を吐きながら、冷たい手で着ていたコートを渡してくれるタケ君に、私は何だかおかしくなって笑ってしまった。


 「ねぇ、いつから待ってたの?」

 「別に待ってねぇけど?」

 「嘘。ずっとここに居たんでしょ」

 「んな暇じゃねぇんだなぁ。俺は」

 「じゃあ、なんでここに居るの? タケ君の好きな物なーんにも無いけど?」

 「お前が知らないだけで、俺が好きな物は色々あるんだよ」

 「ふーん」


 私はコートのポケットに入ってた冷たいホットレモンを取り出して、タケ君の脇をえいっ、えいっ! と突いた。


 「もうホットレモンじゃないんだけど?」

 「俺は冷たい方が好きなんだ。ほれ、寄越せ。それは俺のだ。お前のは別に買ってやるから」

 「やーだよ! これはもう私のでーす」


 私は大好きなホットレモンを両手で持って、笑った。

 大嫌いな人達のお陰で、独りぼっちの私を見つけてくれた人に、私が出来る精一杯の感謝を贈りたくて。


 「ねぇねぇ。これからどうする?」

 「別にやる事は無いが……」

 「じゃあさ。じゃあさ。イルミネーション見に行こうよ。綺麗なんだって」

 「そ。頑張って下さい」

 「タケ君も一緒に行くんでしょー!」

 「嫌だが? 全然嫌だが? 家に帰ってコタツで飯食いたいが? 腹減ってんだよ」

 「良いじゃん! 良いじゃん! ちょっとそこだからー! すぐそこだからー!」

 「めんどくせっ! 見るだけだぞ!」

 「はぁーい」

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