量子の記憶 -Quantum Memories- 量子意識研究所が隠した真実

ソコニ

第1話:最初の光

研究所の廊下に、ヒールの音が響いた。


「高野麻衣さんですね。お待ちしていました」


最先端の研究施設らしからぬ温かみのある声で、渡辺教授は麻衣を出迎えた。六十歳に近いその研究者は、優しい微笑みを湛えていた。


「こちらこそ、お招きいただき光栄です」


麻衣は丁寧にお辞儀をする。しかし、その心は高鳴っていた。量子脳科学研究所—。ここでの研究が、人類の意識に関する新たな扉を開くかもしれない。


「早速ですが、実験室をご案内しましょう」


渡辺教授は、セキュリティカードで扉を開けた。


「まるで、未来に迷い込んだみたい」


麻衣は思わず声を上げる。壁一面のホログラフィック・ディスプレイ、最新の量子測定装置、そして中央には巨大な実験チャンバー。


「美しいと思いませんか?」


教授の声には、どこか陶酔めいたものが混じっていた。


「人類の意識。それは、私たちが持つ最後の謎の一つです。従来の脳科学は、まるで暗闇の中を手探りで進むようなもの。でも、量子物理学は私たちに新しい光を与えてくれる」


教授は実験チャンバーに近づく。


「人間の意識と量子もつれ。この二つの現象には、何か本質的なつながりがあるはずだ」


「それは、中島博士の理論を基にしているんですか?」


麻衣の質問に、教授は一瞬表情を硬くした。しかし、すぐに穏やかな笑顔に戻る。


「ええ、もちろん。ただし、私たちはもっと先へ進もうとしている。意識を理解するだけでなく...」


その時、実験室の扉が開いた。


「あ、すみません」


若い研究員が頭を下げる。麻衣は思わずその姿に見とれた。知的な雰囲気を漂わせる、眼鏡をかけた男性。


「高野君、ちょうどよかった。新しい仲間を紹介しよう」


「高野...」


麻衣は思わず声を上げかけた。偶然の一致か。


「高野誠です。よろしくお願いします」


彼は丁寧にお辞儀をする。


「高野麻衣です。こちらこそ」


二人の視線が交わった瞬間、麻衣は不思議な感覚に襲われた。まるで、量子もつれのように、何かが共鳴するような。


「おや、同じ苗字ですか。運命的ですね」


教授が楽しそうに言う。その声に、どこか計算されたものを感じた気がした。しかし、それは一瞬の印象に過ぎなかった。


「では、実験データを見ていきましょうか」


教授がホログラムを操作し始める。複雑な波形が空中に浮かび上がる。


「これが、人間の意識の量子的な痕跡かもしれない」


麻衣は息を呑んだ。波形の中に、確かに何かの規則性が見えた。しかし、それは従来の脳波とは明らかに異なるパターン。


「美しい...」


思わず言葉が漏れる。


「そうでしょう?」


教授の声が、妙に強い調子を帯びた。


「私たちは、人類の意識の本質に近づいている。そして...」


その時、麻衣の視界の端に、一瞬だけ奇妙な歪みが見えた。まるで、空間そのものが波打つような。


「何か見えましたか?」


教授の声に、麻衣は我に返った。


「いいえ、気のせいです」


しかし、その感覚は確かに実在した。そして、それは始まりに過ぎなかった。


麻衣はまだ知らなかった。この研究所で、自分が見ることになるものの全てを。そして、その発見が自分と高野誠の運命を、永遠に変えてしまうことも。

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