第4話 自己責任論の罠

災害や不測の事態が起きたとき、私たちはしばしば「自己責任」という言葉に直面します。被災者支援が遅れたり、十分に行われなかったりする状況を正当化するために、この言葉が使われる場面を多く目にします。しかし、本当に自己責任だけで解決できる問題などあるのでしょうか?


能登地震と豪雨被害は、まさにその問いを突きつけています。家を失い、職場を失い、未来の見通しすら立たない被災者に対して、「自分でなんとかするべき」と突き放すのは、社会としてあまりにも冷たい態度ではないでしょうか。自然災害は予測不可能であり、防ぎようのない被害をもたらします。それに対して「自分の責任だから」と片付けるのは、被災者を二重の苦しみに追い込む行為です。


この「自己責任論」の背後には、政府の無策や怠慢が隠されていることがあります。本来であれば、被災者が安心して生活を立て直せるような支援体制を整えるのが政府の役割です。しかし、その責任を個人に押し付けることで、問題の解決が先送りされ、被災地が「取り残される」状況を生んでいるのです。


さらに、自己責任論が横行すると、社会全体の連帯感も失われてしまいます。「災害は自分の問題ではない」「困った人を助けるのはその人自身の責任だ」と考える人が増えることで、被災地への支援や寄付が減り、結果的に困難な状況がさらに悪化していきます。


一方で、自己責任論を用いることは、現実的な支援策を模索する努力を怠る言い訳にもなり得ます。例えば、能登の被災者たちが冬を迎える中で暖を取る場所を確保できない状況に対し、「災害は仕方がないことだ」と片付けてしまえば、支援の必要性を議論する場すら失われてしまうでしょう。


災害は、誰にでも起こり得る問題です。だからこそ、社会全体で支え合う仕組みが必要です。「自己責任」という言葉で片付けず、被災者に寄り添い、現実的な解決策を考えることが、次の災害に備えるための第一歩でもあります。


私たちが問うべきなのは、「誰の責任か」ではなく、「どうすれば被災者を支えられるか」です。自己責任論の罠にはまり込むのではなく、共に手を差し伸べる社会を作ることが、私たちに求められているのではないでしょうか。

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