第2話 未練と執着が巡る先へ

01.辿り着けないカンデラ堂

 新しいアルバイト先であるカンデラ堂の営業時間は、日没後から翌午前二時までだという。

 日没後って、なんだ。と、寒気が混じる北風に顔を顰める。


 春の終わりに手に入れて、夏の間でも目深に被っていたニット帽は家に置いてきた。カンデラ堂の仕事には、ニット帽は必要ないと思ったから。

 久しぶりに感じる冷たい風を髪で受けながら、ひと足先に就業を終えたサラリーマンたちや夕飯の買い出しに忙しい主婦や、授業や部活を終えた学生たちで賑わう千住旭町商店街を足早に抜けてゆく。


 日没後って、なんだ。あまりにも意味がわからなすぎて、下宿先のアパートを出る前に検索サイトで『日没 いつ』で検索してしまった。


 今日の日没は十六時三十三分頃らしい。フリッツ氏はおれに明確なバイト始業時間を言わなかった。いつ行ってもいいのか、それとも店が開く前に到着していなければならないのか。迷った末に、後者を選んだおれは、少し駆け足気味に北千住駅一階にある東口と西口を繋ぐ自由通路をゆく。


 日没後って、なんなんだ。歩幅が大きく、速くなるにつれて呼吸が上がる。心拍数も高まって、身体中が暑くなる。少し汗ばんだ頭を冷たい風が撫でてゆく。


 そもそも文具店であるカンデラ堂が深夜二時まで営業する必要があるのか。時給がいくらなのか、全然聞いていないけれど。

 時給でいいんだよな、日給だったりするのか? 自由通路を抜けて顔を上げたおれは「あっ」と声を漏らしていた。駅と日光街道とを結ぶ駅前通りの彼方には、黄昏色に染まった空がビルの合間から見えたから。


「……まだだ、まだ沈んでない」


 ヨレたダウンコートのポケットに突っ込んでいた左腕を出して、Apple Watchに表示された時刻を確認する。十六時二十九分。大丈夫だ、問題ない。あと四分もあるのだから。ついにおれは駅前ロータリーを宿場町通り方向へ駆け出した。


 ヤバい、これはヤバい。なにがヤバいって、カンデラ堂の正確な位置がわからないことが一番ヤバい。頼りの綱である検索サイトもヒットなし。『北千住 骨董文具カンデラ堂』で検索しても口コミすら引っかからない。


「あの店、実在するのか?」


 と、疑ってしまっても仕方がない。おれは半信半疑で宿場町通りを北上しながら細い路地を覗き込んで歩く。

 カンデラ堂の外観は印象的だった。下町風情あふれる風景の中に、突如として洋館があらわれるのだから。


 けれど、通りを二往復しても、細い路地を探索しても、カンデラ堂にたどり着くことはできなかった。時刻はもう十七時を回る頃。開店時間に間に合わず、バイト先に行くことすらできないなんて。


 けれど、「ありえないだろ……」と頭を抱えて道端にうずくまるおれを、神様は見放しはしなかった。


「大丈夫? 気分が悪いならウチの店で休んでく?」


 汗だくで膝をつくおれに声をかけてくれたのが、カズアキさんだったから。

 昨夜、推しへの手紙を書くか書かまいかで悩みに悩んで、とうとう生き霊として魂だけ抜け出してカンデラ堂を訪れたカズアキさん。推しへ宛てた手紙は、昨夜のうちにおれがポストへ投函し、役目を果たせたことを誇りたい。


 カズアキさんは、整体師が来ているようなユニフォームを着て、靴下にサンダルをつっかけていた。のろのろと見上げれば、おれがうずくまっていたのは整体院の店先だったのだ。


「カズアキさん……もしかして、この整体院で働いているんですか」


「あれっ? 君……カンデラ堂のフリッツさんの親戚かな。ボクはカズアキです。フリッツさんとは商店街の会合でよく話すんだけど……君、本当によく似てるね」


 なんてことだ。まるで初対面かのように話すカズアキさんに、おれは開けっぱなしの口をはくはくさせるしかなかった。



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