ガス検査員
あべせい
ガス検査員
ピンポーン。
「ごめんください……あらッ、ご返事がない……もう一度……」
ピンピンポッ。
「どうして? おかしなインターホンだわ……留守かしら」
バインダーの書類を見て。
「でも、きょうの指定になっている。電話をかけようか」
携帯を取り出し、番号をプッシュ。
いきなり、ドアが開く。
「やかましい、だれだ!」
「すいません」
IDカードを示し、
「城北ガスの須加佐波代といいます」
「なに、ガス? 間に合っている」
ドアを閉める。
「お待ちください。セールスではありません。ガスの検査にうかがいました」
ドアの中から。
「聞いとらん!」
「しかし、いただいたお葉書には、きょうの日付が記入されております。畑中華子さまはこちらですね」
ドアが開き。
「華子! 華子が書いているのか」
「これがいただいたお葉書のコピーです」
コピーを示す。
「華子が……わかった。なんだ、用件は?」
「ですから、ガスの検査をさせていただきたいのです」
「検査? そんなもの必要ない」
「ですが、ガス事業法という法律で3年に1度の検査が義務付けられております」
「3年に1度! 3年前にも来たというのか」
「わたしではありませんが、別の者がおうかがいしております。こちらに、そのときの検査結果のコピーがございます。どうぞ、ご覧ください」
「コピーはいい。何をやるンだ」
「外にございますガス給排気設備、すなわちガス風呂釜及びその配管、ご家庭内でお使いのガス器具及びその配管の検査を行います」
「あんた、若そうだが、年はいくつだ?」
「年齢ですか? それは……言えないことになっています」
「若い女性が、オレのようなムサい男の家の中に入るというのか。オレは悪党だゾ」
「はッ!? 悪党ですか」
「悪党だ。何するか、わからん悪党だ」
「は、ハイ」
「何があっても知らンぞ」
「それは……」
帯をとりだす。
「何をしている」
「ケガをした場合の病院の所在を調べています」
「ケガなンか、させん。ケガはさせンが、オレも男だ、あんたのような美人が、ヒマをもてあましている悪人面の男の家に入るには、それなりの覚悟がいる」
「覚悟ですか……」
「覚悟だ。できるか」
「ハイッ」
「あんた、若いのに見上げた根性だ。早くやれ!」
「では、外の給排気設備から検査いたします。失礼して、裏に回ります」
「待て!」
「はいッ」
「ガスの風呂釜がどこにあるのか、知っているのか」
「どちらのご家庭でもだいたい、家の裏か、側壁にございますが」
「家の裏にあるが、そこまでどうやって行くつもりだ」
「お隣との境の通路を行くつもりですが」
「狭いぞ」
「狭いのには、慣れています」
「あんたは体が細いから、平気だろうが、検針に来るやつは、途中で動けなくなって、悲鳴をあげた」
「体が挟まったのですか?」
「悲鳴をあげたのは、ヘビがいたからだ」
「ヘビがいるンですか!」
「ヘビで驚くな。ムカデも毒グモもサソリもいるゾ」
「サソリ!」
「ワッハッハ、ハッ、ハ。ウソだ。しかし、一面雑草が生い茂っているから、何が出てくるかわからン」
「わたし、泥水の中とか、沼地とか、底や下が見えない所を行くのは苦手なンです」
「帰るか?」
「仕事です。行きますッ」
「気に入った。前の道路を道なりに行けば、裏に出る。家の裏は空地だ。その空地から、風呂釜に手が届く」
「ありがとうございます。失礼します」
ピピ、ポーン。
「ガス給排気設備の検査が終わりました」
ドアが開く。
「早かったな」
「さきほどから気になっていたのでおうかがいしますが、インターホンの音が毎回違っているようなンです。私の押し方のせいなのでしょうか?」
「あんたの押し方のせいじゃない。オレが口で鳴らしているンだ。『ピピ、ポーン!』とな」
「口ですか」
「あとは、どうするンだ」
「ガス風呂釜に異常はございませんでしたが、15年ごとに一酸化炭素の濃度測定をさせていただくことになっています」
「聞いてない」
「すいません。さきほど、お話するのを忘れていました」
「断っておくが、オレは忙しいンだ」
「はい」
「オレは気が短い」
「はい」
「早くやれ!」
「では失礼して、中に上がらせていただきます」
「オイ、勝手にどこに行く。さっきまでの殊勝な女の顔はどこにやった」
「たったいまから、流儀を変えます。お客さまに応じて進化するのが、わたしのやり方です」
「進化ダ!? がさつな女に進化するのか」
廊下を進みながら、
「浴室はどちらですか」
「オレと一緒に風呂に入るのか。オレの背中を流して、機嫌をとるつもりか。そんなことで、まるめこまれるほど、安い男じゃないゾ」
「お風呂に入るのではありません。こちらですね」
浴室のドアを開けて中へ。
「60度のお湯をしばらく出し、その間、ガス風呂釜の排気に検査機器を当て、一酸化炭素の濃度を測ります」
「60度のお湯なんか出したら、熱いだろうが」
「いま浴槽は空です。この中にお湯を落とすことになります」
「どれくらいだ」
「2分ほどでしょうか」
「時間じゃない。湯の量だ」
「2分間、お湯を出しっぱなしにいたします。少なくても、2、30リットルは出るでしょう」
「その分のガス代と水道代は、お宅がもつンだろうな」
「そんなことはいたしません」
「不都合じゃないか」
「でしょうか?」
「不都合じゃなければ、理不尽だ」
「ですか? では、ご請求なさいますか? 検査の際に燃焼させたガス、約0.005㎥分の代金」
「あんたがここで払ってくれたなら、問題ない」
「お客さまのほうに問題はなくても、こちらには大いに問題があります。上司の許可をとりますので、お待ちください」
帯をとりだす。
「わかった。もういい、キミの美貌に免じてガス代は寄付する」
「お情けナイ、じゃなかった、お情アルお言葉、ありがとうございます。では、お湯をお出しください。わたしはもう一度裏に回って、一酸化炭素濃度を測定してまいります」
チャイムを押す。
「おかしいわ。鳴らない」
奥から。
「口がくたびれた。ドアは開いているぞ」
「失礼します」
廊下を進む。
「測定が終わりましたので、お湯はお止めいただいてけっこうです。畑中さん、どちらにおいでですか」
「ここだ。居間だ」
居間に入り、
「こちらですか。ガス風呂釜の一酸化炭素濃度は、0.002でした。基準値が0.004ですので、基準値を下回っています。使用に問題はございません」
「終わったのか」
「いいえ、もう少し。台所でお使いのガス器具の点検がございます」
「まだ、やるのか。前にも言ったはずだ。オレは忙しいンだ。あとは、こんどにしてくれ」
「台所でお使いのガスコンロの点検だけですので、すぐに済みます」
「いい。いいンだ」
「でも」
「デモもストライキも、ないッ! 帰れ」
「畑中さん!」
「な、なんだ!?」
「作業を途中でやめることはできません。あと3分で終わる作業を、あなたはやるな、とおっしゃるンですか。それは、あんまりでしょう。不都合です、理不尽です。人間として、許されません!」
「き、きさまは、オレに殴られたいのか。おれは瞬間湯沸し器と呼ばれた男だ。一度怒ると制止がきかン!」
拳を振り上げる。
「お言葉ですが、我が社では現在、瞬間湯沸し器ではなく、ガス給湯器という名前を使っております。但し、ガス給湯器は我が社の主力商品であり、キレやすい男性の形容として使っていただきたくはありません」
「なにィ!」
「その拳をどうなさるンですか。やってごらんなさい。ケガの覚悟して」
「ケガは覚悟しているというのか。上等だ!」
男がストレートパンチを放つ。途端、「キェーッイ!」の叫びと同時に、男の体が宙を舞った。
「イテッ、テ、テ、テテ、何をしゃがる、ウッウーン……」
気絶。
「どうされました。畑中さん、しっかりしてください」
ドアが開き、女性が駆け込んでくる。
「お父さま!」
須加を仰ぎ、
「あなた、検査の方ですね」
「須加です。いま、お父さまと」
「すいません。わたし、きょうがガス検査の日だと承知していたのですが、急な用事ができ、約束の時間に来ることができませんでした。ごめんなさい」
「いいえ、こちらこそ。お父さまにこんなことをして、ごめんなさい。いま救急車を呼びます」
携帯をとりだすが、
「外に私の車がありますから、それに。わたしと一緒に父を運んでいただけますか」
「もちろんです。救急病院はチェックしてあります」
「華子が来てくれなかったら、オレはいまごろ、あの世をさまよっていた」
「何を言っているのですか。お父さまは、こちらの須加さんに乱暴を働こうとされたのですよ。それがもとで、病院に搬送されたのじゃないですか。幸い、大したケガでなくて、よかった」
「畑中さん、ごめんなさい」
「オレは起きる。起きて、もう一度、あんたと勝負する」
「ナニ言っているの。せっかく自宅に戻れたのに、また病院に戻るンですか。休んでいないとダメです」
「なに、こんどは負けない。さっきは油断したンだ」
「お父さま。女性に乱暴して恥ずかしくないのですか。第一、この須加さんに勝てるわけがない。お聞きしたら、須加さんは、合気道5段の腕前。体が大きいだけのお父さまが、かなう相手ではありません」
「あんたが、『ケガの覚悟をして……』と言ったのは、オレに覚悟しろと言ったのか」
「ハイ」
「携帯を出して、『ケガをした場合の病院の所在を調べています』といったのは、オレのケガを予想していたのか」
「ハイ」
「情けない。オレは、心機一転、人生をやりなおす」
「須加さん、父はいつもこうなンです。反省はいいのですが、大げさなンです」
「こんどこそ本気だ。明日、なじみの床屋に行って剃髪する」
「頭を丸めてどうなさるンですか」
「すいません。わたし、いまのうちに台所のガス器具の検査をさせていただきます」
「お願いします。お父さま、頭を丸めてどうなさるンですか」
「レスラーになる」
「レスラーですか。昔の夢が忘れられないのですね」
「違う。レスリングの練習をして、あの(台所をチラッと見て)女ともう一度勝負する。こんどこそ、勝ってみせる」
「頭を丸めれば、勝てるンですか」
「勝てる。昔、弱いレスラーだったのは、髪の毛を長く伸ばしていたからだ。髪を掴まれたから、負けたンだ」
「お父さま、いい加減に目を覚ましてください。あなたは自分が弱いレスラーだったから、娘のわたしを無理やりレスラーにしようとした。自分の夢を娘にかなえさせるために。でも、わたしにはレスラーの才能がなかった。わたしはお父さまと争うことに疲れ、この家を飛び出したのです」
「すいません。お話中ですが」
「ごめんなさい」
「ガス器具の検査が終わりました」
「どうでしたか」
「それが……、ガスコンロが古くて、炎が安定していません。この機会に新しく買い換えられたほうがよろしいかと思いますが」
「買い換える、だッ。おれはこれまであのコンロを使って何の問題もなかった。あんたは、ガス器具を売りたくて検査に来たのか」
「そういうわけではありません。お勧めしているだけです」
「お父さま。あのガスコンロは私が生まれた年にお買いになったものですよね」
「ということは、30年以上も使い続けたガスコンロ……」
「わたし、まだ25です」
「失礼しました」
「あのコンロには死んだ女房の思い出がいっぱい詰まっている。あれだけはダメだ」
「しかし、これ以上使い続けますと、必ず事故が起きます」
「どんな事故だ」
「例えば、不完全燃焼による一酸化炭素中毒」
「お父さま。一酸化炭素は無味無臭の猛毒よ。気付く前に死んでしまう」
「お嬢さまは間違っておられません。ガスは目に見えないから怖いンです」
「わかった。明日から、ガスはやめて、電気にする」
「畑中さん、それは……」
「お父さま、ガスをやめてどうするの。ご飯は電気炊飯器があるからいいとしても、煮炊きやフライ、炒め物はどうするの? わたしは毎日来られないわ」
「華子。前に、おまえの会社で電磁調理器という便利な家電を出していると教えてくれただろう。電磁調理器は清潔で安全なンだろう」
「売るために、どこでも、そういうことは言います」
「須加さん。電磁調理器は絶対に安全ですよ」
「お言葉を返すようですが、この世に絶対安全というものはありません。ガスのように、どんなものでも危険な側面を持っています」
「いいえ、電磁調理器だけは安全です、わたしがこの家に来るのは週に1度か2度。ふだんは別のマンションで生活していますが、そちらは全て電気です。ガスは一切使っていません」
「ガスのない生活なんて考えらない。うちは親子3代、ガス会社で働いています」
「私の家だって、父も祖父も家電メーカーの人間でした。父は昼間冷蔵庫を作りながら、退社後はレスリングジムに通っていました。ガスなんかなくても、何も不自由を感じません」
「うちだって、同じです。電気なンかなくても不自由しません」
「それはウソでしょう。明かりはどうするの。家の中の明かりはガス灯ですか?」
「クゥウッ、ウッ……」
「2人とも急にどうしたンだ。ガスでも電気でも、どっちでもいいだろう」
「そうはいきません。ガスの明日がかかっています」
「お父さま、こちらも、家電の将来がかかっています。妥協はしません」
「困った娘だ。ヨシ、わかった。だったら、ここで勝負をしろ。勝ったほうの主張を認める。ガスが勝てば、ガスコンロを新しくする」
「お父さま、家電のわたしが勝ったら?」
「もちろん、電磁調理器を使う」
「畑中さん。何で勝負するンですか。格闘技でいいンですか」
「ダメだ。華子は格闘技を知らない。ガスコンロと電磁調理器で勝負しろ。それぞれヤカンに2リットルづつ水を入れ.先にお湯になったほうが勝ちダ」
「だれが判定するのですか?」
「お父さまが審判ですか」
「もちろん、おれが公正な判定を下す」
「お父さま、それはダメです。お父さまには公正な判定は期待できません」
「どうしてだ」
「勝負が白熱すると、真っ先に沸騰してしまう瞬間湯沸し器だから」
(了)
ガス検査員 あべせい @abesei
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